短編小説

□雲でゆく
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「土方さん、靴、新しいの買ってあげようか」

 夜明けの河原を二人でへろへろと歩いて帰る途中、金時がオレの履き潰した革靴を見て言った。

 オレは夜勤をこなした帰り、金時は普段通りの退勤時間。夜勤明けは金時と一緒に帰るのがふたりの間の数少ない決まり事のひとつになっている。
 日が昇るのがはやくなった。惜しげもなく光る太陽の光は眩しく、見ているとゆでたまごが食べたくなる。


「確かにそろそろ代えねえとな」

 煙をひと吐きして答えると金時は嬉しそうに顔をほころばせた。

「じゃあ今度プレゼントするね」
「あ?自分で買うよ」

 途端に捨てられた犬みたいな顔をするから、罪悪感がふつふつと沸いてくる。
 こいつの職業を考えればすべて計算ずくの表情なのだろうとわかってはいる。だからといってこんな顔を見て平然としていられるほどオレは大人ではない。いや大人だが。こいつよりは幾つか。

 一夜にしてウン十万かへたしたらウン百万を貢いでしまう女の気持ちもわからなくはない。

 ただその女たちには貢ぎ物をさせるためにある顔が、オレには貢ぎ物をするために向けられている。優越感というか、単純にすこし嬉しい、反面、プレゼントみたいな物で繋いだり繋がれたりするのをすこし悲しいとも思う。

「…そんな顔すんなよ」
「じゃあ今度の休みは二人で買い物行こーね」

 へらん、とした、店では出さないような笑顔。絶対こいつわざとだ。オレがこの顔に弱いことを知ってやがる。

「休みがとれたらな」
「土方さん働きすぎだっての。有給とって出掛けよーぜ」
「えー…」
「嫌そうな顔しないでよ傷つくじゃん」
「ねみぃ…」
「土方さんって寝不足になるとちょっと電波になるよね」
「電波?」
「不思議ちゃん」

 それはお前だ、と思う。
 実際金時は存在自体が不思議だ。どこで生まれたんだか家族はいるんだか、なんでホストになったんだか、なんでオレみたいなのと同じ立地条件だけは良いボロアパートに住んでんだか、全部知らない。
 その代わり金時もオレのことは職業と年齢くらいしか知らない。

「腹減った」
「何食いたい?」
「料理上手くないくせに…」
「ひどい!土方さんよりは上手じゃん」
「オレの茶碗蒸しは完璧だ」
「うん…なぜか卵は使いこなすよね」
「マヨを作ってくれる偉大な食材だからな」
「マカロンとかね」
「マヨ作ると白身余るからな」

 もうすこししたらジョギングや犬の散歩で賑わうであろう河川敷も、いまはオレと金時の二人きり。
 川面にきらめいた朝日は、金時の髪と同じ色。

 何も知らないけど、金時がオレのことを大切にしてくれているのは知っている。オレはただの公務員で金もそんなに持っていないから金蔓にはならない、でも優しくしてくれる。
 愛してくれているなんて思うのは夜勤明けのテンションだからか。

「土方さん、いま可愛いこと考えてたっしょ」
「なんだそれ」
「わかるもんねー。ホストだもん」
「うぜえ。そんなんだから万年最下位ホストなんだよ」
「いやいやナンバーワンですよ。ちゃんと稼いでますよ。なんなら土方さんの一人くらい養えるよ」
「オレは家でずっとマヨ作る生活なんてごめんだ」
「家事って知ってる?」
「火災なら警察じゃなくて消防署行け。放火なら扱ってやる」
「オレの胸に火をつけた放火魔が目の前にいます」
「そりゃあてめえの火の不始末だよ」

 ぐり、と携帯灰皿に煙草を押しつけて、こぼれそうになる笑みを押さえつけた。
 養ってもらうつもりなどさらさらない、が。
 ナンバーワンホストに口説かれるなんて、すこし聞こえが良い。

「ゆでたまごがいい」

「朝飯が?ええ、もうちょっといいもん食べようよ。土方さんのゆでたまごは確かに完璧だけど」
「お前がやれよ」
「ゆでたまご意外とめんどくさいんだもんなー」
「ゆでてるとき転がすのがな」
「うん。絶対途中で寝る」
「ゆですぎると硫黄臭くなるしな」

「うん。土方さん。一緒に住もう」

 携帯灰皿を持っていた手を引かれて、ぎゅう、と握り込まれた。

「……ん、?」

 手を繋いで歩く。

「オレ引っ越すの。もちっとでかいマンションに。稼げるうちに買っとこうと思って」
「そらあ…ホストが住むには汚ぇもんな」
「駅からすこしだけ離れるけど」

 ぶらぶらと歩くままに揺れる手から携帯灰皿がぽとりと落ちた。気がついた金時が拾い上げて、ポケットにしまった。


「土方さんをオレにください」




 朝の日差しに輝く川を背景にした金時はちょっと嘘みたいに綺麗だった。






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