短編小説

□色の無き夜泣き亡きを憂う
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 慣れない他人の家だが、ちいさい風呂は妙に居心地が良い。
 怪我をした腕を庇いながら湯を溜めたばかりの浴槽に浸かると、自然に力が抜けた。

(どうせ明日は非番だったし…。今日の報告書さえ明日中に上げりゃあ良いよな)

 湯に浸からないように上げていた腕の傷はもう血は止まったが、如何せん力が入らない。

(誰か怪我すると報告書めんどうになるしな)

 誰に言うわけでもない言い訳を考えながら鼻先まで湯に顔を沈める。息を吐くと、ぷく、と気泡が水面から上がった。

(風呂上がったら、隊服洗って、んで、乾かないだろうけど、仕方ねえそれ着て。屯所戻ったら報告書書いて、したらぜってー寝る)

 ぷくりともう一度気泡が水面を揺らした。


























「しゃっちょさーん、朝ですよー。さっさと起きてくださいなー」

 土方は声が聞こえると同時に飛び起きて、ぱしゃん、と跳ねた湯が顔を濡らした。熱すぎるほどだった温度がいまはぬるいくらいだ。

「万事屋…」
「ま、まだ夜中だけど。風呂で爆睡はどーよ」
「な、何時間」
「んー?二時間くれえじゃね?オレ一時間半コースだったし」

「…二時間。クソ。つーか腕離しやがれ」

 土方が起きた時に傷口が浴槽に浸からないように腕を握っていた万事屋がむっ、と唇を尖らせた。

「あらら〜怒っちゃうよ銀さん。まずはありがとうでね?」
「うっせえよ、頼んでねえ。大体こんな傷、湯に入ったってしみるだけだろ」

 二の腕までしか力の入らない左手では万事屋を振り払えず、下手に動くこともできずに眉間に力を込めて睨みあげる。

「しみるだけ…ねー。オレが帰って来た時は風呂ん中で血がだだもれてひでぇ状態だったけど?とりあえず腕を心臓より高くして止血して消毒はしたけど」

「頼んでねえ」

「いやいや、さすがに自分ちの風呂で出血多量で意識不明の人間いたら嫌でも助けるだろ」

「嫌なら助けんな」

「だあから、そういう意味じゃねえっつーの。とりあえず、はやく風呂あがらねーと茹だってますます血ィ出んだろ」

 呆れたように万事屋が、風呂のお湯真っ赤なことに気づけよ、と続けて、扉を開けたまま風呂場から出て行った。

(赤?)

 放された腕が力無く垂れ下がり、それが湯に入らないようにと立ち上がると、ちゃぱん、と水面に波紋ができた。
 頭がすこし重いのは、血を流しすぎたせいか。

「あ、隊服も風呂場で洗っとけよ。あと居間の床についた血の染みも拭いといて」

 けろりとした貌で言う銀時に、汚い物を見たように土方は顔を歪めた。

「うるせぇ…」
「はぁ?…つーかこちとら見たくもねえのに何かタイミングでてめえの息子さんと対面しちまってちょっとへこんでんだからはやくタオルまけー」
「ほんと……うぜえ」

 再び血が滴り出した傷口を掌で押さえて浴槽から出た。流石にこれ以上の出血は不味いと経験則でわかっていた。

「だから君は何故僕の前でフルチンでそんな堂々としてるんですか露出狂ですか。モザイク処理すんぞこのやろー。ついでに顔にもモザイクかけて猥褻物扱いしてやろーかこのやろー」

「隊服洗ったら着て帰る」

 傷から手を離してみると今度の出血量はそう多くはない。銀時の言う通りのぼせただけだろう。

「………神楽の服着る?」
「包帯よこせ」
「え!?包帯着るの?」
「傷に巻くに決まってんだろうが。チャイナの服も着るわけねえだろ」
「んだよー。トッシーなら中華少女パパイヤちゃんのコスプレだって喜んだだろーに」
「…あいつの話はすんな」

 心底不機嫌になる土方に向かって銀時は煽るように笑う。

「ぶっふ、トッシー…、ぷぷ、く」
「どうやら死にてえようだな。いまさら一人犠牲者が増えた所で明日の報告書に一行増えるだけだ」
「片腕じゃ銀さんは倒せねーっつの。オレの服なんか貸してやっから体拭いたら来い」

 銀時はタオルを押し付けて今度こそ風呂場から出て行き、断る土方の声も聞かずに脱衣場を出た。

(んだ、あの野郎)

 実際助かるので追いかけはせずにタオルに顔を埋めた。

(白)

 こすりつけた頬に使い古したタオルのごわついた感触がした。

(貧乏人…。つーか服ってあの白い着流しじゃねえだろうな)

 土方は風呂の洗い場に隊服を放りこんで適当に水に浸けると、腰にタオルを巻いて、刀だけを持って居間まで向かった。


 感覚の無い腕が意識と関係なくわずかに震えた。
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