夢小説

□ひたひたと浸透する毒
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スピンの事務所の前に車を止めたヘックスは長い髪をなびかせて颯爽と中へ入っていった。
私はそれには目もくれず、持参したノートパソコンのキーボードを後部座席でカタカタと叩く。
仲間の二人は体を伸ばすために車から出て、立ち話を始める。私に気を使っているのか当たり障りない話。
さわやかな東欧の風が髪を弄び、視界に散らばるそれを耳にかけた。
今日はどれくらいかかるのだろうと頭の隅でうんざりしつつも仕事を続ける。


仕事に身が入らないのはヘックスのせいだ。
彼女の右腕でさえなければ、情報のために女であることを利用しているこんなところまで私がついて来る必要もないのに。
仕事をしているポーズは取っていても集中などできるはずがない。
早くホテルに戻って昼寝でもしたいなあとか、昨日食べようと思って買っておいたアイスクリームそういえばヘックスに食べられたんだとか、あえてこの場に関係ないことをつらつらと考える。
するといくらもたたない内にさっきヘックスが消えていった扉が再度開いて、行った時と変わらず颯爽とした姿で彼女が戻ってきた。

「行くわよ」

一言そう告げて車に乗り込みエンジンをかける。
次いでいそいそと乗り込むカットスロート二人を待って、ブォンと軽快な音を立てて発車した。

「早かったけど収穫はあったの?」

「あら、嫉妬してくれないのぉ?」

ノートの画面から目を離さずに聞いた私に、ヘックスはつまらない質問を投げかけてくる。

「こんなんで嫉妬してたら身が持たないよ」

「それは残念」

冷めた風を装う私の答えに対し、特に残念そうにするでもなく答えるヘックス。
士気にも関わるから仲間の前ではべたべたしたところを見せないようにしている。
勿論そうあるべきだと思っているし今言ったことには本心も含まれているが、それが少し窮屈な時もあるのは確かだった。
ヘックスの貞操観念について賛成できなくても、それが彼女の持つカードの一つであり、それを選択できるからこそのヘックスで。
そこまでできる彼女の野心が彼女に囚われてやまない理由の一つなだけに、割り切ろうとする気持ちはあれど、私の中の生真面目な感情が追いつかない。
私はもやもやを抱えつつも気持ちを無理矢理仕事モードに切り替えて、彼女から共有される情報に耳を傾けた。



ヘックスとは部屋が空いていれば大体同室で、それは今日も変わらずだったから私は部屋へと戻る彼女から五歩程遅れてホテルの廊下をついていく。
今ここで話すことも特にないしヘックスも黙ったままだから私たちの間には無言の空気が漂う。
ドアを開けて私はダブルのベッドにダイブ。ヘックスはシャワールームに直行した。
私は仕事モードをキープする盾であるかのようにずっと手にしていたノートをベッドサイドに押しやって、シャワールームに背を向けてふて寝を決め込んだ。
そちらから聞こえる水音がやかましい。長い溜息を一つ吐いて目を閉じた。



しばらくしてヘックスが戻ってきて私の後ろに寝そべるのが気配で分かった。

「△△、寝てるの」

無視するがヘックスは呑気に「ちょっと早いけど夕ご飯食べに出ない?」なんて言ってくる。

「うっさい」

足をそのまま後ろに蹴って踵でヘックスのすねを打つ。
大した反抗にはなりはしないのはわかっているけど気が済まない。

「ばーか」

一度呟くと次第に声が大きくなる。

「ヘックスのばか。ばかやろう。きらい」

「昨日私のアイス食べやがったし。信じらんない」

昨日の時点ではそんなに気にならなかったけど罵りついでに付け足しておく。もはや非難できればなんでもいいというわけで。
みんなの前では何も気にしていないように振る舞いはしても、体を使って情報を引き出すことに本心ではそう簡単に割り切れるわけがない。
ヘックスは次々出てくる非難をただただ受け止めている。
何も言い返さないから余計に止まらなくなるのに。
罵詈雑言をぶつけながらそんな風に思っていると、枕にしていた右手をそっと握られた。
途端私は乱暴な気持ちに襲われて、素早く起き上がると彼女に馬乗りになった。
ヘックスにマウントを取るなんてことはそうそうなく、いつも見上げる側だからこうしてみると支配欲が昂るのをまざまざと感じた。
無防備な首はしなやかで、そこに両手をかけて力を込める。ヘックスは抵抗一つせず、むしろ優しげな目で私を見上げる。
そんな彼女がやるせなくて私は奥歯をぎりりと噛んだ。

「こんな風に私の首を絞められるのは世界であなただけよ」

本気でない力の加減は話すことくらい容易に許してしまう。

「ブックマンだって」

「私を殺していいのは△△以外にいないわ」

「ふん。どうだか」

口だけは笑っているような気がするが、憤りと悲しみと独占欲がぐちゃぐちゃに混じって自分が今どんな顔をしているのかよくわからない。
ヘックスも嬉しいのか哀しいのか、曖昧な表情を浮かべて笑った。

「私には△△しかいないのにね」

ヘックスの手が伸びてきて私の頬にそっと触れた。

「私のこと捨てたりなんてしないでね」

相手がいなくたって平気で生きていけるのはヘックスの方だろうに、そんなこと言われるとこれ以上責められなくなる。

――国のために生きるあなたがいつか国に裏切られ続けることに疲れてしまっても、私だけはいつまでもあなたと共にあろうととっくの昔から心に決めてるよ。

あなたのところ以外に私が生きる場所なんてないんだから。
肩を落とした私は最後の抗議の証として爪を立てると、ヘックスは満たされたかのような笑みを浮かべた。






***
14.12.16

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