いちご†盗人

□1、All's fair in love and war.
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「どうしたの」


 坂口肖衛(さかぐち・しょうい)―― もっさりした時代遅れの七三分けと、顔の半分を覆い隠す黒ぶち眼鏡が特徴の、三十八歳。

 まともな会話すらしたことがないけれど、彼は今日から私の配偶者。つまり夫だ。

 そして今晩こそが、俗に言う新婚初夜、だったりする。

 けれど私は、彼と愛を営むつもりなんてない。微塵もない。

 だから朝日を見るまで逃げ切ろうと思っていたのに、よりによって兵糧に足をすくわれるとは一生の不覚だった。

 来ないで。近寄らないで。言いたいのに声が出ない。

 遠のく意識の中、筋肉質な腕がこちらへと、伸びてくるのがぼんやり見えた。


――ああ、捕まってしまう――。


 途端、私の脳裏にはデジャヴュのような光景が映し出されたのだった。

 こちらを心配そうに見下ろしている、、の姿が。


『せいなちゃん、大丈夫?』


 あれはたしか、私が小学校に上がるか上がらないかというころ。

 相手はやはり年上の男のひとで、私のことを、ずっと『せいなちゃん』と呼んでいた。

 それは私が舌っ足らずだったために、自己紹介をしくじった所為なのだけれど。


『わたし、**くんのこと、だいすき』

『じゃあ、僕のお嫁さんになる?』

『うん!』


 あんなことも約束したっけ。

 顔を思い浮かべても、すりガラス越しの像しか結ばない。名前も声もぼんやりとしか思い出せない。

 私がこうなのだから、向こうもとっくに忘れてしまっただろう。

 これはつまり、現実はそんなに甘くなかった、ってことになるのかな。


 そう思っていた私は、後に思い知ることとなる。


 この時の出来事こそ、甘いものなんかじゃなかった、ってことを。

 
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