連載

□綺想曲〜カプリチオ〜E
1ページ/2ページ

とうとう、この日がやってきた。
本因坊最終戦の2日目。
舞台は東京。新宿のハイヤットリージェンシー。
桑原本因坊対進藤ヒカル。互いに3勝。昨日、進藤が封じ手をして終わった。
今日、決着がつく。
去年1勝4敗で惨敗した進藤。彼のこの一年の成長は目覚ましいものがある。
僕は進藤の最後の戦いを目に焼き付けに来た。
進藤は勝つ。そう信じて…。

対局の様子が見られる会場には、人が多く集まっている。
進藤の院生時代からの友人の和谷君や伊角さんなど数名。進藤のファンである女流棋士達。他にも多くの棋士達。
タイトル保持者である緒方さん・倉田さん、一柳先生まで来ている。
会場には大型テレビが3台あり、たくさんの碁盤も用意されていた。
どれだけこの対局が注目されているかがわかる。
それも当然だ。本因坊はもう10年以上桑原先生が所持し続けいるタイトル。それをプロ5年目、五段の進藤が奪取するかもしれない大一番だ。
桑原先生が防衛するか、それとも新本因坊誕生か!
誰もが興味を持っている。
昨日の対局は、ほぼ五分。
桑原先生は戦いを仕掛けるわけでもなく、淡々と打っていた。
一方進藤も、軽い仕掛けはするものの、桑原先生の流れに任せ、ゆっくりと打っていった。
「アキラくん、どちらが勝つと思う?」
僕の隣に座っている緒方さんが聞いてきた。
「わかりません。」
「質問が悪かったな。どちらに勝ってほしいかね?」
緒方さんは含みのある言い方をした。
この人はいつまでも変わらないな。僕が進藤に並々ならぬ敵意を抱いていると今でも思っているんだな。
たしかに、今でも一番のライバルだし好敵手であることは間違いない。
けれど、今日ここにいる僕は、ライバルとしてではない。ただ純粋に彼に勝ってほしい、そう思っている。
そして、その先にあるものを知りたい。彼が言った『待っててくれ』の意味を。
「進藤ですよ」
僕は静かに言った。
「ほう、それは意外だな」
緒方はフッと鼻で笑った。
緒方さんが僕の発言をどう思ったのかわからないが、僕はそれ以上何も言わなかった。
集まった人達は、雑談をしたり、昨日までの手を並べたりしていた。
僕はじっと対局の開始を待った。
間もなく、対局が始まった。
『時間です。
本因坊挑戦手合い
第7局2日目を開始いたします。』
係りの人が封じ手の袋を開いた。『12の八』


対局が始まると、一瞬静まりかえったが、それもつかの間、進藤が打つと俄かにどよめいた。
「なんだよ、アイツ!」
和谷くんの驚愕した声。
次いで伊角さん。
「いったい、何考えているんだ」
あちこちから似たよう言葉が聞こえてくる。
誰もが進藤の打ち方に驚いた。
昨日とは全く違う打ち方。
進藤は、桑原先生が打つとすぐに自分の手を繰り出した。
それも石から桑原先生の手が離れた途端、ぴしゃりと石を打ちつけた。
持ち時間がまだ4時間近くあるのに、進藤はどんどん手を進めていく。
立会人も秒読み係りも、石の位置を読み上げる係りも、戸惑うくらいの速さだ。
観覧会場は尋常ではないほどざわめき立っている。
しかし、それは碁をよく知らない人や低段者だけで、高段者は黙って対局を見ていた。
和谷くんたちも声を上げたのは最初だけで、手が進むごとに静かになっていった。
進藤はまるで早碁のように打ってはいるが、全く隙がない。
桑原先生の手を読み切っているように、鮮やかに軽やかに石を並べていく。
いや、進藤は読み切っているんだ。
おそらく、去年、今年の桑原先生との対局をもとに、打掛た後の手を、昨夜何度も何度もシュミレーションして、頭の中には何通りもの終局までの道筋が出来上がっているんだ。
進藤の頭には、何億もの…何兆もの盤面が浮かんでいるはずだ。
桑原先生が一手打つごとに、少しずつ消去され、最後にひとつの盤面だけが残る。進藤勝利の盤面が。
桑原先生がどこに打とうが、勝ちに向かえるシナリオが出来上がっているんだ。
神経を擦り減らし、命を削って、努力に努力を重ね、碁盤に向かったんだろう。
進藤は桑原先生を越えてしまったんだ。
この対局は、きっと進藤の勝ちだ。



.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