短編

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「マスター、アイスコーヒーひとつ」

古ぼけた店内には洒落たクラッシック音楽がかかっていた。
新聞を片手に店に入ってきた男は、そんな洒落た音楽が流れる店に入るような風貌ではなかった。背広をしっかりと着こなしているのだが、男の平凡かつ薄幸そうな顔立ちのせいかどことなく草臥れているように見える。
客のオーダーに声を出さず頷いたマスターは、端正な顔立ちをしているが瞳の奥にどことなく浚巡するような光が見え隠れしている。馴染みの客に声をかけたいが、その糸口が掴めず焦っているのだろう。
長い間、この古ぼけた店に通っている客はそれに気がつき、困ったように笑った。

「今日はいい天気ですね。先程、公園で例の三人姉弟が暑さを気にせず屯してましたよ」

「そうか。貴方もあまり無理をなさらないように。外回りは何かと直射日光にあたる」

どことなく堅苦しい会話が続いていく。しかし、会話が途切れることはない。
やがて、慌ただしい足音が店に転がり始めた。

「おじゃましまーす!」

目映い金髪の少年がガタガタと派手な音をたてながら店に転がり込んできた。
その少年を見て、マスターの眉間に深い皺が刻まれる。

「もう少し穏やかに入ってこい。それとアイツはいないぞ」

「えぇ! まぁ、約束してたわけじゃないけどさ」

落ち込んだ少年を見て、客とマスターは同時に苦笑いを漏らした。
少年がこうして店に飛び込んでくるのも一度や二度ではない。少年は、ここのマスターに引き取られた姉と弟の二人の養子、その姉の方にご執心なのだ。それは恋愛感情なのか友情なのかは本人ですらわかっていないだろう。しかし、それは不毛で無意味な考えだ。彼女には金髪長身の、言ってしまえば今時の若者という印象の彼氏がいる。この少年は、その青年を慕い二人の恋を応援しているのだから。
実は、その彼氏は客が先程公園で見かけた三人姉弟の末っ子だ。
ここに長く通う客は三人姉弟とも面識がある。特に、あそこの長男とは交遊があり、たまたまこの店で出くわしては、マスターと長男、そして客の男をくわえて愚痴をこぼしあっている。
三人は得てして女運が悪かった。マスターは養女である件の彼女、長身は実の姉、そして客の男は、

「やっぱりここだったのね」

鈴を転がしたような軽やかで可愛らしい声が店に響いた。その声に、客は握っていたアイスコーヒーを取り落とし、床にガラスがぶちまけられた。

「だめよ、サボッたりなんかしちゃあ」

スレンダーな女性は、ヒールを鳴らしながら客の男へニコニコと詰め寄る。バリバリのキャリアウーマンという印象の女は、男の部下であり一応は恋仲なのだが。
女性は華奢な手を伸ばすと、男の襟首を掴み男を椅子から引きずりおとした。

「さ、仕事をしましょう」

「俺は休憩時間なんです…!」

「え、なぁに聞こえないわ」

男は女の笑顔を見て顔面蒼白になると、カウンターにグラス代を含めた金を置き女に腕を引かれ店の外まで引きずられていった。

「毎度騒がしいやつらだ…」

マスターの呟きが店に静かに響く。
ようやく取り戻した静けさも、けたたましいバイクの音に掻き消された。

「ちわーっす、郵便でーす」

店にある窓から刺青が目立つ男が顔を覗かせた。耳にはたくさんのピアスがついており、軽い態度と言動が相俟って決して人が良さそうには見えない。しかし、見た目からは想像できないが、この男はたくさんの人間に慕われている。そのことをマスターと少年は知っていた。
マスターは、窓際におかれた手紙を取り上げるとその手紙で刺青男の頭を叩いた。

