Peewee

□恋するデザイン
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 母性保護論争、なんてものが始まったのは百年ほど前のことらしい。歴史や思想に疎いあたしは、ぶっちゃけ詳しい内容までは把握していない。
 しかし、与謝野晶子だったか平塚らいてうだったか、今ではお歴々とでも言うべき方々が女性の社会的地位向上のために議論した時代があったのだ――――と、失礼ながらすこぶる曖昧に記憶している。
 それから時は流れ流れて、平成の世、日本。
 現代社会における女の生き様とはいかなるものかと問われたならば……あたしは、“戦々恐々”とでも言ってやりたい。
 世の中、恐ろしいことばかりなのだ。


「あのう先生、ランチ、どうしますか」


 事務所として間借りしている雑居ビルの一角、缶詰になっていた部屋がそろりと開封され、気弱な質問がひとつ投げ込まれる。ついに、ついに外の世界へと、あたしの秘密が流れ出してしまったのだと思った。
 朝から華麗に『考える人』ポーズを決め続けるというギネスへの挑戦――ではもちろんなくて、デスクを前に頭を抱えたきりさっぱり仕事を進めた形跡がない、という秘密が。

「いらない」

 後ろめたい気持ちもあって、あたしはそのままの格好で答える。
 スチール製の扉は年季もので、ふたつの蝶番はそろってきいきい悲鳴のような音を立てる。歯の根がゆるむというか、背筋を毛虫が這うというか、とにかく体中の不快感という不快感を余すところなく呼び覚ましてくれる音だ。

「……いくら締め切りだからって、何か食べないと倒れますよぅ」

 声の方角に視軸だけを移動させると、心配そうに眉尻を下げる子ウサギちゃんが一匹、垣間見えた。ウサギちゃん、というのはもちろん例えであって今ここがメルヘン世界、というわけではない。
 現在地は都内某所。
 そしてここは小野原デザイン事務所の本拠地――つまりあたし、小野原惟(おのはら・ゆい)ちなみに二十九歳――が代表を務めるオフィスの一室なのである。
 ついでに小ウサギちゃんの正体は水元杳(みずもと・よう)という。三つ年下の部下で、外見はどこからどう見ても可憐な少女でしかないのだけれど、一応は男だ。
 もちろん確かめたことはない。うっかり握ってみようかなあとは思わないこともないけれど。
 
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