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共犯者[10]


夢と現を往来しながら、漸く辿りついたのは清白な布の上だった。
横になっている体勢が何故か不自然で窮屈だ。

「…ぅ…っ」

痛い。息を吸っただけなのに、背中から肩にかけて激痛に見舞われた。
目を覚ましたのだと頭では理解しながら、ここに至るまでの経路について自分の記憶が正しいかどうかまでははっきりしない。
瞼を閉じれば、凄まじい映像が高速回転する。

自分はいつものように食後休憩を取っていた気がする。
ドラマが急展開を迎えた時のように、本当に突然のことだった。
肩が高熱にうなされ、発狂したような。
何故か高杉が背後に立ちつくしていて、それも鬼を見るような目で自分を見降ろしていたような。
あれは、夢だったのか。それとも。

「失礼しますよ」

聞き心地の良い低音。男の声だ。

「目を覚まされたのですね。おはようございます」

白衣に身を包んだ肉付きのよい、年は30代半ばといったところか。
誰が見てもそれは医者で、銀八は漸く自分が病院にいることを実感した。
男の声は医者らしく神妙で、だが顔には情が込められていない。

「お…れ……な…っ?」

俺は何でこんなことになっているのか、と聞こうとしたのだが。
銀八は自分の異変に気付いた。
口が上手く回らない。
困惑している銀八を当然の反応だとでも言うように、白衣の男は表情を変えない。

「頭部外傷の影響で、全身に麻痺が生じてます」
「…ま、ひ……?」
「それと左肩甲骨と胸堆の左端にヒビが入ってます」

ますます混乱するばかりだ。銀八は今の自分の状態を受け止められずにいた。

「骨の方は思ったよりもダメージは少ないので、気を付けていれば自然に治ります。話すのも、早口でなければリハビリである程度戻ります…」

舌の滑りがよくない。何か言いにくいことを告げようとしている。
そのためにここに来たのだと言わんばかりに。

「言…え……よ……」

早く言え。躊躇いがちな態度は見ていて腹が立つ。
銀八の睨みに、男は重く溜息をつく。

「足の感覚、ありますか?」
「え…」

言われて、銀八は神経を下半身に集中させてみる。
次の瞬間、頭が真っ白になった。



「…な…んだ……こ…れ…?」



太腿から下だけ、布のひんやりとした感触がない。

「上半身の麻痺は軽度ですが、おそらく一生歩行は無理でしょう」

残酷な未来がその先に待っていることを、静かに告白した。
一点を呆然と見据える患者に一瞥を投げ、白衣の男は背を向けた。

「あなたの身の回りの世話をする方が必要です。ご家族の方は?」
「………」

その時にどんな顔をしたのか、何となく察しがついた。

「……ねえ…よ……」

いねえよ、そんな大層なもん。とっくの昔に切り捨てた。
そう吐き捨てたかったんだろうな、と男は思った。




















高杉と近藤は待合室にいた。
睡眠状態に入りかけている高杉の肩を支え、近藤は自分の肩を枕代わりにしてやった。

(疲れただろうな…)

頬もこけてしまって顔色もよくない。呼吸だけは安らかな状態といったところだ。
一方で自分も疲労しているのがわかったが、こんな状態の高杉を放っておくわけにはいかない。

「ふう…」

大きく溜息をついた。
冷静な判断が出来てよかった。
自分の肝の据わり具合に心底驚くと共に感心している。

「何か飲み物お持ちしますか?」

長時間そこにいて退屈してるだろうと思ったのか、一人の看護師が声をかけてきた。

「いや俺は…高杉、何か飲むか?」

少し身体を揺さぶってやる。

「ん…」
「飲み物、いるか?」
「…水、ほしい…かも…」
「わかった。というわけで水を」

看護師に振ると、「今お持ちしますね」と垢ぬけた笑顔で彼女はその場を立ち去る。
すぐに彼女は戻ってくる。
高杉に水の入った紙コップを渡すと、またにこやかに去っていく。

「近藤…」
「何だ?」
「…ありがとう…」

脱力した声だった。自分は大丈夫だからお前は帰れ、と言えるほどの余裕はないのだ。

「辛かったら頼っていいぞ。俺でよけりゃ、いくらでも助けてやるから」

これは恋人の銀八が言うべき台詞ではないのか、と内心突っ込みつつ、
その言葉を聞いて安堵の笑みを浮かべる高杉を見れば、自分が恋人だという錯覚に陥りそうだ。
医者がこちらに向かってきた。近藤は高杉の身体を支えながら立ちあがる。

