ぶっく3

□わたしが家族を知った日
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「それ、笑いながら言うことじゃないですよ」


 何か奇妙なものでも見るような眼をこちらに向けて後輩が言い放つ。笑顔が一瞬凍ったような気がした。






 思い返すともう半年前のことだが、母方の祖父が他界した。もともと体が悪くなってきたこともあって別段急にというわけでもなく、むしろ、良くもったほうだと思う。ただ間の悪いことに、その日私はサークルの合宿の最中だった。
 わたしの所属しているサークルは春と夏の二回、大きな行事として合宿がある。両方とも一週間ほどかかるのだが、祖父が他界したのはそのうちの一方、春合宿の真っ最中であった。



 父からの電話だった。祖父が亡くなって一日たってからの電話だった。葬式には来なくていいから弔電をとのことだった。――祖父が亡くなったのは、ちょうど私の誕生日であった。


 呆然となる。合宿中だから…とわたしに連絡しなかったのは母の気遣いだった。その気遣いがありがたかった。そして泣きそうになった。私の誕生日には母から「誕生日おめでとう。帰ったらお祝いだね」というメールがご丁寧にも絵文字付きで届いていた。母に申し訳なく思った。ありがたいとも思った。わたしは母を想って泣いた。他界した祖父ではなく、母の優しさと辛さを思って泣いた。
 ひとしきり泣き終わると、私は兄に連絡をした。なぜそうしたのか今になってみるとなぜだかよくわからないが、兄に連絡することしか考え付かなかった。兄はわたしにこう言う。死んでしまったものはしょうがない。葬式というのはただの儀式だ。そこに参加するために急いで実家に戻ろうとして、そこでお前が死んだら元も子もない、と。確かにその通りだと思った。

 わたしが帰ろうと決心したのは、実をいうと母に「帰るよ」と一言メールをしたそのあとである。メールをするとすぐさま母から電話がかかってきたのだ。わたしは危ないから無理をしないで、合宿を楽しんでおいでと説得されるものだと思ってその電話に出た。昨日はどこに行ったの?と世間話でそれとなくわたしを元気づけて、お土産期待してるね、とちょっといたずらっこのような声でそう言ってくるのだと、そう思っていた。しかし違った。
 わたしが電話に出ると母は私に「帰るの?」と聞いた。わたしはうんと答える。すると彼女はどうやって帰ってくるだとか、合宿の荷物を運んでこれるかどうかだとか喪服の心配だとかをし始めた。わたしはうんうんと相槌をうちながら、その時初めて心の中で帰ろうという決意を固めた。わたしに一番帰ってきてほしくないのは母だった。母は家族に、祖父が死んだことは絶対に伝えるなと言ってあったらしい。それはもちろん。わたしが心配だからだ。でも、私に一番帰ってきてほしいと望んでいたのも母だった。母が望むのなら、帰ろうと思った。例え一日中電車を乗り継ぐことになっても母のそばにいたいと思った。母のそばにいなければと思った。わたしの誕生日に、祖父が亡くなったその日に「おめでとう」とメールをくれた母にできる唯一のことだと思った。


 葬儀は二日後だった。先輩に「実家に帰らなきゃいけなくなりました」というと深くは聞かず電車の乗り換えを調べてくれた。その気遣いがありがたかった。きっと口に出してこの状態を――祖父が死んだという事実を――説明していたらその場で泣いていただろう。どんな顔をしたらいいのか分からなくて、とりあえず何でもない事のように言っていた気がする。祖父の死は彼らとは関係ないのだから、彼らの心まで重くしようとは思わなかった。


 そうして私は実家へと戻った。始発で合宿先を出たが、実家についたのはもうすっかり日が暮れてからであった。確か、八時とか九時とかだったであろう。本当はもっと時間がかかるはずのところを、最後の電車は特急を使いなさいと母に言われてそうすることにしたのだから、むしろ早く着いたほうなのだ。
 とにかくわたしは、そうして実家へと戻った。


 葬儀は実に形式的だった。何も感じないまま終わった。わたしはお酌もそこそこに妹とともに料理を食べていた。こういう時に思うのだが、大学生になったといっても全然大人の対応なんて出来ない自分が不甲斐なかった。何をしたらいいのか分からなかった。兄たちは来てくれた人たちにお酌をしに行った父と母に着いていたが、正直わたしは自分のやるべきことを見つけられずにいた。はっきり言って役立たずだった。そうだというのに慣れないヒールに疲れていてただ、妹と一緒に料理を食べていただけだった。

 

 
「それ、笑いながら言うことじゃないですよ」


 そういわれたのはその半年後、もう一方の合宿である夏合宿の最中だった。
 春合宿の最中わたしはよくおみくじを引いていたのだが、ちょうど祖父が悪くなったその日、わたしはその日人生初の凶を見事に引き当てていた。しかも旅はよくないとある。そんなことを言われてももうすでに旅真っ最中だった私は大いに困惑し、まさかそんなことになっているだなんて露程も知らず先輩と「やばくないですかこれ!」とはしゃいでいた。


 その教訓だと言ってなぜか我がサークルに所属する皆々は合宿先では御神籤は引かないことにしたらしい。しかし御神籤は言ってみれば神の啓示なわけで、運命はもうすでに決まっているのだから引くも引かないもないんじゃないのか。そんなことを考えながらわたしは「そうそう。わたしが凶引いた日におじいちゃんの体調悪化してたんだよね」と言った。相手は春合宿に参加していなかった後輩だった。その後輩が言ったのだ。怪訝そうな、咎めるような顔で「それ、笑いながら言うことじゃないですよ」と。

 それに私がなんと返したのか、わたしは覚えていない。ただ驚いていた。彼にではなく自分に。そんなことを笑って言った自分に。自分が笑みを浮かべていたことに言われるまで気づかないほど自然にその顔を作っていた自分自身に。

 

 わたしはなにかぞっとするものを感じた。わたしは祖父が死んだことに対する悲しみを全く引きずっていなかった。それは、わたしと祖父が一緒に暮らしていなかったせいもあるだろう。わたしの記憶にある祖父はすっかり衰え、孫のわたしが誰かも認識できないような状態だった。それはどこか映画のワンシーンみたいに、目の当りにしているのにどこか現実味がなかった。祖父の死を、わたしは未だに受け止めていなかった。それどころか祖父の老いさえ、わたしは受け止めてはいなかったのだ。わたしがあの日――父から電話を受けたあの日涙を流したのは、祖父ではなく母を想ってだった。わたしの中の祖父の記憶は薄い。祖父にとって孫は7人もいた。わたしはそのうちの五番目の孫だった。加えて祖父は母の姉家族と暮らしていて、わたしは一緒に暮らしていなかった。別段仲が悪かったわけではないが、特別仲がいいわけでもなかった。わたしと祖父は、気持ちの上では家族ではなかっただろう。きっとどこか、他人であったのだ。

 
 わたしはわたしの非情さに驚愕した。わたしは祖父の死を忘れつつあることに恐怖した。祖父は私の誕生日に死んだ。わたしがおめでとうと言われる日に、母がわたしにおめでとうという日に。そんな日に母の父は死んだのだ。その事実が重かったはずなのに、その事実を忘れていた。それもたった半年。そんな短い期間のうちにわたしは祖父の死を忘れようとしていた。いや、実際忘れかかっていたのだ。非情だった。わたしはどうしようもなく非情だった。



 もしこんなことを亡き祖父が知ったらどう思うんだろう。わたしはその想像すらできないほどに、今はもういない祖父のことをなにも知らない。
 






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