雨露
□第三話
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努力むなしく、受話器から漏れた怒声であっさりと電話の主を言い当てた新八は、ですよねえと続ける。
「でもよかったですね。電話つながって」
新八なのに上から目線のその言葉にいらっとした銀時は、はやく買い物へ出ろというように、空いた左手をしっしっと振る。
「あんまり土方さん怒らせたらダメですよ。あと電話終わっらちゃんと仕事探してくださいね」
釘をさしてから出て行った新八の後ろ姿の残像に、五回ほどジャーマンスープレックスを決めてから受話器を握りなおす。状況を悟ったらしい土方の疲れた声音が、ため息とともに吐き出された。
『よくわからねえが、またアホなことを…』
「うん、や、さっきまでビルゲイツのように猛烈にパソコンに向かってたけどね。キーボード叩きすぎで壊れて捨てたけど」
『馬鹿だろ』
「そろそろ時代はマックだからな。悔いはねえよ」
『馬鹿なんだな』
「うん、元気?」
『…そこそこにな』
ふ、と土方の息がゆるまる気配がした。
「お仕事おつかれさまダーリン」
『うわキモい…』
「またまた。ちょっと嬉しいくせに」
『今度は飯、食ってから帰る』
「ダーリンそんな口説き文句どこのどいつに教えられたのよー」
黒電話のコードを指先にくるくる巻き付けて、言葉を選ばずにほとほとと話した。
土方のいつにない穏やかさにも銀時の柔らかさにも、ひとしく昼日は注ぐ。
『時間はかかると思う、けど、また行く』
「うー、うん。待ってるよ」
短いが、受話器を置くタイミングだった。空気がつまり雰囲気が、それを伝えていた。
銀時はふうと、肩から力を抜いた。
土方も同じに、重い隊服の肩から人知れずすこし、力を抜いた。
土方は見回りと書類仕事の合間の短い時間、普段ならすぐさま書類に目を通している時間に電話をかけていた。
自室の障子はぴったりと閉まり閉塞的なことこの上ないのに、電話をしているだけでそこにちいさな穴が開いたように思えた。気が楽になれた。
仕事の立て込む時期に私用で、またこれといった用事もなく電話をかけることなんてないから、会話を切り上げる方法がわからない。
それでもそろそろ時間だ。
そろそろ、哀れな首に手向けの花を送れるようにまた働かなくてはならない。
せめてもの時間稼ぎにスカーフに指をいれて弛めて、煙草の箱をとんとんと叩いた。
一本取り出して咥え、火を点けようとライターを探りポケットに入れた手がふと止まった。
(首だけ)
(首だけの死体)
ひっかかっていたその意味。
隊服のポケット、定位置に入ったライター。指が触れて、マヨネーズ型を辿る。
(狙われたのは一般隊士)
(隊長格ではなく)
(隊長は確かに、狙うのは厳しい、が、)
(オレたちと、隊士たちとの、違い)
糸で手繰られたように頭がくんっと前を向いた。
重い隊服の肩から力が抜けた。入った。息が止まった。
「隊服…」
土方は銀時との電話もそのままに、廊下へと続く障子を荒く開けた。
書類を抱えて丁度副長室へ入りかけていた山崎とあやうくぶつかりかけた距離で、土方は吠える。
「いま外廻りしてる隊士は何人いる!」
「…え、ええ…い、まの時間だと三班と四班がそれぞれ見廻りを」
「屯所に集めろ!ヤツらは、首を送って来たんじゃねえ!」
言い終わらぬうちに廊下を走る音が聞こえた。
不吉な足音は戦慄。
「副長!町で人斬りが!」
不吉な彼は真っ黒な隊服の端に黒ずんだ赤を滲ませる。
「…首を送って来たんじゃなく、身体を、隊服を、持ってったんだ…」
電源ボタンを押して通話を切る。
それと時を同じくして万事屋の銀時のもとにも、真選組が江戸の市民を斬殺しているとの報が入っていた。
(おもしろき、こともなき世を)
おもしろく。
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