「先生はっ?」

医者の顔色を伺いながら近藤が問う。相手は至って冷静だ。

「一命は取り留めて、先刻目を覚まされました」

近藤は一息ついたが、すぐさま高杉の様子を見やる。
呆然とする高杉の肩を叩いて、

「先生は無事だっ」

そう励ました。高杉の目が見開く。

「そ…っか……」

嬉しいとも残念だとも捉えがたい、複雑な表情だったが、どこかほっとしているようだ。

「ただ…」
「ただ?」

命が助かったと言うのに晴れない顔付きをする医者に、近藤は首を傾げる。

「かなり深刻な状態です。怪我は何とかなりますが、頭部の怪我が原因で機能障害を起こしています」
「機能障害、ですか」
「上半身は軽い麻痺、下半身不随です」
「…なんだって」

近藤は顔色を失くす。

「上手く舌がまわらず、手もぶらぶらな状態。これはリハビリで治りますが、足のほうは…」
「それって…」

近藤の隣で、高杉が魂の抜けかけた声で呟く。


「銀八はもう…歩けねえって、こと…?」


自分の左目が死んでしまったように。

「ええ、そういうことになります…」

医者は神経の8割方を使って言い切ったように思われた。嫌な仕事だろう。
高杉も近藤もショックを隠しきれなかった。
だが高杉は、その一方で悦の感情を抱いていた。
銀八を愛している一方で、死ぬほど憎んでいるのと同様の、背中合わせの感情。

「どんな顔、してました…?」
「え?」
「銀八はそれを聞いて、どんな顔をしてました?」

医者はそんな質問を投げかけてくるこの少年に、さぞ奇異の念を抱いただろう。

「…ぼうっと下だけ、見つめてました…」

その顔を見てやりたい。
絶望のどん底に沈んだ銀八をこの目で見ることで、自分の手で懲らしめてやったのだと初めて実感できる。
高杉の中の魔は駄々をこねる子供のように「早くそれが見たい」と暴れていた。
それを抑えつけたのは、もうひとりの、高杉の温かい部分だった。

「会われますか?」

表情を歪めて医者は高杉に尋ねた。
高杉は何か葛藤しているように思われたが、

「いえ…」

答えは会わない、だった。
近藤は高杉の心理状態を読めずに、ただ状況を見守っていた。

「今は…今はまだ、会えません…」
「…そうですか」

自分が動揺してるうちは駄目だ。
それが普通の反応だと、医者のほうは安心したらしい。

「ご家族の方に連絡したいのですが…」

本人から聞いているのに、確認のつもりで医者は尋ねた。
高杉と近藤は顔を合わせる。

「すいません、知りません…」

銀八から家族の話なんて聞いたことがない。

「教師なんです。高校の…そこに連絡してくれれば、登録はされてる筈だし、分かると思います」
「そうですか…高校はどこ?」

淡々と答える高杉に、近藤はいささか驚愕した。
医者がメモをしたのを見届けて、

「帰るか?」

高杉の顔を覗き込んで問うと、躊躇いなく彼は頷いた。
とりあえず外来で会計を済ませなければならない。


夜の10時を過ぎる街を、近藤と高杉はふらふらと歩いた。
家の方向が違うので途中で別れなければならない。

「大丈夫か?」

電車が違う。地下鉄に繋がる階段の前で立ち止まる。

「何だろ…なんていうか…」
「………」
「二人の俺が今、取っ組み合いの喧嘩してるみてえ」

今日初めて、彼が冗談を塗しながら笑った。
ストレスを抱え過ぎて、つい毀れてしまった笑みとでも言おうか。
彼の中でとりあえず一段落したらしい。
「じゃあ」と弱った皮膚を引き締めて、高杉は近藤に背を向けた。
階段を降りていく彼の足取りは重い。

「高杉」

今にも倒れてしまいそうな身体に向かって、近藤は呼びかけた。

「帰れるのか?」

ぴたりと足が止まる。が、高杉は振り向かない。
近藤は胸の内の何かを抑えきれずに、階段を降りた。


「泊まってけよ」


高杉の手を取った。
今の状態で、あの家に帰れるはずがないのだ。

「あんたさ…」

高杉は自分より一回り大きな手を握り返した。

「優しすぎる…」

かつてつないだこの手は銀八のものだった。
ああ寂しいな。彼のいない夜は。
近藤の懐に包まれながら、あの日没時の海の音を聞いた気がした。



駅から少し離れたこのワンルームに高杉が来るのは数週間ぶりだった。
最初に来た時よりも部屋が散らかっていた。
問題集や資料集が山積み。近藤だって自分と同じ受験生だ。