「また転職したのか。いい加減、安定した職に就け」

「いやぁ、なんか一所に留まれなくってさ」

男はからからと笑う。
男はこれまた見た目に反し、大企業の息子だ。サポートを得意とする男の手腕はたしかなもので、幾つもの企画を裏で支え成功に導いていた。が、その飽きっぽさと行動力が合わさり、次期社長の椅子を蹴って、今だにころころと職を変えている。その全ての職で確かな結果を出しているものだから、高い実力を窺い知ることができる。

「それにしても、その厳しい口調弟にそっくりなんだよなぁ」

男の目が憧憬を想い描き始めた時、後ろからサイレンの音が近づいてきた。

「待ちやがりなさい!そこの暴走バイク!今日という今日こそは取っ捕まえてやるわー!」

「うわ、やば…。サツ来た」

パトカーから身を乗り出している派手な警官を見て、男は慌ててバイクに飛び乗った。それを見て、金髪の少年は男に手を振る。男はそれに悠々と応えると、エンジンをかけ地面を蹴った。
狭い路地でバイクとパトカーのおいかけっこが始まる。
狭い道ならばバイクの方が断然有利であるはずだが、パトカーを運転している顔の見えない警官の運転技術は確かなようで、狭い道をもろともせずついてくる。
窓から身を乗り出している派手な警官は片手に持ったメガホンで、けたたましく男を追い詰める。

「止まれっつってんのよ、毎回毎回!」

その声にバイクを走らせる男は苦笑いを漏らす。残念ながら、こうして追いかけられるのは日常茶飯事なのだ。
そうして追いかけっこを続けるバイクとパトカーを、ガラス張りのカフェテラスにいた少女が呆れながら見つめていた。
氷がとけて薄くなったオレンジジュースを飲み干す。

「どうしたの?」

その少女の向かいにいた女性は机に広げていた教科書から顔を上げ、少女の目線を追う。
そして、バイクに跨がって逃げ惑う男を見て僅かに顔をしかめた。彼女は飄々とした態度の男を苦手としていた。

「いやぁ、アイツ等いっつも飽きねぇなと思って」

ストローを指先で弄びながら、先程から小刻みに振動する携帯を睨み付ける。
携帯は、定期的に新着メールを告げる。その相手はいつも決まって同じだ。
少女が携帯を睨んでいるのを見て、女性は心配そうな顔をした。

「見なくて大丈夫なの?」

「いーよ、どうせいつものくだらねぇメールだ」

そう言いながら携帯を手にとる。
予想通り、そこには同じ宛先のメールが羅列している。付き合いたてのカップルでもあるまいし、この異常な量のメールには辟易する。しかし、少女は相手がそういう男だと知って付き合ったのだ。だから、今さら文句を言うつもりはなかった。
女性は微笑を浮かべる。

「上手くいってるみたいね、彼氏さんと」

「俺のことはいいんだよ…。それより。そっちだよ、そっち、いい加減告白して付きあっちまえよ」

少女の言葉に、女性は握っていたシャーペンの軌跡が可笑しな方向へ移動した。

「わ、私、彼とはそういうんじゃ…」

そう赤面する女性を見て、少女は呆れたように目を細めた。
少女の彼氏の兄は、目の前にいる女性に好意を抱いている。そして、女性の方も恋愛感情を持って彼に接している。端から見ていて、最早寒々しいほどの初々しさを見せつける二人はどう見ても両想いなのだが、当人達は揃って「自分は相手にふさわしくない」と泣き言を言うのだ。
年齢も趣味も違う接点のない少女と女性が親友になれたのは、あの二人の兄弟と接点があったからだ。尤も、その兄弟の性格は本当に兄弟かと疑わしくなるほど真逆だ。ただ、女々しいという部分は一致している。
お互い、面倒くさいのを好きになるよなぁと少女が漏らすと、女性はやはり「そういうのではない」と慌てて訂正をしてくる。
再び、少女の手の中の携帯が震えた。
少女は溜め息を吐くと、気まぐれに彼氏へとメールを返信した。


