夢小説

□そしてマリアにあいのことばを
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目を覚まして天井を眺めた。見慣れたそれだけれど私の部屋ではない。通い慣れたエダの部屋だ。ここを訪れたのは夜になってからだけどまだ外からは遠くトゥクトゥクのエンジン音やら人々の話し声が聞こえるからうとうとしていたのは短い時間だろう。
右を向くとエダの裸の背中が相変わらずこちらに向けられていて、それにちくりと胸が痛んだ。何度肌を重ねてもその後にエダはこちらを向いてはくれない。それが私の気持ちに気付いているからなのは私自身よくわかっている。
ならばせめてと目の前に横たわる金色の河に触れようとした時、エダが物言わず起き上がった。美しくいつも見惚れてしまうその金髪は私に触れる余地を与えずにさらりと流れた。
いつもそうだ。いつだってエダは私の手をすり抜けていく。
必要以上に触れ合わずこの部屋以外で行う相手の行動に口を出さない、詮索もしない。それがこの関係の決まり事だと初めに提示されて納得したのは私だし、初めはエダと寝れるだけで十分幸せだった。
けれど常用する麻薬が徐々に物足りなくなっていくようにいつしか体の繋がりだけでは満足できなくなって。今ではエダが他に誰と寝ているのかが気になって仕方がないし、愛し返して欲しいとこんなにも強い欲求を抱えていた。
エダが私に情の一欠片も持ち合わせていなくても、不毛な恋だとわかっていても、今では末期の病のように好きになってしまったのだ。

「△△」
「え?」
「もう終わりにしようぜ」

いつも饒舌なエダだけど行為の後は別人のように寡黙に服を身に纏うのに、珍しく私の名を呼んでくれたと思ったら耳に届いたのはそんな冷えた言葉だった。
どくりと、心臓が鼓動を打つ。主語はない。けれどそれが何を指しているのかはわかる。わかるけれどそんな言葉がエダの口から出てきたことは認めたくなかった。
エダはこちらに背を向けたまま着々と私服を身につけていて表情が見えない。私はなんて答えるべきなのだろう。どうすれば失うものを最小限に留められるだろう。無い頭をフル回転させて考えたけれど、上手い答えは見つからなかった。

「…なんで?」
「こんなこと続けてても無意味だろ」

無意味。今まで過ごした幾多の夜をそう吐き捨てられて私は酷く傷付いた。確かにまともな思考で考えればセフレなんて体だけの関係、健全ではないしエダの言う通りかもしれない。でもエダにそう言われて、私は彼女の心の中に何一つ残すことができなかったのだと改めて思い知らされた。

「お互い無意味ってわかってて始めたんじゃない」

私はエダとの関係が切れてしまうのを恐れてそう答えた。エダの温もりを知ってしまった後では、もう前と同じ付き合いをできる自信がない。ギクシャクしてしまうくらいなら、辛くてもこのままでいたい。
けれどこの関係をスタートした時から私は本気でエダを好きだったから、その時点でもう、行き着く先にあるものは決まっていたのだ。エダが飽きてしまったら、関係を終わらせてしまったら、私とエダとの間にある全てが台無しになることはわかっていたはずなのに微かな可能性に縋ってしまう。
けれど身支度を終えたエダは、