「悪いな、しまう場所がなくてよ」

学生が生活するにあたって必要最低限のものしか置いてない一室だ。否、それしか置けないスペースなのだ。
大分汗をかいたからシャワーを借りることにした。
高杉が入浴を済ませた後、近藤も身体を流すことにした。

着替えがないので、とりあえず自分の服を高杉に着させてやる。
普段Sサイズの人間にLLは大きすぎたが。
近藤なら三分丈のところを、高杉が着ると七分丈くらいになってしまう。

(やべえ、抱きてえなあ…)

そう思った瞬間、近藤は自らを戒める。
若さとは恐ろしい。それどころではないこんな状況下でも、本能には逆らえないものか。
身体を知っている相手だからこそ、余計その気にさせられてしまうのかもしれない。

ベッドに横になっていいか、と問うてくる高杉に、近藤は己の猛りを抑えられずにいた。
だめだ、という理性の声を無視して、本能が首を擡げた。

「悪い…」

自分は男なんだ。そういう生き物なんだ。
ベッドに腰を下ろした高杉を、横から抱きしめる。

「そんなつもりで、家にあげたんじゃねえんだ…」
「…分かってる…」

もうこいつは抱かない、と決めたにも関わらずだ。
だが一度抱きしめて高杉の温もりを感じ取れば、自然と愛撫の段階に入ろうとしてしまう。

「俺も…」

布越しに自分の身体を撫でる近藤の手を取って、服の中へ誘い込む。

「あんたに抱かれてないと、駄目かもしれない…」

どんなに疲れきっていてもこの夜は一人で越えられそうにない。
恐怖や憎悪や悲痛。ありとあらゆる感情が入り混じって渦巻状になったものを浄化させるには、この男の抱擁が必要だった。
この男を巻きこまんとして自分は身を引いたはずだった。
それなのに、

「最後まで卑怯者でごめんな…」

寂しくて、もうどうにもならなかった。

「それを言うなら、俺だってそうだ…」

互いの素肌をすり合わせて、近藤は高杉をベッドに押し倒す。

共犯者という関係から逃れたかった。
が、それ故に、今自分たちはお互いを強く求めあってしまうのかもしれない。

近藤に何度も貫かれて意識を沈めてしまうまで、高杉は愛された。
それからは泥のように眠った。
携帯のアラームが鳴るまで、一度も目を覚ますことはなかった。
わずか数秒で何時間も過ぎたような感覚だった。


「俺行ってくるけど…腹減ったら冷蔵庫のもん勝手に食っていいから」

高杉はとてもじゃないが、通学できる精神状態ではない。
彼一人を置いて行くのは不安だったが土方との約束だ。学校には行かなければならない。
それにあの件についてどんな報告が待っているのか、それも気になった。
高杉の代わりに、聞いておかなければならない。
あの現場の目撃者は近藤だけで、坂田銀八の口から何も告げられなければ高杉は罪を問われないだろう。
高杉だって、数々の暴力を受けた上に左目を抉られているのだ。

「お前実家は?」
「山口…」

遠いな。実家があるなら帰った方がいいと思ったが。

「俺、親と仲悪いからさ。今更戻れねえけど」
「………」

だから坂田銀八と暮らしていたのか。彼らの共同生活の裏事情を垣間見る。

「でもいつまでも世話にはなんねえから、安心してよ」

そう言うが、帰る家はないのだろう。

「いいよ。落ち着くまでいりゃいいだろう」
「ん、サンキュ」

近藤ならそう言ってくれると思った、と高杉は笑う。
ああよかった。一夜明けて、そんなふうに笑えるようになったらしい。

「ちょっと頼みがあんだ」
「ん?」

玄関で靴を履いた近藤を呼びとめる。

「総悟から何か突っ込まれても、答えないでほしい」

沖田が大切な友人であることを意味していた。
もし言わざるをえない状況の時は、自分の口から直接話すつもりだ。
「わかった。多分俺とお前の関係も分かっちゃいねえだろうし、適当にごまかしとくよ」

高杉はほっと溜息をつく。それは近藤への信頼の証でもあった。

不安とこれからつかなければならない多くの嘘を背負い、近藤は家を出た。
天気予報は雨のはずだった。
だがこの空はどうだろう。
雲ひとつない、済んだ青が広がっている。

「眩しいな…」

この太陽がこの先の未来をどう照らしてくれるのだろうか。
近藤の足取りは軽かった。
駅までの遠い道のりを、わずかの時間で突き抜けた。
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