原作

□佳辰
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あけびの垣根が
途切れると、そこからは
紫陽花の植え込みが
始まる。
やはりこの時期には
見事なモンだ。朝露に
濡れた青紫の華塊が、
この隻眼で追える限りの
遥か迄、続く。


…最初は、花精の類かと
思った。
薄惚けて蒼い、
静謐たる空気の中。
紫のいろが、すうと
茂みから抜け出して
一人歩きをしている。

「ヅラ。」
歩を速め呼び掛ければ、
花精は立ち止まる。
刹那置き優雅な仕草で
振り向いて、
悪戯めいた声で
おや、と呟いた後、
その華貌を綻ばせた。

「フッ。ヅラ子さん…、
だったかィ。
朝迄ご苦労なこった。」
追い付き、改め
間近で見遣る
見慣れた筈のかんばせは
粧に彩られ容光極まり、
本当に人を離れた
遠い存在にも思えちまう。

花弁を思わす唇が
微か開いて、フフと笑った。
「よくぞ来てくれたな、
高杉。
元気そうで何よりだ。」
「アア、手前ェもな。」
「しかもこんな早くに…
まさか、俺の帰りに
合わせてくれるとはな。」

な・何言ってやがる。
「偶然に決まってるだろ。
俺ァ、そこ迄ヒマして
無ェってンだよ。」
思わず汗顔曝しつつも、
帰途中のヅラを上手く
捕まえられた嬉しさに、
頬の緩みはた易く
収まるモンじゃなかった。

残り少ない道筋を、
共に並んで
ぽつぽつと歩き始める。

「持つぞ。」
ふとヅラが、
俺の手に下げた
祝い酒を指して言う。
「…平気だ。」
全く、中身はそっくり
そのまんまと来てやがる。
今の手前ェのなりは
ほんとうの女でも、
及びもつかねェってのに。

見れば見る程見事な姿に、
餓鬼染みた感情も
つい言葉に変えちまう。
「相変わらず、
売れてンだろな。」

するとヅラはニコリと笑い、
「どんな酔客を相手に
しようとて、心強いぞ。
御蔭様でな。」
そう言うと、ほそい首を
少しく回してみせる。
今日は纏め上げていた
後ろ髪の根本には、
俺が先にやった
鼈甲細工の飾り櫛。

「ふゥン…
使ってるンだな。」
「無論だ、肌身離さぬよ。
お前の代わりだからな。」


己の中の稚気が安堵し、
満たされて笑う。

そうか、音締めか。
万斉の奴
上手い事を言ったもんだ

…ちィと、癪だけどな。
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