彼岸島読み物
□朝御飯編
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こんな時だけは吸血鬼の俊敏さをみせて瞬時に明の背後をとり、伸ばした腕で腰を抱き寄せると耳元で囁いた。
「は、離せっ」
「嫌だ」
「雅!」
慌てる明の抵抗を軽くいなして顔を近づける。腐っても吸血鬼、力も強い。
唇が触れ合うギリギリの距離で雅は問う。
「私が嫌いか?」
「・・・・・・」
明は黙り込んだ。
・・・こんな風に聞いてくるのは狡い!
吸血鬼に対する人間としての感情なら答えは決まりきっている。
なのに、
嫌いだと即座に返せない自分に明は戸惑い足元を見つめ続ける。
頬が熱いような気がするのはどうしてだろう。どうして今、雅の顔を見ることが出来ないのだろう?
「・・・明」
「あ・・」
雅の顔がもっと近づく。
キスの気配を感じて目を閉じた明の耳に、襖が勢いよく開く音が聞こえた。
先刻も同じ事があったような。
『無事か!明!』
「お前はっ」
「兄貴っ」
そこには兄篤が殺気を漲らせて立っていた。
咄嗟に雅を突き飛ばした明は恥ずかしさから必死で頷く。突き飛ばされた雅は箪笥の角にぶつけたらしい首が不自然な角度で曲がっていたが、まあ不死なので問題はないだろう。
明を溺愛する篤と、明に恋する雅は当然のように仲が悪い。篤には雅察知センサー(探査範囲明の周囲限定)が標準装備されていて幾度となく明の危機を救ってきた。
突き飛ばされた雅はゆらりと立ち上がると怒りを隠すことなく篤を見つめた。・・・時折カクンと揺れる首がちょっぴり怖い。どんな猛者でも気絶しそうな眼差しを篤は平然と受け止めた。
「明に触れたければ俺を倒してからにしてもらおうか」
「また貴様か丸眼鏡」
「こら雅っ兄貴を丸眼鏡って呼ぶなよ」
「だってあいつは丸眼鏡だろう」
「駄目ったら駄目!」
「むう」
「はっ情けない姿だな雅」
「黙れ丸・・・」
明に小突かれて雅は言い直した。
「黙れ丸い眼鏡め」
「・・・」
ほんの少しだけ雅が哀れになり篤は聞かない振りをすることにした。
双方は互いに陰惨な笑顔を向け合った。
常ならばこの後に耳を塞ぎたくなる罵詈雑言が飛び交うのだが、今日は雅の様子がおかしい。
・・・いつもおかしいが、今日は特におかしかった。
「・・・おい」
不審に思った篤の視線の先では広げた鉄扇を口元に掲げた雅がほんのり頬を上気させて、もじもじしていた。
ピシリッ!
鋭い音を発して篤の丸眼鏡のレンズに亀裂が入った。
貴重な丸眼鏡が・・・。
・・・もじもじする雅。
何とも恐ろしい精神攻撃をどうにか凌いだものの篤のダメージは計り知れなかった。崩れ落ちそうになる膝を篤は何とか踏ん張っていた。
「兄貴大丈夫か!?」
いじらしく心配する愛弟に青ざめた笑顔を向け篤は歯を食いしばる。愛してやまない可愛い弟にみっともない姿は見せられなかった。
雅はまだもじもじしている。
「くっ雅、言いたいことがあるなら口に出して言え!」
「でもなあ」
「もじもじするのはよせ〜っ」
言われて雅は鉄扇を閉じると小さな溜息を吐いてから篤に向かって一歩踏み出した。
「後悔はしないな」
「何時でも来い!」
身構える篤。
息を吸い込む雅。
状況に飽きて朝御飯を再び食べている明。
『お義兄さんと呼ばせて下さい』
雅の口から出た言葉に空気が凍る。
新たに入った亀裂で篤の丸眼鏡のレンズは粉々に砕け散った。
一言も発せずに棒立ちの篤を明は恐る恐る指先で突いてみるが反応がない。どうやら失神しているようだ。
よっぽど嫌だったんだなと独りごち雅にも手伝わせて篤を別室に寝かせた明は、雅を前に深く溜息を吐いた。
「あんまり兄貴を刺激するなよ」
「いずれ義兄と呼ぶのだから今から慣れておこうと思っただけだが」
心外なと柳眉を寄せる雅に明は目眩を覚えた。
「慣れなくていいから」
「私に生涯独身を通せと言うのか」
「・・・俺に聞くなよ」
まだぶつぶつと零す雅に明はぴたりと体を寄り添わせた。
不意を突かれて動揺する雅の様子に溜飲が下がる。悔しいことに雅は明よりも背が高いのでつま先立ちになって唇を合わせた、それはほんの刹那、掠めるように。
「明!」
「雅」
にっこりと笑う明の顔から雅は視線を外すことが出来ない。好きな相手の笑顔ほど眩しいものはないと感慨に浸りつつ、明からのアプローチに感動して雅は涙ぐんでいた。普段どれだけ報われていないのかが察せられる。
「明日は斬りに行くからもう帰れ」
「・・・絶対だな?」
疑い口調の雅に笑顔のまま握った拳を振り上げると、猛烈な勢いで頷きつつ半歩後ろに下がった。
「あ、そうだ雅」
「どうした」
「邪鬼が居たらすぐ帰るぞ俺」
「了解した」
名残惜しそうに明の頬を撫でる手を叩き落としてから日本刀を片手に雅を送り出す。こうして背中を見送るのは今月に入って何度目だろうと数えだして、両手の指では足りなくなったのでやめた。
「まったく」
・・・人間の敵で吸血鬼でおまけに男で。
障害の多すぎる恋ってのもどうなんだろう。
「殆ど全部致命的だしなあ」
幸か不幸か、そんな明の一人言を聞く者はここには居ない。
・・・兄貴が目を覚ましたらどう言おうか。
義兄発言の後始末に思いを巡らせつつ明は朝御飯の片付けに部屋へと戻った。
明日、雅を取り敢えずは殴ろうと思いつつ。