幕恋短編集 慎太郎編
□運命の赤い糸
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「ねぇ、慎ちゃん。運命の赤い糸って信じる?」
「ぶはっ!!な、な、な、な、な!?
突然、何を聞くんですか!?」
突然の姉さんからの質問に、思わず、飲んでいた茶を吹き出し、狼狽える。
「やだ、慎ちゃん!なんで、お茶吹くの!?」
幸い、縁側で二人でお茶を飲んでたから、吹き出したお茶は庭の土と、おれの袴を少し濡らした程度で済んだ。手の甲で、口元を拭いながら、
「だって、姉さんが変な事、聞くから!」
姉さんの質問に、抗議するように答えると、
「変な事?何が?」
彼女はキョトンと小首を傾げて、尋ねてきた。
「え…、いや、その…」
純真無垢な瞳で見つめられ、返答に困ってしまう。
おれが姉さんに想いを寄せている事に、姉さんは気づいてない。
好いた女子に不意打ちに、「運命の赤い糸を信じる?」なんて、聞かれれば、少なからず動揺するものっすよね?
なんて、誰に同意を求めるでもなく、心の中で呟く。
けれど、おれの気持ちを知らない姉さんから見れば、さっきのおれは挙動不審に思われても、仕方ないのかもしれない。
軽く咳払いをして、佇まいを直すと、
「それで?何故、そんな質問を?」
何事も無かったように、しれっと姉さんに尋ねた。
「え?えっとね、さっき、朝餉の後片付けをしながら、女将さんと話してたんだけど、女将さんに『そういえば、茜ちゃんは、とし、いくつなん?』って聞かれて答えたらね、『もう適齢期やから、はよぅ運命の赤い糸で結ばれた人に会えるといいな。』って、言われたから、なんとなく…」
素直な姉さんは、おれの様子を気にする事もなく、質問に答えてくれた。
ってゆうか、女将さん、そういう話は姉さんにしないで欲しいっす…
姉さんは、この時代の人じゃないんすから、それは未来で…
そう、心の中で言った自分の言葉に、胸が締め付けられ、姉さんの顔を見るのが辛くなって俯いた。
そうだよ…
姉さんは、この時代の人じゃない…
未来へ帰る方法が見つかれば、帰ってしまう。
それに、何とも思ってないおれの想いを知ったら、姉さんはきっと、困るに違いない…
姉さんは、優しいから…
…この想いは、捨てるしかない…
頭では十分過ぎる位に分かっているのに、それでも、姉さんを想う気持ちを止める事ができない。いや、それどころか、日に日に、大きく、強くなっている。姉さんの事を知れば知るほど、そばにいればいるほど、強く惹かれていく自分がいる。
バカっすね、おれ…
姉さんを諦める事も、想いを止める事もできない自分に、呆れる。
「慎ちゃん、どうしたの?大丈夫?」
おれを心配する姉さんの声に、我に返ると、
「何でも無いっす!ご心配ありがとうございます!」
そう言って、笑顔で答えた。
「そう…。良かったぁ。」
心底ホッとしたように、息を吐く姉さんの表情に、心臓が大きく跳ねた。
姉さんが、おれを心配してくれた事が嬉しかった。
でも、それは、おれだけに向けられるものじゃ無く、龍馬さんや、武市さん、以蔵くんに、高杉さんに、桂さん、みんなにも向けられている。
おれだけが、特別なワケじゃない。
勘違いするな…。
自分に、そう言い聞かせる。
おれは、深呼吸をすると、話題を代えるように、姉さんの最初の質問に答える事にした。
「えっと、さっきの運命の赤い糸の話ですが、おれにはよくわかりません。
けど…。
運命は自分の力で切り開き、掴むものだと思います。ただ、待ってるだけじゃ、ダメだ。
だから、この人だと思ったら、自らその人に、赤い糸を結んで、手繰り寄せなければならないと思います。」
平然と答えながら、おれは、何とも言えない気持ちになる。
自分には出来ない事を、何を偉そうに話してるんだ…?
そんな自分が滑稽で、自嘲しながら、姉さんの反応を見ると、
「そう、だよね…
運命は自分の力で切り開いて、掴まなきゃダメだよね!
