幕恋短編集以蔵編

□あなたを迎える言葉
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以蔵がくれた風車を手に縁側に座ると、私は空を見上げた。
うろこ雲が空の高いところに、沢山広がっている。
頬を撫でていく風も、心地いいものになり、次の季節に変わろうとしている事を教えてくれている。
手に持った風車が風を受けて、くるくると回っているのを見ながら、私は以蔵との会話を思い出していた。

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「あまり、無茶しないでね。」


少し怪我をして帰ってきた以蔵。
その手当てを終えて、私がそう言うと、以蔵は、


「お前に言われたくない。」


と、笑いながら答えた。


「もう、茶化さないで!私は以蔵が心配なの!」

「心配?何故だ?」

「何故って、以蔵は自分の命を顧みて無いような気がするから…」


不思議そうな顔をして、尋ねてきた以蔵に私は、言葉を返した。


「………」

「以蔵?」

「………」


黙りこんで、私から目を逸らした以蔵。名前を呼んでも、押し黙ったままだった。


「以蔵ってば!」


痺れを切らして再度、以蔵の名前を呼ぶと、以蔵はやっと口を開いた。


「………俺の命は、龍馬が救ってくれたものだ。
龍馬のおかげで、俺は今、ここに居る。
だからこそ、龍馬や慎太、先生、それから仲間の為に、俺にできることがあるなら、俺はその為に、この命を使いたい。例え、命を落とすことになったとしても、俺は構わない…」


私をまっすぐ見ながら、ゆっくりと紡がれた以蔵の言葉に、胸がキツく締め付けられたように痛くなった。
涙が自然と溢れてくる。

「おい!?どうした?なんで泣く!?」

突然泣き出した私に、以蔵が慌てる。

「…だって、…だって…。
以蔵が……死んだって構わないって言うから!以蔵の馬鹿ぁぁあああ!!」

「!?」

泣きじゃくる私を、以蔵は驚いた顔をしたまま、茫然と見つめている。

溢れてくる涙と気持ち。

こんな時代だから、仕方ないのかも知れない。

日常茶飯事のように、誰かが命を落としている。

けど、私は以蔵に命を危険に晒すような事はして欲しくない。

生きていて欲しい。

私のそばで、笑っていて欲しい。

でも、以蔵は仲間の為なら、自分が犠牲になることも厭わない人だから、きっと、止めても、その信念を曲げる事はないだろう。

せめて、私が、以蔵の手助けができる位強ければ、一緒に戦う事ができるのに…

私は、自分の無力さを痛感していた。

止まらない涙と、漏れる嗚咽。

泣き続ける私に、以蔵は懐から取り出した風車を差し出した。

綺麗な赤い風車。

私は、その風車を受け取ると、以蔵の顔に視線を移す。
以蔵は、まるで叱られた犬みたいに困ったような、泣きそうな顔をしていた。
私は、それが可笑しくて、思わず吹き出してしまう。
急に笑い出した私に、以蔵は赤い顔をして怒る。


「な、何を笑っている!?」

「だ、だって、以蔵の顔が…、プッ、アハハハハ!」

「わ、笑うな!」


ますます顔が、赤くなる以蔵が可愛くて、私の笑いは止まらない。
以蔵は、そんな私に、溜息を付くと、呆れたように、


「全く、泣いたり、笑ったり忙しい奴だな。」


そういうと、優しく微笑んでくれた。

胸がトクンと一つなる。

いつの間にか、涙も笑いも収まっていた。

以蔵の手が、頬にそっと伸びてきて、まるで、壊れものを扱うように、優しく涙を拭ってくれる。
その手の温もりが頬に伝わり、私の心にじんわりと幸せが広がっていく。
それと同時に、この幸せが突然、手の届かないところへいってしまうかもしれないんだという恐怖に駆られた。

この手の温もりを失いたくない…。

私はその恐怖を振り払うように、頭を振ると、以蔵に話しかけた。

「…ねぇ、以蔵。」

「何だ?」

答えてくれる以蔵の声と瞳が、とても優しい。

胸がぎゅっと締め付けられたように痛くなって、私は、私の中で、以蔵の存在が、どれだけ大きく、かけがえのないものになっていたかを、改めて自覚した。

出会った頃には、あなたにこんな気持ちを抱くようになるなんて、思いもしなかった。

ただ一人の、大切な人…

以蔵…

私があなたに出来る事は…

私の続きの言葉を待ってくれている以蔵に、この気持ちを届けたくて、私はその気持ちを込めて、言葉を紡ぐ。


「以蔵が、今日も帰ってきてくれて嬉しい。」

「はっ?」


私の唐突な言葉に以蔵は、目を丸くした。
私は構わず、笑顔で言葉を紡ぎ続ける。


「私はね、以蔵が無事に帰ってきて、『ただいま』って言葉をくれたら、それだけで幸せな気持ちになれるんだ。
他には、何もいらない。
だから、これから先も、『ただいま』って、言葉を私に聞かせて欲しい。
私は、ここで、以蔵の帰りを待ってるから。
一番に笑顔で、「おかえりなさい」って、あなたを出迎えるから!
だから、必ず帰ってきてね!」


