幕恋短編集 慎太郎編
□世話が、焼けるっすね
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薩摩藩邸から戻り、自室に向かって廊下を歩いていると、以蔵くんと姉さんが庭で話をしている姿を見つけた。
相変わらず、仲良いっすね。
少し妬ましく思いながら、溜息をつく。
姉さんが来てから、以蔵くんはよく笑うようになった。
新しい時代の為の影として、その役をこなす以蔵くんは時折、遠くを見るような目で、ぼんやりとしている事があった。
誰よりも優しい以蔵くん。
心を殺して、幾人もの命を奪ってきた、彼の心の闇の深さを、推し量る事はできない。
けれど、そんな以蔵くんに、姉さんは人斬りである事を知ってもなお、世間で何と言われてようが、自分の知っている以蔵くんが以蔵くんだからと言って、変わらずに笑顔で接している。
そんな姉さんの笑顔が、以蔵くんの心の闇を照らし、その優しさが、凍てついた以蔵くんの感情を溶かし、心ごと温かく包んでるんじゃないかと思う。
なぜなら、以蔵くんは姉さんといると、凄く穏やかな顔をして笑うから。
そして、姉さんも…。
姉さんは以蔵くんといると、本当に、嬉しそうに、幸せそうに笑う。
おれに見せてくれる笑顔とは、全然違う顔で…。
一度でいいから、姉さんのその笑顔をおれにも向けて欲しいっす…。
…まぁ、無理っすけどね…。
二人の姿を眺めながら、叶う筈もない願いを抱いた自分を自嘲していると、急に姉さんが以蔵くんに背を向けて、走り去った。
姉さん?
思わず、庭に一人佇んでいる以蔵くんに駆け寄る。
「以蔵くん?どうしたっすか?姉さんと喧嘩でもしたんすか?」
と、その背に尋ねた。
「…そんなんじゃない…。」
以蔵くんは苦々しそうに答えると、踵を返し、縁側に腰掛け、俯いた。
「そんなんじゃないなら、なんなんだよ!?」
走り去って行く姉さんの背中が、脳裏に焼き付いて離れないおれは、以蔵くんに問い詰めると、以蔵くんは俯いたまま、ボソボソと話し始めた。
「…あいつが……って、言った…だ。」
「以蔵くん、何て言ってるかわからないっすよ?」
その図体には、およそ似つかわしくない小さな声で、よく聞き取れず、呆れた声で聞き返すと、
「あいつが…
これから先も、俺の側にいたいって言ったんだ…。
例え、自分の身に何が起こっても、それでも、俺の側にいたいって、笑って言ったんだ…。」
なんだ、惚気っすか…。
おれは溜息をつきながら、
「で、以蔵くんは何て答えたんっすか?」
以蔵くんに尋ねた。
「…いい加減にしろと…、そんな話はするな…と…。」
「はぁっ!?何でそんな事、言ったんすか!?」
以蔵くんの答えに、思わず声を荒げる。
以蔵くんは、チラリとおれを見ると、また、目を伏せ、
「…怖いんだ。
俺のせいで、あいつに何かあったらと思うと…!
…俺じゃ、あいつを幸せにできない。
あいつの笑顔を守れない。
あいつには、俺なんかよりも、慎太、お前が側にいてやった方が…」
苦しげに気持ちを吐露した。
次の瞬間、以蔵くんの言葉に、頭の中でプツンと理性の糸が切れたおれは、以蔵くんの胸ぐらを掴むと、その顔を思いっきり殴り飛ばした。
「な…!?」
なぜ、殴られたのか分からないと言わんばかりの顔をして、おれを見上げる以蔵くん。
「なんで、おれが殴ったかわかんないんスか?」
以蔵くんを冷ややかに見下ろしながら、冷たく問いかける。
以蔵くんはそんなおれを、ただただ、呆けたように見上げるだけ…。
腹の底から、言いようのない怒りがこみ上げてくる。
…….‼︎
「…何、寝ぼけたこと、言ってんの?
姉さんを幸せにできない?
笑顔にできない?
どこに目をつけてんだよ!?
何を見てたんだよ!?
姉さん、笑ってただろ!
以蔵くんの隣で、幸せそうにいつも笑ってただろ!
おれに、以蔵くんと同じ事ができると思ってるの⁉︎
本気で、そう思ってるの⁉︎
刀で姉さんを守るだけなら、おれだってできる。
けど‼︎
あんな風に姉さんが笑えるのは、以蔵くんが側にいるからなんだよ?
以蔵くんだから、なんだよ!?
おれじゃダメなんだ…!
姉さんの笑顔は、以蔵くんにしか守れないんだよ‼︎?
なのに…!
いい加減、もっと自覚しろよ!
自分の考えや、気持ちだけを、押し付けるな!
もっと、姉さんの気持ちを考えろよ!
ふざけんな‼︎」
気がつくと、おれは怒りのまま、感情を吐き出すように、以蔵くんをまくしたてていた。
以蔵くんは暫く、呆然とおれを見上げてた。
けど、次にキマリが悪そうに笑って立ち上がると、すれ違いざまにおれの肩に手を置いて、
「すまん、慎太。ありがとう。」
そう言って、姉さんの後を追って走っていった。
「全く、世話が焼けるっすね…。」
走り去っていく背中を見つめながら、溜息をつく。
二人が仲睦まじく笑い合う姿が思い浮かび、胸がチクリと傷んだ。
我ながら、女々しい。
けれど、胸の片隅に追いやった姉さんへの想いは、おれだけの秘密…。
誰にも、決して明かすことはない。
頬にポツリと冷たいものがあたった。
空を見上げると、鈍色の雲から、ポツリポツリと雨粒が落ちてくる。
おれのかわりに、泣いてくれてるのかな…
…なんて、そんな訳ないっすね…
空を見上げたまま、苦笑いすると、おれは暫く、降り注ぐ雨に濡れていた。
頬を伝う雫は、雨粒なのかそれとも…
おれは目を閉じると、二人の幸せを静かに願った。
終