理想の恋人
□第2話
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まるでなかなか懐かない子猫でも手懐ける様に鴻上は日高に接した。
近付いて、好物を与えて、隙を見て触れて、慣れさせる。
もしかしたら自分は存外寂しかったのかもしれない、と日高は思う。
そうでなければ、自分に好意を持つ男を部屋にあげるなどという愚行は犯さなかっただろう、と。
「我ながら迂闊だなぁ、と思います」
「まぁもう操を立てる相手もいないしいいんじゃない?」
日高を後ろから抱きしめながら鴻上はニヤリと笑った。
「……そうですね」
辛い時に優しくされて、相手の下心を分かっていても縋らずにはいられなかった。
今からでも遅くない。
いやらしく身体を弄る背後の男を蹴飛ばしてしまえ。
そう思う自分と、このまま流されてしまいたいと甘える自分がいた。
日高にとって自分の身体はコンプレックスだった。一目にも触れさせなかったそこを鴻上の手が優しく、しかし無遠慮に触れ、揉んだ。
「そんな所、触って楽しいんですか?」
「うん、張りがあってぷにぷになのに柔らかくて、すごく気持ちいいよ。日高のお腹」
「……」
いかにも興奮していますという声色で鴻上は日高にささやく。
息も少し荒く、爽やかな好青年だったハズの鴻上がまるでヘンタイの痴漢の様だと日高は呆れた。
なるほどそういうフェチなのか、と理解すると鴻上への不信は少し和らいだ。
まさか自分に対して身体目当ての輩が湧くとは思っていなかったけれども、目的が分かっているなら安心できる。
何のために、何故自分なのか、好意があるのか、本物なのか。
不安要素はいくらでもあるが、身体、しかも自分の特徴的な部分へ性的に興奮するとなれば今の日高にとっては大した脅威ではない。
鴻上の言う通り、操を立てるべき相手が既に心変わりをして自分を捨てた後だ。
元々ストレートではあるが真殿の婚約者として生きることを決められてから今に至るまでに覚悟は決まっていた。
今更、同性からの好意や性的に見られることへの抵抗は無いに等しかった。
身持ちは堅かったはずであるのに、今や鴻上は日高の部屋に入り浸り、まるで友人か恋人の様に日常を共にする様になっていた。
寮のそう広くない一人部屋のほとんどを占めるベッドに日高を抱える様に座り、テレビを見たり本を読む日高の邪魔をしたりお菓子を強奪したりするのは既に日常であった。
現在、友達という友達のいない日高にとって、鴻上は年上ではありつつも初めてできた気の置けない友人の様なものとなっていた。
背中に感じる温度は変わらず、ただ少しだけ強くくっついた気がした。
「ホント、どこもかしこもプニプニでホント抱き心地が良いよねぇ」
「……ちょっと」
一応、相手の腕に手を添えて不満の意思は示すが本気で拒む気は無いことが日高の手からは伺えた。
日高にとって鴻上は数少ない友人の様なものになったが、鴻上にとっての日高は好きな人であり、日高もそれは承知はしている。
下心を理解し、常に自身の貞操と天秤に掛けながら男と過ごしているというのに日高は嫌気も刺さずに鴻上と共にある。
「嫌じゃないくせに」
「まぁ……」
他者と触れ合うこと、受け入れられること、求められること。今まで満たされなかった欲が鴻上によって満たされるのを日高は感じた。
服の裾から侵入した不埒な手は初めはソワソワと撫でるだけだったが次第に日高に付いた贅肉を容赦なく揉み始める。
「楽しいんですか、ソレ。デブの腹ですよ」
「コレが良いんだよ。まぁデリケートな部分だから気持ち悪くなったら言ってね」
「別に、大丈夫ですけど」
「そう? じゃあ気持ちいい?」
「ソレは何とも……」
恐らく性感を感じるかという意味で聞かれているのだろうと理解し、日高は困った様に答える。人と触れあうのは気持ちいいがハグをしたり手を繋いだりするのと、今の感覚は変わらない。背中に預ける体重の感覚の心地好さと大した違いは無い様に感じられた。
「触れられるのは好きですけど、性感を感じるかと言われるとあんまり……」
「そう、人肌は好きなんだ」
「まぁ……」
