夢小説

□これが殺意ならまだ救われた
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※「始まってすらいないから痛くもない」(大尉夢)の続編です





身も世もなく恋をしていた。
世界の国家たる合衆国の多頭の一つ、CIAの工作員であるあたしが、たった一人の小娘に身を焦がしていた。
とはいえ容姿端麗なあたしがちょっと息を吹きかければ十人中十人がなびく。だから△△だって、あたしの元に来て1か月後にはあたしのものになっていた。
それなのに、今では正直なところ任務すらほっぽってしまいたくなるほどに執着していた。立場とか責任とか全て投げ打って、あたしたちを誰も知らない世界の果てに連れ去ってしまいたいと思うほどに。
何故なら、ああ。簡単に手に入れたものは、簡単に奪われてしまうのが世の摂理なのだろうか。





礼拝堂の掃除をサボって一服していた応接室の窓にオレンジ色の斜光が差し、板張りの床を四角に切り取っている。悪徳の街には珍しく厄介事も持ち込まれず、穏やかな一日で終えられそうだと思いながら煙草の煙を空に吐き出した。
ただ△△の帰りが遅い。予定を一時間ほど過ぎている。探しに行こうかと思ったその時、後方のドアが開いた。

「ただいま戻りました」
「おう、遅かったじゃねーか。なんかトラブったか?」

聞き慣れた澄んだ声に少々ほっとして、あたしはまだ半分ほど残っている煙草を灰皿に押し付けながら背後の△△に答えた。灰皿には彼女を待つ間に吸っていた数本がすでに殻となって残っている。

「…っ、いえ。ちょっとバラライカさんのところで話し込んじゃっただけです」
「フライフェイス、今日はどんなビデオ見てた?」
「そうそうビデオの検閲の時間に当たるわけないじゃないですか。エダも好きですね」

△△は苦笑しながらあたしの正面に座りスーツケースを開く。そこには今日回収してきた小切手やら札束が入っている。

「だっておもしれェじゃんよ。世界で最も敵に回したくない女の一人がちまちまAVチェックしてるんだぜ?」
「もう。そう言うなら担当続けてればよかったじゃないですか」
「……そうだなァ。正直失敗したと思ってるよ」

札束を改めて確認するのに忙しくこちらに目もくれない△△を見つめ、そう呟いたのには理由がある。
ホテル・モスクワのタイ支部ボス、バラライカと彼女の間柄が親密になりすぎているのを感じていた。けれど△△はあたしだけだと信じているし、そんな嫉妬心に狂ってビジネスの関係にまで関与するのは憚られたから、担当をあたしに戻すことなく今日まで来ている。
けれど、あの女とのティータイムをあたしのあずかり知らぬところで、またしても二人だけで楽しく過ごしてきたのかと思うとやはり不愉快だった。

「――え?」
「△△、来い」

あたしの意味深な発言にようやく顔を上げた△△にちょいちょいと手招きすると、勘定していた札束をテーブルに置き、こちらに寄ってくる。
まるで子犬のように素直でこんな裏表のない女、本当なら物足りないはずなのにどうしてか知れば知る程深みに嵌っていった。少女の様な無垢な心とそれに相反する妙に大人びた生来の母性みたいな温かさが、今までこんな辺境の地で働いてきたあたしを癒し、同時にじわじわとスポイルしていったのだろう。
△△は一日外回りをしていたため今日はろくに構えなかった。そんな子供じみた欠乏感を満たすためにも、△△はあたしのものだと再確認するためにも、手を引いて膝の上に座らせる。後頭部を引き寄せ口付けて、腰に触れ、下に下がって尻を撫ぜた時――。

「…っダメ…!」

突然胸を両手で突かれ、あたしは少なからず驚いた。△△がこうしてあたしを拒絶するのは初めてのことだった。
あたしがあまりに呆けた顔をしていたからだろうか。△△は居たたまれなそうに俯いてさっと膝から降りた。

「すみません。汗かいちゃったんで、今日は…」

△△は「ちょっと汗拭ってきますね」とだけ残して足早に部屋を出て行った。
あたしが不信感を抱いたのはこの時だった。



――――
――




△△に何があったのか問い詰めたかったが、ちょうどその日の夜に街を揺るがす騒動が勃発して、数日間はあたしも△△も本国に利益をもたらすためにせっせと仕事をし、それどころじゃなかった。
否、何があったのかはおおよそ見当がついていた。△△だって一端の工作員であるわけだからどんな謀略も騙し討ちもやってのける能力はある。けれどそれは仕事上だけでの話だった。恋愛においては、△△はまるでヴァージンだった。
だからあんな態度を取られれば、△△に何かがあったことはあたしじゃなくても察しがつく。女の勘ってやつか。けれど信じたくなかった。△△がフライフェイス(十中八九そうだろう)と『何か』があったなんてことは信じたくなかったのだ。



