短編小説
□色の無き夜泣き亡きを憂う
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「どーれがい?」
銀時が居間に広げた着流しと作務衣数枚を興味薄く眺める。
土方の好みではなかったがこの際そんなことはどうでもいい。
「着れればなんでもいい」
「じゃ神楽のでいーじゃねえか」
「入んねーだろーが…ボケ」
銀時との会話は疲れる。血を流したあと特有の倦怠感に包まれた頭が痛むので右手の甲で額を抑えた土方に、銀時が紺の浴衣を広げて見せる。
「お、これなら地味だし土方くんにも似合うよきっと」
地味ってなんだ、と言いかけた土方の身体が、突然ぐらり揺れた。視界が流転する、血だ、血が足りないのだ、と頭で誰かが喚いている。血?血が足りないのか、とまた誰かが頭で叫んでいる。
「ちょ、土方」
吐き気とともに込み上げてくる不吉な欲望が、血の足りない土方の頭を廻って吐き出てしまいそうになる。
床に這いつくばったまま、額を擦りつけて、唇を噛む。
「うわ、タオルとれてるし。いやいやまたフルチンタイム?スーパーフルチンタイムだよこれ?二回目だよフルチン。ニコチンコかおめえは」
銀時の声は、低く低く床より地より低くから湧き出てくるように土方を舐める。錯覚だ錯覚だ、と土方は目を瞑る。
血を欲する声が止まらない。
「あ…、あ、やべえ、離れ、離れろ」
「え?なに?ゲロ?」
銀時は浴衣を土方にかけて背をさすった。人肌が背骨の凹凸を滑る。血の通った肌が、こんなにすぐ、傍に。
右手で持った刀の鞘が、掌に驚くほど軽い。握る力を弛めて手を移動させ、柄まで来たとき一気に振り抜いた。
鞘が床にはねた音が驚くほど重い。
「っ!!、ちょ、なにしやがんだコノヤロー」
土方の手には、肉を薄く斬った感触しかない。大きく跳び退いた銀時を再び這った姿勢のまま薙いだ。
「おい土方!?」
「血が、…あ、足りねぇ」
指先が青褪めて生命維持の警鈴が鳴るほどに、誰かの血を奪わねばならないと強迫観念にも似た抑えがたい感情が沸く。
生きたいのであれば殺さねば、と、意識の飛びかかった土方の脳内にはがんがんとそれだけが響く。
「土方!いい加減大人しくしねえと怒んぞ!」
びゅうと風を斬る土方の刀は、切っ先すら銀時に届かない。それでも斬るごとに救われるような心地がした。開いた左腕の傷からぱたぱたと血が飛ぶ。
「…は、はァ」
徐々に体力が削りとられて息が荒くなる。振るった重みに耐えきれず柄から手が離れて、床を滑った刀がガチャンガランと嫌な音をたてた。
追う土方を正面から、銀時が抱き止めるように抑え込む。
「土方!落ち着け!ここにゃもう敵はいねェ!」
「あ…あ!」
ほとんど我を忘れた土方は腕のなかでもがき、解けることがないとわかると銀時の首筋に深く噛みついた。
「っ、」
がっぷり食い込んだ犬歯が肌を突き破り血が溢れ出す。土方が滅茶苦茶に暴れまわるせいで傷が深さを増してゆく。
「大人、しくしろこの駄犬!!」
暴れる躯を抑えてなるべくダメージの少ないようにと正確に鳩尾に膝をめり込ませると、それでようやく土方の動きが止まった。
「いっつつ…ちょ、せめて口放して気絶しろっつーの…」
かぱりと肩から土方を離すと、虚ろで、だが敵意を保ったままの土方の目と目が合う。
その見覚えのある、身に覚えのある目に銀時の古傷が痛む。
「…血、を」
色を失った唇が病んだ声ばかりを吐き出して、求めて手を伸ばすたびに滴り落ちていく血の痕だけが部屋の間抜けな白熱灯のもとにぬらりと嘲笑うように赤かった。
「落ち着け、いま止血したら救急車呼ぶから、輸血してもらえ」
銀時は血が足りず冷えていく土方の躯を抱きながら、その素肌に手にとれるだけの衣服を被せる。腕の傷は縛るより圧迫したほうが無難と見て処置を施そうとまわしていた腕を離す間際、土方がかちりと歯を鳴らした。
「まだ噛むつもりかてめーは」
力の無い音に呆れて笑いながら、いまの土方に人の体温は辛いだろうと身を離す。床に土方の頭を下ろすと、かちり、また歯が鳴った。
「死なねーから大丈夫だ」
戦争では言うことのできなかった、だが言ってやりたかったその言葉をかける相手がいる。死なせないのだ。自身は負け戦に置いてきた獣を、まだ持たなければならない日常に生きる土方に、銀時はそれ以上は何も言わなかった。
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