「一つだけ言っとく。お前はこういうの向かねェよ」

そう言ってベッドの下に散らばっていた私の服を拾い上げ、こちらも見ずに投げてよこした。



 ***



屋根を激しいスコールが叩いていた。

「バカか。あたしは」

ベッドの上で数日前の自分を思い出して嗤った。もうすぐ日付が変わる時刻。雨音が煩くて眠れない。否、本当は胸に空いた穴を風が通り過ぎて、そこがとても冷たく痛むからだった。
関係を終わらせたのは自分なのに、この三日間、気付けば△△の温もりを思いながら眠りに就いて△△の温もりを求めて目を覚ました。△△が今まで寝ていた場所に手を滑らせてもそこは冷たく△△の影すら残っていない。一度だって事後に体に触れたことなどないのに今更こんなセンチメンタルだなんて笑える話だ。
抱いた後に寝たふりをしている後ろで△△があたしをずっと見つめていることを知っていた。それでも頑なに寝返りを打たないでいると背を向け指を噛んで泣いていたのも知っていた。視線を合わせて抱きしめてやることも、その細い指を外して優しく口付けることも、やろうと思えばあたしには簡単にできたのに見ないふり聞いていないふりを押し通した。そうすることで本当に目を逸らしていたものは△△を好きだという感情だった。
怖かったのだ。今までこんな気持ちになったことはなかったから。
周囲に期待されて育ちここまでエリートコースを歩いてきた。手に入らないものは何一つ無かったしそれが人の物であろうと向こうからこっちにフラついてくるから、そんなものに執着しろなんて方が土台無理な話。相手に対して強い渇望を感じたことなど今までなかった。けれど△△は違っていた。
これ以上夜を共にしたら自分が自分でなくなってしまいそうで、だから突き放した。
初めは軽い気持ちだったというのに。日本の女は抱いたことがなかったからどんな具合かと、その程度だった。ただ△△があたしに本気で惚れているのは手に取るようにわかっていて、それはセフレにする対象としては不都合な要素ではあったけれど、純真で人を信用しすぎる△△をちょっと傷つけてやりたいという良くない嗜好が働いてしまったのもある。
それが今ではこのザマだ。心底△△を求めている。あたしはいい加減にそれを認めるしかなかった。でなければ胸の穴はどんどん大きくなっていつか心臓を食い潰してしまいそうだった。
今からでも取り返しはつくだろうか。正直な気持ちを曝け出せば、△△との関係はやり直せるだろうか。いやそうじゃない、あたしが望むのは前と同じ関係でもなく、△△の体だけでもなく、そして心だけでもなく、ゼロから始める△△とのすべてだ。
むくりと起き上がって部屋を出る。外に出ると雨音が一際大きく耳に届いて、あたしを突き動かした。アパートメントの階段を駆け下り、躊躇いもなく視界が煙る程の亜熱帯のスコールの中に飛び出す。降りしきる大粒の雨が痛いくらいに肌を打つ。愚かなあたしへの罰のような気がした。



――――
――




△△の家のインターホンを鳴らす。一回目。応答がない。いないのだろうか。二回目。しばし待ったが出てこない。
そりゃそうか。今頃新しい男の腕枕でたおやかな眠りに就いているかもしれない。いるかどうかもわからないのにスコールの中こんな夜中にいきなり押しかけてあたしらしくもない。自分の必死さと現実との温度差が滑稽で低い笑いが漏れた。
帰ろう。そう思って踵を返したその時、背後のドアががちゃりと音を立てた。

「…エダ?」
「あ……」

振り返ると寝間着姿の△△が驚いた表情で立っていた。
たった三日会わなかっただけなのに、三年も会ってないように感じる程に心が熱を持つ。

「どうしたの?そんなびしょ濡れで!待ってて今タオル持ってくる」

そうだ、△△はこんな子なのだ。この街で生きる幾多の女の内一体何人が持ち合わせているか知れない、マリアのような温かさ。 本心ではそれを求めていたくせに蔑ろにしていたあたしを、今もまた包み込もうとしてくれる。
濡れ鼠となっているあたしを見て部屋の中にとって返そうとした△△の手首を咄嗟に掴んだ。

「エダ……?」

きつく握るあたしの手を不思議そうに眺めた後△△はゆっくりとこちらに視線を移す。

「あー、そのさ、…言いたいことがあるんだ」

掌に汗が滲む。いつもふんわりさせている髪は濡れて束になり、服は濡れて体に張り付いて、足元も泥でぐしゃぐしゃでとても見られた姿じゃないけれど、プライドも格好もかなぐり捨てる。今なら神にも祈ろう。
もう後戻りはできない。心臓がドクドクと煩いくらいに脈を打つ。



あたしは震える唇を開いて、そして。





***
16.05.15

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