ぶっく3

□棄ててしまいたいんだ。
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惚れたら負けだ。

負けだ。




特別仲が良かったわけではない。ただ、たまたま同じ部署に配属になっただけだった。


優秀で仕事が出来て、気遣いも出来るから上司からも好かれて、憎らしいほどに完璧で。


ずるいなぁ。


顔に似合わないと言われたタバコをふかして、ぼんやりと思考を漂わせる。



最近ずっと同じ事を考えている気がする。寝ても覚めてもなんて言葉があるけれど、きっといまの自分の状態をそう言うのだろう。



キリキリと胃がいたむ。あーぁ。こんなこと、考えていたくないのに。



徐々に短くなっていくタバコは、じわじわと毒に侵されている自分に似ていた。







同期の女の子が倒れた。頑張り屋でしっかりしていて責任感があって。誰かが困っていたら放っておけない、可愛い、とても良い子だ。めったに助けを求めない子だから、一人で頑張って頑張って、頑張りすぎてしまったんだろう。


少し大きなプロジェクトの途中だった。皆の顔に疲労が浮かんでいた。誰もが睡眠不足で余裕がなくて、そんな時だった。





「守槻」


廊下でたまたま声をかけられた。向こうは向こうで別の、こちらよりも大変そうなプロジェクトを進めているところだった。


「谷村さん大丈夫?」



いつの間に知ったのだろう。その男は彼女が倒れたことを知っていて、疲れにはあれがいいだの、こーゆーときはどうした方がいいだの、そんなことを真面目な顔でわたしに教えてきた。彼女のアパートと同じところに住んでいて、わたしが彼女と仲が良いことを知っていたから、それでそんな風に彼女の面倒をみるよう言ってきたのだった。その男は一通り教示し終わると、ちょっと待っててとその場を一旦離れ、そしてすぐに戻ってきた。その手には一本の栄養ドリンクが握られていて、「谷村さんに渡しといて」なんて言葉を最後にして、仕事に戻った。




ふいに吐き気が襲った。




わたしだって疲れていた。わたしだって頑張ったのに。でも、彼女はもっと頑張っていたんだろうということも分かっている。無理をしてしまっていて、側にいたはずの私たちはそれに気が付かないフリをして、それがこの結果に繋がっていることも分かっている。同じ同期の彼からしても彼女が心配になるその気持ちも分かっている。細やかな気遣いが出来るところが彼の凄いところなのだと分かっている。全部全部分かっているのに。




彼女のことは好きだ。人として尊敬できる部分があるし、しっかりしているようにみえて実はおちゃめで可愛い部分があるところが好きだ。だから余計に、どうしたらいいのか分からなかった。


倒れたのが彼女だったからそんなに優しくするの?ちがう、そんなことを思いたいわけじゃなくて。相手が彼女だからそんなに心配してるの?体調の悪い人を心配するのは当たり前でしょう。自業自得じゃないの?無理させたのはこっちなんだから。いらない感情が涌き出るたびに抑えながら、必死に平静を装って歩く。嫌なのは彼が彼女を心配することじゃなくて、わたしが純粋に彼女の心配を出来なくなってしまったことで。こんなこと、考えたいわけじゃないのに。気持ちが悪くて愚かで泣きそうだ。




チャイムから少し間があって伺うように扉の隙間から顔を出した彼女の顔色はまだ悪いままだった。仕事の進捗を気にする彼女にそんなものはいいからと言って、買ってきたゼリーとフルーツの缶とスポーツドリンクと、それからあの栄養ドリンクを渡した。渡しながら彼がとても心配していたことを彼女に伝えると、特別はしゃぐわけでもなくいつもと変わらない調子で「じゃあ治ったらお礼言っておこう」と応えた彼女に、内心馬鹿みたいにほっとした。その気持ちを誤魔化すように、そうするときっと喜ぶと思うよなんて自分でも何をどうしたいのかよく分からない言葉を告げて、こんなときでも気を使おうとする彼女に、必要なものがあればすぐに連絡するよう少し強引に約束させてから無理やり布団に押し込んで彼女の部屋をあとにした。



残ったのは自分に対する嫌悪感だけだった。何だかもう今すぐ消えてしまいたかった。明日出社したらわたしは彼に、彼女の様子について聞かれるのだろう。そこでわたしはまた、ドリンクを貰ってすごく嬉しそうだったとか感謝してたとかなんとか、やっぱり何をどうしたいのかよく分からないことを言って、顔だけ笑って、心は醜いままで1日を過ごすのだろう。





タバコの灰がぽとりと足元に落ちる。
それを右足でコンクリートに踏みつけてから、わたしはその場をあとにした。負けるっていうのはつまりこういうことなんだと、痛いほどに実感していた。








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