□小説□
□孤独な蒼は優しい橙を待っている
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『海に行きたいの』
電話の向こう、今自分の近くにはいない女からは無理なお願いが。
数回のコール音を聞き流し諦めるのを待っていたが、しつこく鳴り続ける電話に手を伸ばしてしまった。
ディスプレイには『姉崎』の文字が。
同時に携帯で時間を確認する。
2時11分。
昼間ではなく深夜の2時11分。
だいたいの人間なら眠っている時間だろう。
あの女だって例外ではないはずだ。
第一こんな時間に電話をかけてくることは今までに一度も無かった。
何かあったのか…。
一抹の心配が生まれるが電話に出た瞬間に『海に行きたいの』と言われ、俺は返事のかわりに溜息をこぼした。
まったくこの女の思考回路はどうなっているんだ…。
「てめぇ今何時だと思ってんだ?」
『あら、ヒル魔くんの部屋には時計というものは無いのかしら?』
「お前な…、夜中の2時過ぎに電話してきていきなり『海に行きたい』はねぇだろ…。」
『どうせ起きてたんでしょ?』
「俺が寝てる場合だってあっただろうが。」
『それは大丈夫よ。信じてるもの。』
いったい何を信じていたというのか。
機械を通して聞こえるあいつの声は100%の自信を孕んでいて俺のことならなんでもわかると言いたげだ。
たかが数年の付き合いでここまで信用されているとは…。
しかし今はそんなことはどうでもよくて。
もう一度、電話の向こうの世界にもハッキリと聞こえるようにわざと大きく息を吐いた。
『随分と大きなため息ね。』
「誰かさんに呆れてんだよ。」
『私何か言ったかしら?』
「ほーう。1分も経ってねぇってのに記憶障害か?海に行きてぇとかほざいてはのはどこのどいつだっけな?」
『失礼ね。自分で言ったことくらい覚えてるわよ。』
「ならこんな時間に海に行くのは無理だってこともわかるよな?」
『あら、どうして?別に問題無いでしょ?ヒル魔くんの車で連れてってよ。』
なんだこの女は?
常識の塊だと思っていたがどうやら俺のほうが遥かに常識というものを持ち合せているようだ。
カーテンをめくり窓の外を眺める。
思った通り歩いてる人間はおらず時々車が通り過ぎていくだけだった。
空を見上げればずっしりと重たい雲の層。
確か天気予報では明日は雨が降ると言っていたな。
こんなときに海に行こうなんざ、あの女以外思いつかねぇだろ。
普通のようで、どこか普通とは程遠い姉崎。
面白い。
口の端を上げカーテンを戻し姉崎に「10分で行くから用意してろ」とだけ伝えて車のキーを持って家を出た。
最近までは真夏日を更新中だったというのに今夜は上着なしでは少し肌寒いくらいだった。
頬を掠める夜風は秋の匂いを漂わせていて季節の移り変わりを告げられているようだ。
車に乗り込みエンジンをかける。
自分で掃除したことはないのにいつも新品状態なのはつまりあの女のおかげで。
見えないところで何をされているかわかったもんじゃねぇ。
この間なんざ買った覚えも無ぇのに冷蔵庫の中には様々な食材と間違っても俺が食うはずのないシュークリームが入っていた。
半同棲状態に近い。
車を進めていると見えてくるあいつのマンション。
エレベーターに乗ってあいつの部屋まで行くのはめんどうだな…。
電話で下まで降りてろと伝えとくか。
ちょうど赤信号につかまり携帯で連絡することができそうだ。
「あいつ…。」
電話をする必要がなくなったようだ。
横断歩道の向こう側には見慣れた姿が。
ここまで歩いてきたのか。
車を見つけたのか手を大きく振って自分の居場所をアピールしている。
車を寄せてやればさっと助手席に乗り込みシートベルトを締めている。
