彼岸島読み物

□彼
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 風を纏って現れた彼の胸元に抱き寄せられて、言葉も無く、ただ抱き締められて明は自分がとても心細く思っていたことに気がついた。

「ん・・・」

 寄せた体の衣服を通して伝わる体温がじんわりと指先にまで浸透して、温かさを取り戻した血液は冷え切った体に熱を運んでいく。
 人外の存在が跋扈するこの彼岸島で武器を持たず、ましてや足を負傷して移動する能力を失うことは生存事態が危ぶまれる大変なことだった。仲間の忠告を聞かずに一人で修行をしている最中、好奇心に負けて見知らぬ区画に立ち入った事を今更ながら明は反省していた。見たこともない邪鬼に遭遇し必死で逃走する過程で足を挫き、まさに死と隣り合わせの中気配を絶ち潜むこと数時間、幸運にもあれ以後邪鬼に会うこともなく今に至る。
 だが常に続く緊張と足の痛み、襲い来る疲労感にこのままではいけないと這ってでも村に戻ろうと決意したその時、明は有無を言わせない強い力で彼の胸元に抱き寄せられたのだった。
 強く、全てを包み込むように彼は明を抱き締めた。
 
・・・ううう。

 明は困っていた。
 気分が落ち着いてくるに従い今置かれているこの状況のとんでもなさに困惑だけが増していく。
 小さく吐いた溜息は彼の胸元に吸い込まれて消え、何時まで経っても明を離そうとしない彼の意図を図りかねてまた溜息を漏らす。
 確かに遭難しかけて居るところを助けてくれた恩人ではあるのだけれど。

・・・何を考えてるんだよ雅・・・

 包み込んでくる腕は明に身動きする自由を許さず、雅には純粋な腕力ではとても適わない明は抵抗する術を持たなかった。それでも諦めずに唯一自由になる指先で雅の外套を摘んで引っ張ってみる。

「雅・・嫌だ」
「・・・・・・」

 雅は聞こえている筈の声を黙殺して尚も明を抱き締め続ける。
 吸血王。
 雅は人はおろか吸血鬼にさえ畏怖される絶対者だった。レジスタンスとして活動する明にとってはまさに仇敵であり、明は雅を倒すためにここ彼岸島に留まっている。
 それなのに。

・・・どうしてだ?

 どうして雅は敵対する自分を抱き締めるのか。
 どうして助けるような真似をするのか。
 到底理解しがたい行動ばかりの男だが、これは、こんなことはあまりに予想を超えていて吸血王に抱き締められながらその抱き締める腕の強さに混乱しながら明は泣きたいような気持になっていった。そんな明に追い打ちをかけるように熱くなっていく頬にどうしようもなく心が乱される。

『しっかりしろっ』と自らに言う。

・・・俺は確かに雅に抱き締められている。嫌々だ、臨んでこうなっているわけじゃないんだ、そ、その・・・そうだよ、実は抱き締められているんじゃなくて強烈な嫌がらせかもしれないじゃないか・・・

 しかし雅の胸元に寄り添うのはどうしてか安心できて、居心地が良くて、明はそう感じることに益々混乱して下唇を噛み締めた。

『本当にどうかしてるぞ俺!?』と自らを叱責する。

・・・いいか、相手は男だ。吸血鬼だ!何より雅なんだぞっ、不幸の源、疫病神も裸足で全力逃走する雅なんだぞ!?

 密着しているから駄目なんだと結論付けた明は雅の外套を引っ張る指先に力を込めた、途端、何の前触れも無く体を抱え上げられ呆然として雅の顔を見上げていた。
 雅は前を向いたまま明と視線を合わせようとはしない。
 明の見上げる先で雅の艶やかに光を弾く白い髪が風になびいていた。見上げるとよくわかる、切れ長の目を彩る睫毛は驚くほどに長い。前を見据える赤い瞳は吸血王の証とはいえ素直に綺麗だと思った。
 雅の端正な容姿に思わず見とれていた明だが背中と太腿を支える腕の存在に我に返ると所謂“お姫様抱っこ”をされていることに気づき目を点にして固まった。

「ちょっ待てっ雅っっ」

 押し寄せる気恥ずかしさに焦って声を上げ足の痛みも構わず両足をばたつかせるが雅は涼しい顔をして応じず黙々と歩き始めた。

「何処に行くんだよっ下ろせってば!」
「・・・・・・」

 明はろくな抵抗も出来ないまま雅の屋敷がある村へと連れて行かれ、何事かと家の中から表へと出てきた吸血鬼達に大注目をされながら通りを運ばれることになってしまった。

・・・雅の馬鹿っっ・・・

 体勢が体勢なので見られることが恥ずかしくて情けなくて目頭が熱くなる。

「なあ、あれって雅様と・・誰だ」

 こちらも困惑顔の吸血鬼達は顔を見合わせた。

「・・・嫁、じゃないか」
「ええ!?」
「けどあれって人間じゃないの」
「でも何ともいえず可愛いぞ」
「可愛いわよねえ」
「“お姫様抱っこ”だしなあ」
「“お姫様抱っこ”だもんなあ」
「そうか嫁か」
「雅様もお年頃だしね、むちゃくちゃ可愛い子だしお似合いだわ」
「じゃあいいか」

・・・よくないだろうが!

 明はぷるぷると震えながら奥歯を噛み締めていた。好き勝手に話し合う吸血鬼達の会話はまだ続いている。

「おーいみんなあの方が雅様の嫁だって」
「ほほう可愛いな」
「さすが雅様の選んだ嫁だな」

・・・誰が嫁だっっ!

 通りの両脇に居並ぶ吸血鬼達に『雅様の嫁』として認識されながら、明は堂々とした態度で歩みを進める雅にお姫様抱っこを継続されつつ屋敷の中へと入って行った。
 
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