短編小説

□ジュノー
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 ふたりで暮らしたあの部屋はいまはもう、ないよ。

























 ウェディングドレスも白無垢もない、ふたりで新品のスーツを着て、結婚式をした。

 招待客も誓う神もなく、あるのは大きなホールのケーキだけ。
 いちごのたくさん乗ったそれは甘い甘い、しあわせの味がした。

「これから一緒に暮らすんだな」

 社会人になって、お互いの会社から近い部屋を借りた。
 ふたりで住むにはすこし狭いその部屋の、新入社員が払うには高い家賃。オレ達は躊躇いなく共同生活をすることを決めた。


「坂田十四郎になってください」

「べたべただなてめえは」
「なってよ」
「土方銀時のほうがかっこいい」
「ゴツいよ」
「ゴツいな」



 冗談だけど本気だったんだ。





 朝ごはんは交互に作って、ゴミ出しは一週間交代。夜は一緒に好きな物を作る。
 料理は断然オレのほうが上手かったけどあいつのほうが早起きだったから、時折オレが当番の日も朝食を用意してくれた。
 炊飯器が上手に炊いてくれた米と、味のまだらな味噌汁。作り置きの煮物なんかを並べている背中を眺めて起きる幸福。

「洋食派っぽい顔してんのにね。土方」

 朝日に眩しい綺麗な顔が味噌汁をすする。

「てめーが和食和食って言うからだろ」
「…味噌汁うまいよ」
「嘘つくな」
「ほんとだって。マヨかけてたらわかんねえだろ」
「わかる…わかめの塩抜きがあまい」
「マヨかけてんのにわかんの!?あと油揚げは油抜きね」
「忘れてた」
「うん。でもうまいし、いいんじゃね」

 あいつがはじめて人並みに作ってみせたのは筑前煮だった。馬鹿丁寧な行程を経て煮られた形の揃った人参椎茸蒟蒻筍鶏肉。出汁と材料と調味料も馬鹿丁寧に調和していて、目分量で奇跡の味を生み出すオレの料理とは正反対の味がした。

「でもやっぱり銀時のほうがうめえ」
「愛だよ愛。オレは土方が作ったののほうが好きだもん」
「ばーか」

 筍はえぐくないし、椎茸は傘と石付きを綺麗に分けている。

「がんばったな」


 それからめきめき料理の腕をあげることもなく、結局あいつのレパートリーは片手で足りるくらいにとどまった。
 炒めものは水を出してしまうしシチューは煮詰めてしまうし。
 それに麩を入れて誤魔化すのも牛乳を足すのもオレの仕事。












 オレにとってあの日々は密月だった。
 あいつにとってただのままごとあそびだったのだとしても。














「土方くん」












 空っぽの部屋は信じられないくらいの陰影を持ってオレを拒絶した。

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