短編小説

□色の無き夜泣き亡きを憂う
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 夢なのか。

 白っぽい視界にはひとの姿は見えず、土方ひとりだけしかいない。息が妙に重い。
 腰に違和感を感じて手で探ると刀がなかった。途端に胃の底がひやりとするが、こんなに重い躯ではどちらにせよ斬り合いになって生きてはいられないだろうと息を吐いた。

 天国なんだろうか。

 思ってから、まさか、と笑った。地獄ならまだしもこんなふわふわした場所で死後を過ごせるはずはない。そもそも死後の世界を本気で信じられるほどおめでたい頭はしていない。

 立っている感覚はなく浮いているようだった。沈んでいるようでもある。

 白は光を抱えてぼんやりと形を成さずにたゆたっている。
 その白の奥に、不意に赤い飛沫が張り付いた。その色は目の前に迫って来て土方の顔をも濡らす。頬にぬるい温度。これは血なんだろうか。
 白を透かしてだんだんと輪郭をあらわしてきたのは戦場の風景だった。

 さらに目を凝らすと赤は誰かの流す血の混じった泪だと気づく。誰かは全身血に汚れて、それでも全身で何かを抱えていた。抱えているものが死体だというのは判断に難くない。夥しい量の血を流して弛緩した躯。いまはたとえ生きていても、後数時間も生きてはいられないだろう、その骸。
 土方は目だけがそこにあるかのようにその光景を俯瞰していた。

 死体を抱えた誰かは泣きながら刀を振るっては何処かを目指して歩いている。敵も味方も多くはない。味方は、いないのかもしれない。斬りかかる者たちは、皆その誰かの鮮やかな一太刀で崩折れていく。
 死体を抱えた誰かが、人知を超えて強いということだけが土方にもわかった。

 頭から血を被った誰かは、腕からすり抜けそうになる死体を抱えなおしてはまだ助ける手だてがあると信じているように刀を振るい歩き続けた。

 捨てればいい、と土方は思った。死体など捨て置いて、逃げ場があるのならそこへいけばいい。それとも逃げる場所などないのだろうか。ならば余計に邪魔なものは見捨てるべきだ。それとも抱えた死体は誰かにとって大切な人なのだろうか。もしかしたら、最後の仲間なのだろうか。

 微かに声が聞こえた。おそらく土方以外誰にも聞こえないような、声にならない声で。だがはっきりと、それは聞こえた。

『死なねーから大丈夫だ』

 それは自分に言い聞かせているのか、腕のなかの死体に言っているのか判然としない。
 こんなに力の無い、大丈夫、を聞いたのははじめてだった。土方は思わず笑った。ああ、お前だったのか、と頬が緩んだ。
 血に染まると銀も赤黒くなってしまうのだと知って、やはり酷く刀に似ているように思った。
 刀が鋼の色を保っていられるのはほんの僅かな間だ。数人斬れば血脂でもう刀は光沢を無くす。払っても払っても、血の滴は刀に染みついてとれなくなる。

 眼下の万事屋は、いやこれから万事屋になるであろう、やはりまだ土方の知り得ぬ誰かは歩みを遅くして一瞬よろめいた。周りにはもう、生きている者は誰一人としていない。銀時は刀を捨てると、両の手で死体を抱いてまた歩き出した。

 捨てないのかと、土方は瞑目するしかなかった。死んだ人間だった物の重みを思うと息が詰まった。抱えた銀時が手放せないそれの冷たさを、血の無い躯の恐ろしさを思うと引き絞られるように胸が痛んだ。

 血の混じった赤い泪が再び何処からか降り始めて、もう一度、声が聞こえた。

 それは先刻よりもはっきりと輪郭を持って土方の脳内に反響する。

『大丈夫だ』

 反響はだんだん大きくなって耳鳴りがした。ほとんど無音だった戦場の風景に重なるように風の音が聞こえて雨の音が落ち込んで断ち切るように再び声が言った。

『大丈夫だ』

 しん、と音が絶えて、同時に身体全体の感覚が戻って来る。左の腕が痛んで、身じろぎするとシーツの擦れる感触がした。瞼が下がっていたことを知りゆっくり開くと、視界には銀色。
 頬に冷たい温度。

 そこは病室だった。
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