連載

□綺想曲〜カプリチオ〜F
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◆◆◆◆◆

窓から外の暗闇を眺めて、カーテンをしめた。
「と…ぅゃ…?」
振り返ると、進藤が細く目を開けて、こちらを見ていた。
「……起きたんだね」
本因坊最終戦を終えた直後、進藤は対局部屋で倒れた。
一時辺りは騒然とした。
僕はそれを観覧会場のテレビ画面で目にし、気付いたら進藤とともに救急車に乗っていた。
あの時、僕はかなり取り乱していて、棋院関係者を押し退けて、無理矢理救急車に乗り込んだような気がするけど、あまりよく覚えていない。今思うと、自分の行動が少し恥ずかしい。
「俺……どうしちゃったの?」
進藤は右に左に顔を動かし、開ききらない目で辺りをうかがっていた。
「対局が終って倒れたんだよ」
「対局……?……、対局っ!!」
進藤はガバッと起き上がった。
「っ!いてっ!!」
「ダメだよ、起きちゃ」
僕は進藤の脇へ行き、左手に刺さった点滴針を見た。
「外れてしまうよ」
「俺、勝ったよなぁ?勝ったんだよなぁ?」
進藤は不安げに、僕に聞いた。
「うん、勝ったよ。素晴らしい対局だったよ」
「……そっか」
うっすらと進藤は笑った。
「でも、食べもしない寝もしないで対局に臨むのは、どうかと思うよ」
「あぁ……、わざとじゃねーんだけど…。家で碁盤に向かうと、いつの間にか朝になってるっていうか……」
進藤はバツが悪そうに少し笑って、僕から目を反らした。
「みんな心配したんだよ」
「うん………ごめん」
進藤が倒れたのは、寝不足と栄養不足が原因だった。
極度の緊張と集中が一気に解けたために、意識を飛ばしてしまったらしい。
あの場は仕方なかったにせよ、それしきのことで救急車が出動してしまったのだ。
たいしたことながなくて本当によかったけど、まったく人騒がせにもほどがある。
でも、碁盤に没頭してしまう気持ちは、僕も棋士だからよくわかる。吸い込まれるように意識は盤面に向かい、捕われて離れられなくなる。
こういう経験は僕にだってある。
しかし、倒れるまでやってしまうとは、彼の本因坊への執着がどれほどのものか、ひしひしと伝わってくる。
「君のお母さんは、お家に帰られたよ。さっきまで和谷君達もいたんだよ」
「そっか…」
僕はベッドの脇に用意されたパイプ椅子に腰掛けた。
本当にたいしたことがなくてよかった。
画面に映し出された倒れた進藤を見た時、心臓が止まるかと思った。
点滴の刺さった進藤の腕は、やはり以前よりいくらか細くなったように思えた。
「お前は残ってくれたんだな…」
進藤が独り言のようにボソッと呟いた。
「ぇ…」
僕が聞き返すと、進藤はゆっくり僕に顔を向けた。
「みんな帰っちゃたのに、お前は残ってくれたんだなぁって……」
「ぁ……うん。あれだよ……誰も居なかったら……困るだろ」
照れ臭くて言い訳がましいことを言って、今度は僕が視線を反らした。
実のところ、進藤の具合がたいしたことないとわかり、進藤のお母さんが帰ろうか帰るまいか迷っていらしたので、僕が進んで残ると言い出したのだ。
もちろん、親切心ではない。僕が進藤といたかったからなんだ。
「搭矢」
進藤に呼ばれて、チラリと彼を見ると、手先で軽く手招きしている。
点滴を打ったとはいえ、体力が回復したわけではない。
どこか痛いのかと思い、僕は少し腰をあげて身を乗り出した。
すると、進藤の腕が伸びて来て、フワッと僕を包んだ。
「ありがとな…搭矢」
そして耳元でそっと囁かれた。
「進藤…」
僕は、ベッドに手をつき中腰をした中途半端な恰好で、進藤に抱きしめられた。
あの日以来、去年の暮れのあの出来事以来、僕たちは近付くことも、誤って手が触れるようなことも、互いに避けてきた。
あの日のことが思い出された。
肌が触れ合うあの感覚を…
身体が熱くなる。
「し、しんど…、まだ寝てないと…ダメ、だよ」
僕はたどたどしく言葉を出したものの、身体は進藤の温もりから逃れたくないと言っているように、全く動かない。
「お前、ちゃんと見てくれてたよな?俺の戦い」
「あぁ…見てたよ」
不自然な格好で抱きしめられたまま、僕は答えた。
「俺、強かった?」
進藤の声にやや不安の色が見えた。
彼の顔は僕の耳の脇にあって、表情を読みとることはできない。
だか、確かにそこには不安が見え隠れする。
手に入れたがっていた本因坊をやっと手中に納めたが、まだ信じられなくて不安なのだろう。
進藤にとって本因坊は、それほど大きな意味のあるものなんだ。



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