自分が動かなきゃ、何も始まらないよね!」
おれの言葉に、納得するように頷いて、目をキラキラさせながら、詰めよるように、体を乗り出してきた姉さんに、動揺しながらも、何とか平常心を保ちつつ、
「そうっすね…。姉さんの運命の赤い糸を結びたい人が見つかるといいっすね。その為にも、未来に帰る方法を見つけないと…」
笑顔を作って、そう答えた。
「え?」
姉さんの表情が、急に曇った。
「姉さん?」
その表情の意味するところが、分からなくて、声をかけると、
「私…、やっぱり未来に帰らなきゃダメだよね…。」
姉さんは、とても寂しそうに笑って言った。
その笑顔と言葉に、おれは一瞬、どうしていいか、分からなくなる。
未来に帰らないで!
いつまでも、ここに…
おれのそばに居て欲しい…
そう思う自分が、心の隅で顔をもたげる。
おれは、そんな心の中の自分を振り払うように、首を横に振ると、静かに口を開いた。
「…そりゃ、そうっすよ。向こうには、姉さんの帰りを待つご両親や、友人が居るんでしょ?
それに、ここは姉さんのいた時代と違って危険っす。
何時、命を落とすか、わからない。
姉さんの身の安全と幸せの為にも、ここに居るより、未来に帰った方がいい。」
心の隅の自分の気持ちを悟られないように、淡々と、姉さんの問いかけに答えた。
その直後、姉さんの大きな瞳が瞬く間に潤み、真珠のような涙がポロポロと零れ落ちた。
「ど、どうしたんすか!?姉さん!?」
あまりの衝撃に、おれは、慌てふためく。
「なんで、泣いてるんすか!?
おれ、なんか姉さんを傷つける事言いましたか!?」
動揺を隠せないおれは、オロオロしながら姉さんに尋ねる。
「……りたくない…」
「え?」
涙で掠れた消え入りそうな小さな声。聞き取れず、何を言ったのか、姉さんに聞き返すと、彼女は泣きながら、おれをまっすぐ見つめて、
「私、帰りたくない!
私は、慎ちゃんの傍にいたい!
だって、私は慎ちゃんの事が好きだから!
運命の赤い糸は、慎ちゃんと結びたい!慎ちゃんじゃなきゃ、嫌だ!
だから!絶対に帰らない!!」
叫ぶようにそう言った。
頭が真っ白になった。
姉さんの言葉を咀嚼できずに、呆然と彼女を見つめる 。
ぎゅっと目を瞑り、顔を赤くして、フルフルと体を震わせている姉さんの姿に、次第に思考回路が動きだす。
まさに青天の霹靂…
姉さんが、おれの事を…
姉さんのくれた言葉に、喜びがこみ上げてくる。それと、同時に、姉さんの気持ちに気づいてなかった、自分の鈍さ加減に、ヒトの事は言えないなと、笑いが零れた。
「し、慎ちゃん?あ、あの…」
突然、笑い出したおれに戸惑う姉さん。
その様が可愛らしくて、おれは溢れてくる気持ちのまま、姉さんに手を伸ばし、腕に閉じ込めた。
緊張したように身を固くした姉さんに、笑顔を向けると、
「ありがとうございます。」
それだけ言って、抱きしめた腕に力を込めた。
「…うん」
姉さんは、こたえるように、おずおずと、おれの背中に手を回して、キュッと着物を掴むと、おれを見上げて花のように笑った。
…おれは酷い男っすね。
姉さんの笑顔と、温もりに、癒されながらも、罪の意識に苛まれ、胸が痛くなる。
混沌としたこの時代
いつ、終わるともしれない、この命
それに、姉さんを巻き込む事は出来ない…
ましてや、姉さんと運命の赤い糸を結ぶなんて事…
姉さんがどんなに、ここに残りたいと言っても、必ず未来へかえさなければならない。
それが、姉さんの為だ…
姉さんの為を思うなら、毅然として、拒絶しなきゃならないのに、おれは、中途半端な返事を返して、あまつさえ、姉さんを抱きしめている。
自分の未練がましさに、吐き気がする。
けど…
それでも…
おれは姉さんの傍にいたい。
どんなに未練がましくとも、おれは、やっぱり、この気持ちを止めることができない。
姉さんを、未来に帰したとしても、この想いは消える事はないだろう…。
姉さん…
おれは、あなたを心から愛しています。
あなたと、運命の赤い糸を結ぶ事は出来ないけれど、何が起きても、おれは、どんな事をしてでも、あなたを守ります。
あなたの為なら、命だって惜しくない…
だから…
…どうか、おれの傍にいて下さい。
おれの傍で、笑っていて下さい。
あなたが未来に帰る、その時まで…
何も知らずに微笑む姉さんに、心の中でそう願うと、かりそめの幸せを強く、強く噛み締めた。
終