△△を家に呼んだのは騒ぎが一段落した日の夜だった。今回もラグーン商会はそこそこ儲け、機嫌のいいレヴィに酒盛りを提案されたが断った。奴はせっかく奢ってやる気になったのにと臍を曲げたが、ロックと上手くやれよとからかったら、うるせえと顔を赤くしていたから内心満更でもないはずだ。
あたしは今夜、△△と大事な話があるのだ。どこの馬の骨とも知れない余所者がトラブルを持ち込んでくれたおかげで、あの日から数日たってしまった。こういう話は間を置くべきじゃないってのに。
△△は何かを察しているのか、部屋に入ってからいつになく動き回っている。目の前のテーブルには△△が用意したウイスキーのボトルとグラス、アイスペールが置かれたが、あたしはそれに手を付ける気は全くなく煙草を吸っていた。△△がキッチンに立って簡単な酒のアテを作ろうとしていた時だった。


「おい。△△」
「はい?」
「――お前、あたしになんか言うことないか?」

ソファに鎮座したあたしが問いかけると△△はこちらに背を向けたまま一瞬静止した。が、すぐに包丁を握り直しパプリカに刃を入れる。

「えー?何だろう。エダの誕生日はまだまだ先だし…。あ、私今回なんかミスっちゃいました?」

私的にはそつなくやれたと思うんですけどねぇ、なんて包丁でトントンと小気味いい音を立てながら白々しく嘯くのが聞こえる。
あたしは思考の端でぼんやり思った。このソファで何度△△を抱いただろうか。△△の汗と体液、嬌声を吸い込んだこのシートには官能の匂いが染み込んでいる。ベッドに移動するのも面倒なくらい愛し合った。△△とはまだ数か月だったが、今までの相手とは比べ物にならない。年上であるプライドのために彼女の前では決してそんな姿は見せないが、身も世もなく溺れていた。
だからあたしが△△と重ね育んだ時間と関係性に土足で入り込み踏みにじることは絶対に許さない。例えそれが誰であろうとも、許すべきではない。
あたしは吸いかけの煙草を灰皿に押し付けた。

「こっち来い」
「…エダ」

きつい声色で命じるとようやくこちらを向いた△△は、壊れそうな瞳をしていた。

「来い」

低い声で静かに恫喝する。△△は怯えた目をしてこちらに歩を進める。あたしの前まで来ると△△は教師に叱られた生徒のように俯いていた。

「言、う、こ、と、は、な、い、の、か?」

一音ずつ強く言うと△△は目を伏せ、あたしから逃げるように視線を逸らした。その態度にイラっとしてあたしは△△の腕を引いてソファに押し倒した。買ったはいいけど手持ちの服と合わせてみると思ってたのと違うと言って、随分前に一度目にしたっきりのストールを毟り取る。
露わになった首筋にはキスマークの痕が残っていた。想定していたこととはいえ、実際に目にしてしまうと想定以上に憎悪と嫌悪が湧いてくる。

「――は。何だよこれ。説明しろ」

△△はポロポロと大粒の涙を零しながら、ごめんなさいと詫びた。そしてフライフェイスに犯されたことを端的に告げた。
薄々予想していたことを△△から告げられて現実のものとなり、同時に△△の泣き顔を見せられたことで体中の毛が逆立つ程のおぞましい感覚がせり上がってくる。けれど口を突いて出たのは△△を責める言葉だった。

「何で言わなかったんだよ。あたしが問い質さなかったらそれを隠したまま、あたしを好きだとこれからも言うつもりだったのか?」

あの女を絶対に許しはしないが、△△の方だってその気にさせるような香気を振り撒いたんだろう。そういったのを無意識でやらかすような女だったし、それが△△の悪しき魅力の一つでもあった。

「怖かったんです。嫌われるんじゃないかと。ごめんなさい…っ」

しゃくりあげながら謝罪の言葉を重ねる△△を見ていると、何故だか愛しさと乱暴な気持ちがない交ぜになったものが湧いてくる。めちゃくちゃに抱きまくってあの女の痕跡を消し去りたいと、そう思った。





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