過去拍手小説
□キャンディレイン
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「降っちゃったねえ」
「……」
「ま、でも仕方ないよね。梅雨だもん」
「……」
「…あ、くそ火つかねえし。しけってるよこのやろー。ちょ、一本ちょーだい」
「……うざいです」
土方は不思議でならなかった。
なぜ雨降りの屋上の、屋根のある狭い一角を分け合うようにして特に仲良くもない男と並んで座らねばならないのか。しかも今は授業中。さらにこの男は教師であるはずなのに、生徒であるはずの土方の隣で煙草を所望している。
土方の人差し指と中指はしっかりと先端に火の灯った煙草を挟んでいるのにも関わらず、坂田銀八は注意をするどころかよこせと言うのだ。
「いーじゃねえか。なー何吸ってんの?あ、マルボロ?」
「…レロレロキャンディです」
「ぶは、煙は出ません〜ってか?」
端から見ればただの柄の悪い学生二人組のようだが、土方は学年一の秀才で通っている。
なんなんだか、とため息を吐いて気を緩めた隙に、銀八が器用に土方の指から煙草を抜き取った。
「あ」
抜かれた煙草は銀八の唇に押し当てられて、先刻まで土方の肺を満たしていた紫煙は当然の結果として銀八の肺のなかへ吸い込まれる。
「高校生はもっと軽いの吸おうよー」
「…軽いのでいいなら空気吸やいいじゃないですか」
「えー…。未成年の吸う空気には夢と希望が詰まってるだろうけど、オレはだめだねえ」
晴れの日より数倍重い空気を静かに吸えども吸えども希望なんて含まれていそうにない。むしろ副流煙で肺が汚れていくようだ。
「そんなん詰まってないです」
「どうした未成年ー」
「説教するくらいならチクればいいじゃないですか」
「オレが言っても信じてもらえないでしょーが。土方くんオレ以外には良い子ちゃんだし」
嘘つけ、と土方は内心悪態をついた。たとえどんなに信用の薄い教師だろうと、生徒と比べてどちらの言葉に信憑性があるかなど明白だ。
それに土方は成績は良いが人付き合いは下手だから、教師たちから特別信頼されているわけではない。
「早死にしちゃうよ?」
「先生よりは長生きします」
「そりゃあね。オレより若いしね」
「…先生は糖尿とモク中併発してきっと早死にします」
「ちょ、土方くーん。言葉の暴力だよー」
傷つくわーと言いつつ旨そうに煙を吸う銀八が何を考えているのだか、土方には見当もつかない。
「…授業はいいんですか」
「あー、そうだねー。つーか土方、今の時間オレの授業だよな?」
「そうですけど」
「オレの授業つまんない?」
土方が一瞬間を空けて、しかし肯くと銀八は笑った。
大人の余裕、を体現してみせる笑みは土方の神経を逆撫でする。
「頭いーもんな」
「だから何だっていうんですか」
棘を含ませた言葉を銀八はへらりとした笑みひとつでかわして、ますます土方を苛立たせた。
「オレ、国語嫌いです」
「あそぉ」
「あんたも嫌いです」
「おー言うね」
なんとも思わないのか、と舌打ちをしたくなる自分に舌打ちをして、土方は立ち上がった。
「若いっつーのは面倒だね」
「先生だって面倒でしょう」
「わかってるね」
笑顔をいつでも作り上げられるという特殊能力を、大人たちはどこで身につけて行くというのだろうか。
土方だって愛想笑いを知らないわけではない。だがいま浮かべるべき表情など土方の数少ない持ち駒のなかには存在しない。
「オレは土方好きだけどね」
土方の吸いさしの煙草を唇にくわえたまま銀八が事もなげにそう言って、いっそう土方は腹がたった。
「あんたはクラス全員好きでしょう」
「うーん、まあねえ」
「そういうの、卑怯です」
「世渡りには必要なんだよ、卑怯なやり方も」
フィルターぎりぎりまで吸った吸い殻を携帯灰皿に押し付けると、銀八も立ち上がって尻をはたいた。
「土方も三年生なんだから、いいかげん汚い処世術のひとつくらい身につけてごらん」
ね、とすこし高い目線を合わせるように顔をのぞき込まれて、土方はひくりと喉を震わせた。
「……オレは」
処世術。
教育者がいう言葉だろうか。子供扱いされたような、また同時に突き放されたような気にさせる。
制服に包まれた庇護下の羊としてではなく、存在しているのだと。そんな気にさせてくれるのがフィルターごしの苦い空気だった。
「嫌いな奴に嫌いっていってたら、世の中渡っていけないよ?」
言ってなるものかと唇を噛む前にぼろりと口の端から言葉がこぼれ落ちる。
「…す」
卑怯なやり口だ。
「き」
生まれてはじめて発音する音の組み合わせは、意味を成すには間が開きすぎているように思えた。
「…処世術とか、言い訳を使わなくて済むまで、あと半年だから」
「変な言い方しないでください。…それじゃまるで」
まるで本気みたいじゃないですか、と、いう前に、唇に苦い煙草の味がした。
了
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