女神の祈り

□土翁と空夜のアリア
3ページ/3ページ


光を求め重力に従いながら老人と少女は滑り降りる。
すると少女は壁に爪を立てると凄まじいうなりを上げ、次第に速度は緩やかになっていく。
隠し通路を抜け勢いよく砂地に突っ込む二人。
砂煙が雲のように立ち上がった。
「大丈夫?グゾル」
「ああ…ララが落ちるスピードを緩めてくれたからたいした衝撃じゃあなかったよ」
彼の無事を確認すると少女は胸を撫で下ろした。
摩擦で耐え切れなかった彼女の腕は、熱を含み大きく変形していた。
「!ララ、腕を潰してしまったのか!?」
「いいの全然、どうせグゾルが動かなくなったら私も動くなくなるんだもの。それまでもてばいいの」
そう言い切る彼女の傍らでグゾルは咽び上げた。
「グゾル!?」
ララが近寄ると彼は口元を抑え荒い呼吸を繰り返す。
指の隙間から滴り落ちるそれは乾燥したそこには不釣り合いなほどに。
「グゾル…もう時間はないのね」
乱れる身体を優しく温かく包み込むさまはをまるで母親のようだった。
「私に何か出来ることはない…?」
「歌って…?僕の為に子守歌を…愛しのアリア…」
それはひどく美しい旋律の造花の子守歌であった。
かつてマテールは「神に見離された土地」と呼ばれていた。
絶望に生きる民達はそれを忘れる為、人形を造ったのである。
踊りを舞い歌を奏でる快楽人形を…
その光景を見つめている者がいることなど、愛し合う二人は気づく余裕はなかった。
「あんたが人形なんだね、お嬢さん?」
音もなく現れたシェイドを鋭い眼差しで睨み付ける。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。あいつらみたいにあんたの心臓を奪おうなんて考えちゃいないさ」
断言するシェイドは手近な岩に腰掛けると、ついでに精巧な装飾をあしらった分厚いコートを脱ぎ捨てた。
「どうして私が人形だとわかったの?」
逃げられないと観念した少女は質問を投げかけた。
「あんたを抱きかかえた時にね、人肌の温度じゃないなってね。あれは冷たくなった人間、つまり死人の体温だと気付いた。でもゾンビじゃあるまいし死人がウロウロ歩くわけない。恐らく人形だろうと。それから咳。人形にとって咳は必要ないでしょ?だって踊りを舞い歌を奏でる快楽人形は動物的な行為があったら、本来の存在意義のそれが果たせないからね。そこのご老人が人間、あんたが人形だと結論に至ったわけだ」
少女が白だと裏付けた決定打を捲くし立てるシェイドにララ同様に唖然とするグゾル。
「アクマやあいつらから掻い潜ってきたんだ、それなりのワケがあるんでしょ?」
「どうして私達を助けてくれるの…?」
自分の命を奪うことが目的であるはずなのに、行動に移すどころか無気力なエクソシストにララは首を傾げた。
―――助ける…か
「それは語弊があるね。俺の気紛れだよ。イノセンスを保護とかアクマの破壊とか俺には関係ないし。何のメリットもないからね。だから任務遂行とか考えていないんだ」
と桁外れの言動を起こす彼を見て少女は破顔した。
「あなたって面白い人なのね。あの髪の長い人と違って冗談も多いし。何だかとても不思議ね」
嫌味にも取れる言葉だが鈴を転がすような彼女の笑声が憎めなくて、そのいじらしさに魅了され思わずこちらも笑みを零してしまう。
―――本当にイノセンスは不思議なモノだな。
まるで本物の人間のように感情を持ち、人間に執拗な感情を示すだのから。
「私はララ。マテールの住人よ。五百年も前からずっとここにいるの」
感情を持つ人形――
少々興味はあるのだがいずれは消え行く運命。
そんな儚い人形にシェイドは後ろめたさを感じた。
何故、ひとつの命が消えるという自然界の陳腐な事象に固執するのか。
次第に胸に積もってくいわだかまりは、施しようがない程に溢れ返ってしまったのだ。
「ねえ、折角だからあんたの歌声聞かせてよ。そこの彼、もう長くないんでしょ?だったら歌ってあげなよ」
とシェイドが提案してからかれこれ数十分が経とうとしている。
―――何であんなことを言ったのだろうか…?
今までこんなに何かに執着したことはあっただろうか?
アイツ、クロスの命令なんて言われるがままに遂行してきて、いちいち情を抱いたりしたことはなかった。
人の死なんてサイクルなのだから日常茶飯事なのにココロのどこかで躊躇われる。
醜い顔の老人とイノセンスに寄生されたただの人形なのに…
なぜこんなにも胸に引っかかっるのか?
得体の知れないモノが蛆のように体中に這いつくばって、さらに頭の中もぐるぐる回って卒倒でも起こすほどに脳みそが侵されていく。
荒んだ俺のココロを浄化するようにララの歌声が澄み渡って、母親に抱かれる優しい温もりはまさに特効薬だった。
―――なんて美しい旋律なんだ…なんだかとても心地良い…
自然と落ちていく瞼を受け流して体制を崩す。
ひとしきり歌い終えたララは膝に頭を乗せたグゾルを覗き込むと、彼女のウェーブのかかったブロンドが肩口から滑り落ちる。
「グゾル、具合はどう?」
「ああ、ララの歌を聞いたからだいぶ楽になったよ」
「そう、よかった」
本当に彼らは互いを想い合っている。
できるなら一緒に死を迎えさせてあげたいが現実問題、そうはいかないのだ。
シェイドは無造作に畳まれた漆黒のコートを一瞥する。
遅かれ早かれ必ず訪れる悲劇を見据えながらシェイドは、密かに息を吐くのだった。

The end


†‐†‐†
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