夢小説

□その手は取れても欲しいものが掴めない
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△△と部屋でワインでも飲もうと、彼女にあてがわれたホテルの一室をノックした。
だが返事はない。今日は△△は非番だがどこかへ出掛けるなどという話は聞いていない。
携帯に電話してもコール音のみで応答はなかった。


「ねぇ、△△知らない?」

「昼間顔見た時は夜に友達と会うって言ってましたよ」


部下の一人に尋ねるとそう返ってきた。
仕事関係の知り合いならまだしもこの国に友人がいるとは初耳だった。
情報屋だった△△を私の部隊に引き入れてまだ日が浅い。それ以前から△△とは色々な話をしているけれど、情報屋になる前の彼女のことは聞いたことがなかったから恐らくその頃の友人なのだろう。
しかしオフとはいえ仕事柄携帯に出ないなんてことは滅多になく、あるとしたら相応の理由がある。
気になった私は部下に一声掛けてホテルを出た。


―――
――


街灯に照らされた石畳の道を車で回る。
あてなどないけれど折り返しが来るまでの潰しだった。
この国を訪れたのは数回目。今までは忙しないスケジュールばかりだったからこの国の料理をろくに味わえなかったが、今回は割とゆっくりできる。
聞いた話ではなかなかいい肉料理を出す店がこの辺にあったはず。
明日辺り△△を連れて行こうかと通り沿いに並ぶレストランへ視線を巡らせていたその時、一軒の店から出てくる彼女の姿を見つけた。けれどその瞬間、私は呆然とした。
そこが例の店だったからだけではない。△△が珍しく着飾っていて、男と至近距離で親密そうに話していたから。
さっきの呼び出しには出られなかったのではなく、あえて出なかったのだと予想がついて、私はすぐに車を脇に停めて外に出る。
タクシーを拾うためか男が△△を歩道に残して離れたその隙に声を掛けた。


「△△」

「ヘックス?!」


私の姿を認めて驚く△△を正面から見る。
いつもとは違う、色気のある化粧をして、身に纏うワンピースはわざわざ買ったのだろうか初めて見たもので、パンプスに至っても彼女は苦手なはずなのにピンヒールを履いている。上から下まで私の見たことのない△△だった。
その時男が戻ってきて、私と△△を見比べて彼女に日本語で話しかける。
△△は私に気を遣ってかそれに英語で仕事仲間だと答えた。


「お会いできて嬉しいです」


△△に紹介された男は流暢な英語で握手を求めてきた。
海外出張に慣れたビジネスマンらしくその仕草は自然で、スーツも上質なものを好んでいるようだ。


「ごめんなさい。握手はしない主義なの」

「これは失礼しました」


私の無礼にも気を悪くすることなく、さらりと流す。
若い割になかなかスマートな男。モテる部類だろうが私にとっては気に入らない。
やはり仕事でこの国を訪れ、二日前にたまたま街中で△△と再会したのだと彼は語る。
と、その時急かすようにクラクションが鳴った。気の短いタクシードライバーらしい。
それを受け男は素直に話を切り上げた。


「それではこの辺で。次はぜひゆっくりお話ししたいですね」


そして△△の名を呼び、彼女の腰に手を回した。△△もそれを受け入れてタクシーに乗り込もうとする。
その光景についに荒々しい感情が限界を超えて、咄嗟に△△の細い手首を掴んだ。
驚いたように振り返る△△をさらに引っ張る。
引力に抗えず男の右手から離れ、二、三歩こちらへ歩み寄る。
呆気にとられている男に言ってやった。