「うぉぉ!メールの返信キター!」

陽射しから逃れるように、三姉弟は公園のベンチに腰かけていた。
先程から、飽きもせず彼女に送り続けたラブコールに返信が来たことに、金髪の若者はガッツポーズで携帯を高く掲げる。
それを呆れたように見つめていた、若者の姉と兄は同時にため息を吐く。

「そんなに元気ならジュース買ってこい」

姉は気だるげに財布を漁り、騒ぐ弟に人数分のジュースの代金を投げ渡す。
そのことに若者は一言だけ不満を漏らすと、それ以上何も言わずおとなしくジュースを買いに近くの自販機へと向かった。長年の経験から、姉に逆らわない方がいいと身に染みているのだ。
使いっぱしりにされた弟を見送りながら、兄は弟の熱のあげっぷりに再び溜め息をついた。

「よくもまぁ、あんなに好きだ好きだと言葉や文字で言えるな…」

「まぁ、アイツのは異常だけどさ。お前は、そろそろあの可愛い彼女さんに一発好きだーって言ってみたら?」

姉の発言に、男は分かりやすく赤面すると無理だ無理だと頭を振った。

「情けない男だなぁ…。そーいうのヘタレっていうんだ、ヘタレって」

「ううう、うるさい…」

赤面しすぎて今にも倒れるのではないかと姉が危惧しだした時、自販機から若者が帰ってきた。
暑いと文句を言いながら、抱えた缶を一人ずつ渡していく。
姉にはミネラルウォーター。兄には無糖の珈琲。散々悩んだ挙句いつもと同じものを選んでしまった、自分の炭酸飲料。そして、
また腕に残ってしまった1つの缶を見て、若者はがしがしと金髪を掻いた。その様子に、姉はまた呆れたように溜息をつく。

「また一人分余計に買ってきたんだな? 何回やったら懲りるんだよ」

「姉ちゃんだって毎回四人分金渡してくる癖に」

「バカ言うな。毎回500円玉しかないだけ」

若者は嘘つけと姉を睨んだが、さらに鋭い目で睨み付けられ押し黙った。
1つだけ残った、最早カフェオレに近い珈琲。誰も飲まないようなソレは、冷蔵庫の中に幾つも眠っている。今回のこれもまたその中の1つになるのだろうと、若者は訳もなく思った。何故かそれが酷く申し訳なく、許されないことのように感じてしまうのは、日毎に増える余分な一人分の様々なそれに手をつけられず腐らせてしまうからだろうか。
少しセンチメンタルな気分になっていたところで、前方を青空が掠めた。顔を上げると学校終わりなのか、制服を着た中学生ほどの少年が公園を横断していた。
ふと、子供は甘いものが好きだと単純明快な式が立ち上がった。
どうせ腐らせて捨ててしまうのなら、いっそあの子供にあげてしまえばいいのだ。
若者は良いことを思い付いたと言わんばかりに笑顔を浮かべると、少年に声をかけた。

「ねぇ、君!」

立ち止まった少年が、気だるげな動作で青年達を見つめた。
その雰囲気と虚像じみた瞳に、姉弟は背筋を寒気が伝うのを感じた。けれど、それは少年の声によって一瞬のうちに霧散する。

「なんですか」

「え、ああ、ごめん。間違えて一本多く買っちゃってさ。良かったら飲んでよ」

青年は少年に缶を投げ渡す。
一度少年は缶に視線を落とすと、すぐに顔をあげた。
そこで、はじめて少年がひどく整った顔立ちをしていることに気がついた。それに気がついたのは、少年が顔を歪めていたからだ。
きれいな顔を歪めて、少年は儚げにも見える虚無しか映さない瞳の中に確かに三人の姿を捉えた。
ぞくり、と身の毛がよだった気がした。少年の作り物のように精緻な瞳に、涙が堪っていく。
少年は空っぽの笑みで笑った。



ああ、もう、
うんざりだ。


××××××××の、
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