目の前の男に隠し事などする必要は無い。
向こうが勝手に好意を寄せてきただけだ。鴻上を失って日高に困ることは無い。
心地好い体温などもともと日高にもたらされるべきものではない。
鴻上が勝手に与えたソレをもらえるものはもらう程度に受け取る。二度と与えられなくなったとしもソレが日高の生き方なのだ。
「それとも、俺に触れられるのが好き?」
「まぁ、慣れたといえば慣れたんでしょうね。全く知らない人に触れられるのは嫌です」
どっちとも付かない解答。しかし日高には他に答えを持ち合わせていなかった。
「まぁ、知らない人に触られる様なことも僕には無いんですけども」
友人も恋人もいない自分を嘲笑う様に呟けば日高の腹を撫でていた手が引っ込んだ。
「あぁ、別に気にしなくても……」
日高がその続きを言う前に、片方の手は日高を抱きしめ、片方の手が頬を撫でた。
「何度でも言うけど、俺はお前が好きだ。性欲も込みで」
「……」
「何度か言ったが、俺はお前の性格だけに魅かれたワケじゃない。俺はお前みたいな体系の奴が好みだ」
「デブ専って奴ですかね」
「おう。世の中には俺みたいな嗜好の奴はいる。一般的にはウケが悪いかもしれないが、それでもこんだけ無防備なお前が今まで無事だったのは生徒会長の威光だ」
突然出てきた真殿に、胸の辺りがツキリと痛んだ気がした。
「そう、かもしれませんね」
「ソレが無くなって初めに寄ってきた悪い虫が俺だ。そこのとこをよく覚えておけ」
「ぅんっ……」
胴に回った腕が日高を拘束し、頬の手が後ろを向かせる。
逃げることのできない状態で鴻上は酷く優しく日高の唇を奪った。
柔らかいソレがふわりと重ねられた瞬間、日高は何となく瞼を閉じた。
ソレがマナーだと思ったのだ。
「……」
重ねられた時と同じく柔らかい感触が優しく離れていくのを感じて日高はゆっくりと瞼を上げた。
すると、自分から警戒しろと言ったその張本人が少し不安そうにしているのが見えて日高は苦笑いをした。
「僕は逃げませんよ」
「なんで?」
「情です」
そう返された鴻上は眉間に皺を少し寄せた。
「コレが生徒会長でも受け入れていた、と」
「まぁ、彼の場合は僕に拒否権はありませんけど……まぁ、そうですね」
「……」
渋面を作る鴻上に日高は正面に向き直り、ニヤリと笑いかけた。
「で、どうでした?」
「は?」
「正真正銘、処女の唇。美味しかったですか?」
「……」
まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、日高がキスをしたことが無かったと思っていなかったのか、鴻上は目を見開いた。
「悪い」
「……」
「もっと味わうべきだったな」
「……っ!?」
日高が鴻上の謝罪をつまらないと思った瞬間、もう一度、鴻上は日高に口付けた。
ソレは優しくはなく、食らいつく様な強引さで、触れるだけなんてこともない。割り開かれた唇の隙間から侵入した舌がヌルリと絡みつく。
今度は目を閉じることはできなかった。
日高の少し見開いた瞳に映るのはダークブラウンの瞳だった。
太い睫毛に縁どられたソレは欲情が見て取れ、煽り過ぎたかもしれないと日高は少し後悔する。
だからと言って鴻上を拒否するという選択肢を選ぼうとは思えず、日高は慣れないながらに鴻上に応えた。
上顎を撫でられるたびに背筋がゾクゾクして逃げ出したくなる自分を叱咤して、絡め、吸う。
少し息苦しくてジワリと涙の膜が張るがソレすらどこか官能的で気持ちが良い。
鴻上が一通り堪能して満足した頃にはすっかり日高の息は上がってしまい、くてっと鴻上に寄りかかってしまった。
「ふ、ぅ……」
「ごちそうさま」
対して、鴻上は余裕の笑みで日高を見下ろした。
下腹部のソレはお互いに兆していたがこれ以上のことはしないとでも言うかの様に鴻上は日高の頭を優しく撫でた。
子猫を愛玩する様な、幼子に接する親の様なソレは自分の欲を抑えるためにもやっているのだろうと思い、日高は敢えてソレを甘受した。
「おいしかったです?」
「甘すぎ。しょっぱい系も食えば?」
「人の菓子の趣味に文句言わんでください」
to be continue…