「悪いけど、返してもらうわねぇ」

「ヘックス?!」

「仕事よ。帰りましょう」

「えっ。私今日オフですよ?」

「至急あなたにお願いしたい案件があるの」


それが本当ならしつこく電話を入れて捕まえておくはずなのを△△はわかっている。
だからこそ不審がる。


「ええ?本当ですか?」


なおも飛び出す追求は無視して、行くわよと一言だけ答える。


「せっかくの再会を邪魔しちゃって悪いわねぇ。今度はぜひ私も同席させてねぇ」


男は信じられないと言った顔をしていたが、物分かりのいい人間だとでもいうかのようにすぐに愛想笑いを返した。
仕事という名目を出しさえすれば、普通の日本人はそれ以上引き留めないことを私は知っている。
けれどこんな取って付けたような言い訳はきっと見破られているのだろう。それでも構わない。
去り際に彼の私を見る目を見て、女は男しか好きにならないとでも信じ込んでいそうな男だと思った。
数メートル先に停めてあった車へ向かう間に△△のピンヒールがカツカツ音を立てて、それがやたら私の神経を逆撫でさせる。
助手席へと彼女を押し込んでドアを閉め、運転席に乗り込むとすぐに発進させた。


「至急の仕事って?」


△△は前を向いたまま些か硬い声色で尋ねた。
それには答えず、私も前を見つめて運転に集中している風を装う。
車内の静寂をまた△△が破る。


「酷いですよ、せっかく久しぶりに会った友達なのに」


大方あの男の泊まるホテルに向かうところだったんだろう。最上階のバーでグラスを傾けて、そしてその後のことなんて容易に想像がつく。
だから△△を行かせたくなかった。


「ただの友人との再会の割にはだいぶ気合い入ってるわね」

「な…っ。これは…ドレスコードがある店だったからです!」

「出張先でわざわざ、ねぇ」

「なんだか嫌味ですね」

「…彼のこと好きなの?」

「どうしてそんなこと聞くんですか」


視線が交わることなく続くピリピリとした会話。
私は言った。


「私がこんなことしたのに、言わないとわからない?」


△△への気持ちは日々言葉にしたりボディタッチで小出しにしているというのに、△△が私に向き合ってくれたことは未だない。
そして今も、△△はわかりやすいくらいに怯んだ。
そんな態度にまた少し傷付いて、けれどぐっと堪えて彼女自身の言葉を待つ。
言葉を選んでいるのか暫しの逡巡の後、元彼なのだと△△は告げた。


「彼のこと、別に今でも引きずってるわけじゃないです。ただ知らない街で偶然再会して、ちょっとロマンチックに浸ってただけです」


数年ぶりの再会で盛り上がって、ちょっと開放的な気分になっていたとでも?
それに、別れた当時は引きずったのだと取れる言い方にもハンドルを握る力が強くなる。
△△が過去に愛した男がいたという事実にこんなにも打ちのめされるなんて。
横目で盗み見ると着飾った△△はその姿にセクシーさとキュートさを同時に湛えていた。私たちの両脇を流れていく街灯やネオンに照らされる無表情な横顔はあの男のことを考えているのだろうか。
私以外の人間のために艶めく△△に酷く苛立ち、そして――欲情した。
赤信号にでもなれば無理矢理にでも口付けてしまいたい衝動に駆られる。
しかしそんな時に限って引っかかることもなく、スムーズにホテルの駐車場へと到着した。
エンジンを切り、無音となった車内。ここで初めて△△に顔を向けると、それにつられてか△△もちらりとこちらを見る。
けれど私の目に浮かぶ欲を見抜いたのか、即座に車を降りた。
足早にエントランスへと向かう、遠ざかる△△の後ろ姿を私はただ眺めるしかなかった。



――今までは△△の過去なんて気にならなかったのに。
手に入りようがない過去なんて興味はなかったはずだった。
欲しいのは彼女のこれからで、現在そして未来をいつか私にくれたらそれでいいと思っていた。
なのに昔の男に嫉妬してこんな真似をするなんて。
その結果彼女の態度は硬化してしまった。


「…まいったわねぇ」


ハンドルに突っ伏して、溜息混じりに吐き出した。
その声は我ながら驚く程弱く切ないものだったけれど、苦笑する余裕さえなかった。







***
15.9.27

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