「で?なんでいきなり海なんざ見ようと思ったんだ?」
「なんとなくよ。」
ハンドルをさばきながら着々と海へと近づいているがいまだにこの女の考えが読めない。
「わがままなお姫様なこって。」
「そんなお姫様を選んだ王子様はどこの誰だったかしら?」
適当にCDを入れて音楽をかけながら生意気な口調で言ってくる。
ゆったりとしたクラシックが車内を包み込むが、運転してるときにこんな音楽をかけられては眠気を誘うだけだ。
せめてもの抵抗にボリュームを下げたやった。
「あ、ちょっと!」
「るせぇ。音楽なんざ必要無ぇだろ。」
「…それもそうね…。あ。あれ海じゃない?もう着いたんだ…。もうちょっとドライブしててもよかったのに。」
窓の外で流れる景色の中に海が見えてきた。
暗闇のなかどこまでも続いていそうな大きな水たまり。
適当に車を停めて二人で車を降りると姉崎は自販機へと走ってしまった。
俺は後を追うわけでもなく目の前に広がる海をただ眺めていた。
寄せては引いてを繰り返す、その単調な波の動きを目で追いかけていると頬に暖かい何かが触れた。
暖かいというよりは熱いに近く思わず体を引っ込めた。
「そんなに驚くことないじゃない。ただのホットコーヒーよ。今日のお礼に。」
「お礼に缶コーヒーとは随分安上がりだな。ケケケ。」
「もうっ。あーあ、せっかくだから海に癒されてこようっと。」
サンダルを片手で持ち裸足で砂の上を駆けていく姉崎を5、6歩遅れで追いかける。
自分の瞳と同じ蒼と戯れるのはどんな気分なのだろうか。
姉崎の足もとをくすぐるように濡らし、すぐに逃げていく。
子供同士の戯れを見ている気分だ。
「ヒル魔くんも裸足になろうよ!楽しいよー!」
あははっ、と笑いながら本当に
楽しそうにしている姉崎を見ていると穏やかになっていくのを感じる。
それは姉崎のおかげなのか海のおかげなのか。
癒しを求めて来たわけではないのに知らない間に癒されているようだ。
裸足になるのはごめんだがもう少し波に近づくのもいいかもしれない。
砂に自分の足跡を刻みながら二つの蒼との距離を縮めていく。
「もう少ししたら日が昇るかしら?」
「曇ってるからどうだかな。もう満足だろ。」
「そうね…。大満足!付き合ってくれてありがとうヒル魔くん。」
「…なんかあったのか?」
「うーん…特になにかあったってわけじゃないんだけど…。アルバムを見てたら、ね…。懐かしくなっちゃって。」
「お前は懐かしくなると海が見たくなんのかよ。」
変わってんなと一言付け加えてやれば余計なお世話よと返された。
「素敵な高校時代だったな…。ほんの少し前のことなのにね。綺麗な思い出になっちゃった。みんなとアメフトを通して知り合えた。一つの目標をみんなで追いかけた。泣いたり笑ったり、共有する感情があった。」
思い出すようにひとつひとつ語る姉崎の声が耳に波の音と混ざって流れ込んでくる。
「そして、ヒル魔くんに逢えた…。」
「…。」
「あ、何が言いたいんだって思ったでしょ?」
「わかってんならはっきり言いやがれ。」
「幸せなの。私今、とっても幸せ…。」
ありがとう、と言われ俺は返事の代わりに唇を重ねた。
頬に手を添え深く優しく…。
今にも雨が降りそうな空の下、暗闇の海を背にして温もりを感じた。
塩気を含んだ風を全身に浴びながら幸せに浸かってると、この世界には俺たち以外は存在しないかのような錯覚さえする。
「来年も海に来ようね。」
「夜中に呼び出すのは無しだからな。」
朝日を見れる確率なんて低いことはわかっているのに座り込んで太陽を待った。
来年の約束を交わしながら…。
■END■
アトガキモドキ
大学生くらいの設定で。
とりあえず海のお話を書きたかっただけ。
甘い…二人になってたらいいなぁ。