夢小説

□青に堕ちる
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「あの…?」
「やっと二人きりになれた」

訝しげに発した言葉はしんと静まり返った部屋の空気に吸い込まれ、聞こえた美声は温かい吐息と共に思いの外そばから聞こえた。
その言葉は初めて言葉を交わした相手から聞かされるものにしては不自然すぎて、しかし彼女の唇がすぐ後ろにあることをまざまざと感じたために、何かが異常だと感じながらも振り向くことはできなかった。
そんな△△の内心など意に介さず、エダは△△の入局年月日、生年月日、出身地
、出身大学、おまけに入っていた部活までそらんじてみせ、最後にフルネームを呼んだ。

「どうして…」

直属の上司ですら覚えているかわからない個人情報まで把握されていることに驚き、口から出てきた言葉はその一言だけだった。
するとエダは耳の後ろでくすりと笑った。それがとても上品で色っぽくて、△△はぴくりと体を震わせた。

「私があなたの視線に気付かないとでも思った?」

その言葉に体が硬直した。

「すれ違う度に頬を染めて。穴が開くほどじっと私を見つめてるくせに、視線を向けた途端に目を逸らす子なんてあなたくらいよ」

――お見通しだったのだ。それどころかこの気持ちも。履歴書にあるような私の情報さえも知っていただなんて。

「ハイスクールに入学する前の子のような、そんな態度を取るあなたのことが気になって調べたら、ふふ。仕事で経験する度に思ってはいたけれど、裏をかくのって愉しいわね。あなたは私があなたのことを知るはずもないと思っているのに、私はあなたを知っている。一つ知ると二つも三つも知りたくなったわ」

身動きが取れない状態で耳元で囁かれ、顔が熱くなっているのがわかった。きっと耳まで真っ赤になっているのをエダはその目で見ているだろう。

「だって、好奇心は誰にでもあるでしょう?人間としてやむを得ないことよ。あなたに知られずにあなたのすべてを掌握するのはとてもスリルがあって楽しかったわ」

饒舌に話を続けるエダとは対照的に、△△は息をするのも忘れたかのようだった。彼女の声は流れ続ける。

「生活リズム、交友関係、趣味、食事内容、癖。今はもうあなたが私を知っている何十倍も、私はあなたのことを知ってるわ。このゲームはあなたにこうして接触したことで終わりを迎えたけれど、でもいいのよ。あなたが気にすることじゃない」

履歴書を見ただけでは知り得ないことまで知っているとでもいう言葉に引っかかり、問いただそうとしたが、いつの間にかエダの両手が△△のスーツの上を這っていて、言葉は喉の奥に引っ込んでしまった。
左手は腰を、右手は尻を舐めるように撫でていく。

「ちょ、っ」
「ねえ、人気のない密室に互いに強い興味を抱いている二人がいて、どうなるのが自然だと思う?」

何か言葉を発しようとしたけれど、喉がカラカラで掠れた息が一つ漏れるだけ。
その様子を知ってか知らずか、エダは△△のジャケットのボタンを外し、ブラウスのそれまでも上から順に外していく。もう体は完全に密着していた。そこから伝わるエダの体温が妙に非現実的に感じる。

「こんなシチュエーションはお好み?それとも……」

エダのしなやかな右手が胸元に入り込んだ。さっきまで冷房の効いた廊下にいたせいか、その指は冷たく、△△は身を震わせた。

「や、めて、ください…」
「後ろからは嫌?それともあなたが攻めたいの?」

エダは楽しそうに笑う。

「違いますっ」
「なぜかしら。あんなに切なく私を呼んでいたのに?」
「え…?」
「生娘みたいな子だと思っていたら、一人であんなにいやらしくなるなんて。私も熱くなったじゃない」

搾り出した制止の言葉に返ってきたのは耳を疑うようなものだった。看過できない言葉を突きつけられ、動揺を隠すことはできなかった。
それが事実だったからだけではない。なぜそれを知っているのか。
しかし先程エダが述べたことを振り返れば容易に想像がついた。ついてしまった。

「まさか、」
「仕掛けさせてもらったわ」

くすりと笑むエダの笑顔はまるで完璧だったが、書棚の方を向いている△△がそれを目にしなかったことは幸いと言っていいかもしれない。この状況下でこの言葉の意味するところを思えば、容赦のなさを湛えたその表情は△△には恐ろしさすら感じられただろう。

驚きと羞恥心で言葉にならない。
食事内容も知っていることから見て、恐らく音声だけでなく映像もなのだろう。
どちらにせよ△△を更なる窮地に立たせたことに変わりないが、そもそも、犯罪だ。

「大丈夫、強請ったりなんてしないから安心して。必要上のことだったのよ。あなたなら許してくれるでしょう?」
「そんなわけないじゃないですか…っ」
「あるわ」

エダは△△の顎に手を添え、自分の方へ向かせようとするが、△△は恥ずかしさから頑なに拒んだ。
だが体を押し返そうとするそれ以上の強い力で抱きすくめられた。

「誰も知らないあなたを知りたかったのよ。この気持ち、あなただってわかるでしょ?」

ぐ、と声が詰まる。
少なくとも自分のことを嫌っているわけではなさそうだが、相手は騙しや策略のプロだ。貶めようとしている可能性も捨てきれないではないか。
それなのに、小さな子供にするように背中をぽんぽんと叩く手のひらがやさしいのはどうしてだろう。
嫌だと言い切れたら簡単なのだろうが、そう言い出せない自分がいた。
言い淀んでいると、心情を察したのかこめかみに柔らかなキスをされた。

「信じられません…っ、なんでこんなことっ…!」
「あなたの頭の中を今までよりも私でいっぱいにさせたいから」

今までの言動と比べるとやけにピュアな感じの言葉がエダの口から優しく出てきて、△△は面食らった。
そうしている間にくるりと半回転させられてエダと向き合う形にさせられる。
そっぽを向いていたが顎を取られて

「こう見えて私って独占欲強いのよ。あなたを完全に私のものにしたいの」

少女漫画にしか出てこないようなセリフを想い人から生の声で聞かされる。
押しに弱いところは△△の欠点の一つであったが、心が揺らぎ始めた彼女にはもう自らを省みる余裕などあるわけがなかった。





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