短編小説
□声が足りない
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「坂田」
後頭部に結構な痛みを感じて銀時は目を開けた。
顔を上げると教科書の角を容赦なく振り下ろした手が見えて、次いでそれが繋がるシャツに隠された細い腕が見えて、最後に怒ったような困ったような、曖昧な顔をした土方の顔が見えた。
「痛ェ…」
寝起きでうまく出ない声を絞り出すと再びがつんと頭に遠慮のない一撃が降る。
「ちょ、受験生の脳細胞が死滅する!」
「死ね。死んでしまえ」
「それ教師が言って大丈夫?」
「まずいから死ね」
「暴君!!」
くすくすと教室に控えめな笑いが広がる。時計を見ると五限目も残り五分を切っていた。
「お前、このまえの中間だってぎりぎりだったのに、こんなんじゃ期末危ないぞ」
先刻とは打って変わって教師の顔になった土方はややあってから、放課後数学準備室に来いといって銀時の席から離れた。
鳴り響いたチャイム音が軽々しく授業の終わりを告げた。
++++
「せんせ」
教卓に突っ伏した土方の腰に手をあてて、深く挿入したまま銀時は土方の耳元で囁く。
指を咥内にくわえこんで声を出すまいとしている土方は弾かれたようにびくんと震えた。
きつく閉じられた眦から溢れている涙がからからに乾いた喉を潤す水に見えて、銀時は舌ですくい上げた。それは塩辛く不思議な、嫌ではないが旨くもなく喉よりももっと奥に引っかかる味だ。
土方の他にも数名の数学教師がいる準備室から空き教室に移動したのは補習をするためだった。
三単位落としたら卒業できないんだからな、と念を押されて。頭ごなしに怒鳴られるより諭されるように叱られたほうが効く。
すっかりしょぼくれた銀時は、じゃあ勉強教えてくれと言って空き教室へと誘ったのだ。そのときは何の他意もなく、卒業できないのはさすがに御免だと思っただけ。
数学からはじまって、果ては英語、歴史まで。銀時がいままで理解しえなかったことをさらさらと説明する土方は、勉強でつまづいたことなどないのだろうなと思わせた。
つまり分かりにくい。
頭の良い人間が教え上手であるとは限らないとはよく言ったもので、土方はその典型にあるらしい。
教室で聞くよりは、相手を意識した話しぶりのおかげか幾分頭に入っては来るものの、説明の半分も理解できない。
素直にそう言うと、いつものように怒り出すかと思えば、土方は大層切なそうに笑った。
「お前がオレの授業取ってくれて、嬉しかったんだけどな」
英語のテキストを手に笑ってみせた土方を黒板に追いつめて無理やりにキスをして、なにがなんだかわからないまま欲望に急かされて押し倒した。
ジェットコースターに乗ってしまったときの気分だった。
こんなはずじゃなかったと頭のどこかが叫んでいる。ずっと待っていたこの瞬間は、こんなふうに訪れるはずではなかったのに。
気づけば苦しげに泣く土方のなかにいたなどと言ったら、あまりに嘘臭いか。
「先生、」
呼んでも土方は一言も返そうとはしない。それは当然のことだ。
もしいま土方の口から指を抜き取ったら快感からだろうが苦痛からだろうが絶叫が出てしまう。そうすればいかに放課後で人気のない校舎であっとも誰かが気づいてしまうかもしれない。鍵などかけていない教室では、無音であろうと情事に至ること自体が無謀なのだ。
「ん……っく」
じゅくじゅくと口の端から唾液が出て教卓を濡らす。瞼がいまはうっすらと開いていて、涙の膜が張った瞳はきらきら光るのにいつもの意志の見えないビー玉のようなそれが見えた。
その色があまりに綺麗だったから抉って自分のものにしてしまいたくなる。
ねじ込んだ自身がぎちぎちに土方のなかを圧迫していて、硬い机に擦れた土方の自身にも高ぶりが見られた。
「…せんせいんなか、やべえ、」
気持ちいいよ、と言うときゅうとさらに締まる。それがわかったのか真っ赤になる土方が愛おしくて、首筋や背中にやたらめったら赤くキスマークを付けてゆく。