彼岸島読み物

□彼
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「雅っ」

 普段なら明に呼ばれるや隣に並び“雅スペシャルポーズ”を決めて高笑いをする雅が、

「雅の馬鹿っっ」

 明にそんなことを言われたら最後、暗くてちょっと湿っぽい場所で(密かに)めそめそする雅が、呼びかけの事如くを却下して明を抱き抱えたまま自室の障子を配下の吸血鬼に開けさせるとそのまま畳の上に体を横たえさせた。

「それでは雅様ごゆっくり」

 配下の吸血鬼が意味深な笑みを浮かべて退室する。くどいようだが明と二人っきりというシチュエーションでこんな言葉を言われたら、昨日までの雅ならきっとテンションが上がるあまり、本土まで明の名を連呼しながらバタフライで泳ぎ切るくらいのことは軽くしただろう。だが雅は何の反応も返さずに一目見てわかる酷く腫れ上がった明の足首に指先で触れると僅かに眉根を寄せて、明が止めるより先に患部に唇を押し当てた。

「つぅっ」
「じっとしていろ」

 触れられたことで走る鋭い痛みに呻き上体を起こそうとした明を雅は片手で制止した。
 雅は次に腫れ上がった患部に舌を這わせ始める、すると驚いたことに明の足首を苛む痛みが急速に薄れていく。

「嘘だろ・・」

『ふっ私に不可能はないのだよ明、さあっ存分に褒めたまえ!』

・・・ぐらいの事は何時も口にするのにな。

 何か妙なイキモノの血でも飲んだのかなと明は黙ったままの雅を前に小首を傾げた。雅の治療は続けられ今や明の足首からは腫れも引いていた。

「あの、雅」
「・・・・・・」
「その・・」

 相手が相手ではあったが遭難しかけた所を助けて貰ったことと治療をして貰ったことのお礼は言うべきだろうと口を開きかけた明はしかし、こちらを拒否するような雰囲気を纏う雅に気後れして言葉を続けることが出来なかった。
 明はこんな雅は知らない。
 明の知る雅は・・・。
 いつの間にか同じふとんに入り込んで眠ってい・・明は軽く頭を振って別の事を思い出すことにした。
 明の知る雅は・・・。
 視線を感じて振り向くと部屋の調度品のふりをして明の着替えをガン見し・・明は激しく頭を振って今の回想を打ち消した。

・・・何だよ俺ろくなことされてないじゃないかっ、いや待て俺、何か一つくらい雅が吸血王だっていうのがわかる思い出の一つや二つはあるだろう。

「・・・・・・」

 あまり、無かった。
 
 項垂れながら考え込んでいた明は雅の接近に気付くのが遅れ、すぐ側で名前を呼ばれた事で慌てて顔を上げた。
 目線の高さを同じにして雅はほんの数センチの距離から明を見つめていた。先程の回想から何かまたいらぬ事をされるのではないかと身構えた明だが、雅にただじっと見つめられることで何故か頬が熱くなり、ぎこちない動作で顔を逸らすと指先を握り込んだ。

「明」
「な、なんだよ。・・顔が近いぞ雅」
「明」
「おいっこらっ乗っかかるな!あ、何してんだよお前っ」

 吸血鬼の強い力に押し切られて畳の上に押し付けられる。雅は明の隙をついて覆い被さりその喉元に唇を落とした。

「やっ」

 吸血の予感に明の体が恐怖で強張る。修行を積んで吸血鬼に引けを取らない強さを身に備えたとはいえ、吸血行為への身に染みついた恐怖は中々克服することが出来ずに居た。
 怯える明の喉元に軽く歯を立てるだけで雅はそれ以上は何をするわけでもなく、明を見つめ続けた。
 心の底まで見透かすような赤い瞳。
 人外の瞳からは一切の感情が抜け落ちていた。

・・・雅?

 明はその瞳に違和感を覚える。
 明とて雅を人だなどと思ってはいない。彼という存在はとっくに人という括りからは逸脱している。けれど、だからと言って雅に感情がないわけではない。むしろ雅は他人には非情にわかりにくく、実は感情豊かな吸血鬼だった。明には(明にだけは?)それがよくわかる。

・・・だって雅の奴ちょっとうざいから無視したら、配下の吸血鬼全員に八つ当たりでミニスカートを穿かそうとかするし。あの時は吸血鬼達が泣きながら訪ねて来て、雅と仲良くしてくれって頼まれて大変だったんだよなあ・・・

 どういったわけかこの吸血鬼の王は昔から雅と戦い続ける者達が唖然とするほど、明の前では機嫌が良く言葉数も多い・・らしい。
 そんな雅しか知らない明はだから雅を人外のモノだという認識が甘かったのかもしれない。

 雅が明の名を呼ぶ。
 その抑揚のない声音、ガラス玉のように無機質な瞳に見つめられて明は肩を震わせた。
 雅であって雅ではないコレは一体何なのだろう。
 明を前にしても抑えようとはしない雅本来の異質な気配に体は竦み、一気に体温が下がってしまう。
 体の震えが止まらない。
 冷え切った指先で胸元を押さえる。

「うっ・・」

 喉がつかえたように息が苦しい、呼吸もままならず、視界が霞んだ。

「明」
「!?」

 
『この存在は恐ろしい』


 これが吸血王、人とは相容れないモノ。
 突きつけられた現実に明の心がじくりと痛んだ。
 痛くて・・とても痛くて、明はその痛みを抱えたまま雅を見上げる。
 じっと、見上げる。
 雅は白い指先を伸ばして明の頬に触れた。

・・・え・・・

「・・・雅」

 その眼差しは冷たい。
 しかし触れる指先は、
 明に触れる指先は・・・。

 どうしてこうも優しく触れてくるのだろうか。
 明は抱き締められた時に感じ取ったのと同じ雅の“思い”とでも言うべき何かを見つけた気がした。
 見つめて、触れて、考える。
 考えて触れられて見つめられて、理解した。

「お前は・・・ったく、わかりにくいんだよ」

 ぼそりと口に出して、明はどんな表情を雅に見せればいいのかがわからなかった。
 
 雅は静かに怒っていた。
 口にはせずに、だからこそ真剣に
 きっと明を助けに現れたあの時からずっと怒っていたのだ。
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