ぶっく2

□ギプスとセカイ
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ぜぇぜぇと息をきらしながら、一段ずつ慎重に登る。動かない右足を慣れない松葉杖で支えるのは結構辛い。それは、階段となると尚更で。体は重い。でも心は軽かった。死ぬ気はなかった。


プスとセカイ



ニ年に上がってから、あたしは上手く走れなくなっていた。足を動かす前に頭で考えて、記録も全然伸びなくて。なんでお前は陸上をやっているんだ、なんて監督の言葉に、なんでだろう、と思った。別に特別足が速かった訳じゃない。そもそも走るのがそんなに好きだった訳じゃないし、疲れたり汗をかいたりするのはむしろ嫌いだった。後輩や同年のタイムは伸びる。でもあたしはずっと横這い時々下降。もうやめようかと思ったときに弟の運動会があった。久しぶりに、自分から走りたいと思った。走っているときの風が好きだったこととか、そんなちょっとしたことを思い出した途端に、あたしのタイムは伸びた。監督がもう一度あたしにあの言葉を言う。今度ははっきりと答えた。走るのが楽しいからです、と。そんな矢先の事だった。


きっかけはほんの些細なこと。あたしの不注意。階段から見事に落っこちたあたしは右足を骨折した。と言ってもそんなに重症ではないらしくて(すっごい痛かったけど)、若いしすぐ治るよと笑顔で医者が言った。すぐ…と言っても完治にはしばらくかかるらしい。治ってからすぐにはあまり無理な運動は出来ないだろうし、そうなれば選考には絶対間に合わないから、最後の大会には出れないことがもう決まった。周りの同情の目。自由に動かせない右足。練習を見ているとずきずきと痛んだ。走りたいと思った。でもそんなこと言ったって仕方がない。ただ、みんなに気を使わせないように、自分の気持ちがバレないように笑った。笑って、笑って、そのうち全部、どうでもよくなって。馬鹿らしく、なって。


びゅうびゅうと建物の間をすり抜けてきた風が私の髪を靡かせる。子供の頃見つけた廃ビルの屋上。取り壊す計画が建てられているらしく、立ち入り禁止のロープの下をくぐってきた(これが結構大変だった)。屋上にはフェンスも柵も無い。人通りも少ない。思ったよりも高くて、少し目眩がした。高い所は嫌い。寒いのも嫌い。走れないのも嫌い。でも、風は好き。

下を見ていられなくて、空を見た。青い空。あの日と同じ。そのまま目を閉じるとあの日の空が瞼の裏に映った。万国旗がひらひら揺れている、運動会。


――走りたいな。


最初から死ぬ気はなかった。死にたいとも思ってなかった。でも、生きている意味も分からなくて、別に、一生足が動かない訳でもないのに、なにもかもが嫌になって、人生もどうでもよくなって。

びゅうびゅうと風がふく。あたしはこれが感じたかったのかもしれない。からんからん、と松葉杖の音がした。あたしはへたり込んで泣いていた。


「走りたい、」


骨折してから一度も、誰にも言えなかった言葉。あたしは泣いていた。
風はまだ吹いていた。



ー…


ギプスとセカイ/風呂埋葬P

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