伝記

□ありがちなネタ前編
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シェルクから連絡を受けて急いで自宅から飛び出してきた。
人を避けながら道路を走る手間すら惜しくて民家の屋根から屋根へと飛び移って病院へ。
最近エッジに出来た総合病院に到着して煩わしい受付の手続きを終えて足早に病室に向かう。
すれ違う看護婦や見舞い人たちに何事かと振り返られたがそんなものは気にもならない。
目的の病室に辿り着くとノックもせずにやや手荒にドアを開けた。

「・・・ここ病院ですよ。静かにしたらどうですか?」
「ユフィは?」

ノックもせずに急に入ってきたヴィンセントに一瞬驚いたような表情を見せるシェルクだったが、すぐにそれは元に戻った。
自分の注意を流してユフィの事を尋ねてきたヴィンセントに話を聞いているのかと問い質したいところだが、今の状況では言ったところで聞く耳をもつまい。
まぁ、それも仕方のない事である。
恋人が事故に遭って緊急搬送されたのだ。
慌てない方がおかしい。

「まだ眠ってます。命に別状はないようなので安心して下さい」
「そうか・・・」

ホッと胸を撫で下ろしてヴィンセントはユフィの傍に歩み寄った。
ヴィンセントが密かに好んでいる美しい漆黒の瞳は今は固く閉ざされ、顔にはガーゼがテープで止められている。
まるで割れ物に触れるかのような手つきでヴィンセントはユフィの頭を撫でた。

「何故このような事に?買い物に行ってたのではないのか?」
「行ってましたよ。でも、木箱や樽が乱雑に積み上げられた所にたまたま子供が通りかかって不幸にも崩れ落ちてきたんです。
 そこをユフィが慌てて駆け寄って子供を庇い、下敷きになってしまったんです。後はご覧の通り」

経緯を語るシェルクだが、そこにはユフィを心配する感情が込められていた。
あの時、子供を庇って下敷きなってしまったユフィを見た時は意識が遠のきそうになった。
ディープグランドでの騒動の時、自分たちの為にアスールにやられて昏睡状態になってしまったシャルアの事を思い出して怖くなったのだ。
けれど気をしっかりもって救急車を呼び、大人をかき集めて何とかユフィを救い出す事に成功した。
命に別状はないものの、未だ目覚めないユフィに不安を覚える。

「子供の方は大丈夫だったのか?」
「はい。ユフィのお陰で無傷で済みました」
「そうか・・・無事だったそうだぞ、ユフィ」

眠るユフィに語りかけるヴィンセントを見て、彼の心は今やユフィが独占している事が分かる。
随分と深い関係になっているようだ。
と、そこでヴィンセントの語りかけに応えるようにユフィの目がゆっくりと開かれた。

「ユフィ・・・ユフィ!!」
「今すぐ医者を呼んできます」

シェルクは素早く立ち上がって病室を出て行った。
その間にも目覚めたユフィは起き上がり、キョロキョロと周りを見回す。

「ユフィ、大丈夫か?どこか痛む所はないか?」

優しく呼びかけたところで漸くユフィはヴィンセントに視線を合わせた。
だが、ぱちぱちと何回か瞬きをした後にユフィが一言呟く。

「・・・アンタ誰?」

時間が止まった気がした。











「記憶喪失・・・ですね」

嫌な予感が的中し、ヴィンセントとシェルクの纏う空気が一層重くなる。
目覚めたユフィを急いで医者に診てもらったのだが、まさか記憶喪失になろうとは誰が予想できただろうか。

「一般常識などは覚えているようなので、思い出の方がスッポリ抜け落ちてしまったんでしょう。
 ただ、そう悲観せずとも何かのきっかけで思い出すかもしれません。前向きになりましょう」
「・・・ありがとうございます」

ヴィンセントが礼を言い、ユフィとシェルクを伴って病院を後にした。
ユフィの意識は戻ったし入院する程の怪我もしていなかったので即日退院とう事になったのだ。

「これからどうしますか?」
「・・・とりあえず仲間や知り合いに会わせて記憶を取り戻すキッカケを掴めないか探るしかあるまい」
「まぁ、それしか今の所の方法はありませんよね―――ユフィ、私の事も覚えていませんか?」

隣を歩くユフィを見上げて尋ねると、ユフィはしばらく唸って首を横に振った。

「う〜〜ん・・・ごめん、思い出せない」
「そうですか・・・私と貴女は友達なんですよ」
「そう言われればそんな気がしないでもない、かな?」
「ちなみにこちらの男性はヴィンセントで、貴女の恋人です」
「そ、そうなの!?アタシ、恋人とかいたの・・・?」
「・・・嫌か?」
「あーいやいや!そうじゃなくて!!自分で言うのも何だけど、彼氏がいるのは意外だな〜って」

朱に染まった頬を掻きながらユフィは照れたように言う。
いつものユフィと何ら変わりない仕草だ。

「ちなみにアタシと・・・ヴィンセント?はどこまで関係進んでんの?」
「それは―――」
「確実に男女の一線は越えてます。その証拠にこの間、鎖骨付近にキスマ―――」
「わーわーわー!!!もういい!そこまででいい!!」

ユフィは手をぶんぶん振ってシェルクの言葉を遮った。
これに対してヴィンセントは静かに溜息を吐く。

「・・・あまり余計な事は言うな」
「もしかしたら思い出すかもしれないじゃないですか。
 ていうか、ユフィの為にもちゃんと隠れる所に付けたらどうですか」
「・・・害虫対策だ」
「ユフィに嫌われても知りませんよ」

それっきりヴィンセントは黙ってしまい、シェルクも話題がなくなって沈黙してしまう。
そんな微妙な空気に耐えられなかったのか、ユフィは大げさなくらい明るく振る舞いながら二人の前に踊り出た。

「あ、あのさぁ!アタシなるべく思い出せるように頑張るから色々教えてよ!
 今日はまだ時間あるし、どっかアタシと縁がありそうなとこに連れてってくんない?」
「勿論、そのつもりだ」
「んじゃあ宜しくね!ヴィンセント、シェルク!」

満面の笑顔を浮かべてユフィは元気よく言い放った。
この笑顔もいつものユフィと変わらない、眩しい笑顔。
いくら記憶を失ったとは言え、今まで見てきたユフィとは何も変わらない。
そう、記憶がないだけで他はユフィ以外の何者でもないのだ。
医者の言った通り、悲観せずに前向きになってユフィの記憶を取り戻そう。

そう、ヴィンセントは決意するのだった。
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