私に、以蔵を手助けできる力はない。

私にできる事は、以蔵の帰りを待つ事だけ。

以蔵の帰りを待つ人間が、ここにいるんだよ。

以蔵が無事に帰ってきたら、喜ぶ人間が、ここにいるんだよ。

それを、以蔵に知ってもらいたかった。

ただ、それだけだった。

以蔵は黙ったまま、私を、見つめている。
沈黙が流れ、頭が冷えてくると、私は、自分のおこがましさに気づいて、急に恥ずかしくなってきた。

私の馬鹿…
こんなの私の気持ちを、以蔵に押し付けてるだけじゃない…

いたたまれない気持ちになって、以蔵に背中を向けると、この気持ちを紛らわすように、手渡された風車にふぅと息を吹きかけた。

くるくると回る風車。

以蔵どう思ったかな?

やっぱり迷惑だよね?

風車を見つめながら、何も言葉を返してこない以蔵に、やるせない気持ちになる。

以蔵にとって、龍馬さんや慎ちゃん、武市さんを守ることが、一番大事な事なんだよね。
私のこんな自分勝手なお願いなんて、聞いてくれるはずない。
でも、以蔵は優しいから、私のお願いを断れずに黙ってるんだ…。

そう思うと、ジワリと涙が、滲んできた。

ダメだ、また泣いちゃう。
ここで、泣いたら、以蔵がますます困るじゃない。

私は、泣きそうになるのを堪えるように、風車を握りしめ、ギュッと歯をくいしばった。
と、その時、


「…った。」


以蔵の声が聞こえた。


「え?」


聞き取れなくて、振り返ると、以蔵が微笑んで、私を見つめている。


なんて、言ったの?


聞き取れなかった言葉を尋ねるように、見つめ返すと、以蔵は、


「わかった。必ずここに、お前のところへ、生きて帰ってくる。約束する。」


そう言って、はにかむように笑った。

以蔵のくれた言葉と笑顔に、堪えてた涙が堰を切ったように溢れでる。


「なんで、また泣く!?」


また泣き出した私に困惑する以蔵に、


「…こ、…これは…ック、嬉し泣き…ックだからいいの!うわぁぁああん!」


私は、大泣きしながら答えた。

だって、そんな答え、もらえるなんて思って無かったから…

約束なんて、してもらえると思って無かったから…

こみあげてくる涙と気持ちは止められない。

「なんだ、それ…。」

以蔵は苦笑いしながら、私の涙をまた、その手で拭う。


「ひどい顔だな。」

「だって〜」


止まらない涙に、自分自身どうしていいか分からない。

感情が爆発したって、こういうことを言うのかな?

心も、体も、嬉しくて、震えている。

私の自分勝手な願いに、以蔵が笑顔で答えてくれた。

いつ、命を落としても構わないと言っていた以蔵が、必ず生きて帰ると約束してくれた。

以蔵が生きることに目を向けてくれたように感じて、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

不意に、以蔵の両手が私の頬を包み、すくい上げる。
以蔵は私に目線を合わせ、フワリと笑うと、口を開いた。


「…嬉しいなら、笑え。俺は、お前の笑った顔が好きだ。」

「へ?」


以蔵から発せられた、全く予期せぬ言葉に、頭の中が真っ白になる。
溢れていた涙も止まってしまった。
ただただ、茫然と以蔵を見つめていると、以蔵はハッとしたような顔になって、顔を真っ赤にしながら、私から離れた。


「い、いや…、今のは、あの…、その…。
と、とにかく笑ってろ!いいな!」


これ以上聞くなと言わんばかりに、以蔵は吐き捨てるように、そう言うと、背中を向けた。
背中を向けた以蔵の表情はわからないけど、後ろから見える耳が紅くなっている。

以蔵ってば、それじゃあ、背中を向けている意味ないよ…。

思わず、口元が緩む。

こんなに優しくて、かわいい人を私は他に知らない。

愛しくて、愛しくて、たまらない。

こんな気持ちになるのは、以蔵…

あなただけなんだよ?

気持ちを抑えられなくて、私は後ろから以蔵に抱きつく。


「お、お前、な、何やってるんだ!?」


振り返り、私の行動に、激しく動揺する以蔵。

ああ、もう、本当かわいいなぁ…

でも、そんな事言ったら、以蔵が怒るから黙ってよ。


「…以蔵、約束してくれて、ありがとう。」


私は抱きついた本当の理由を、隠して、生きて帰ると約束してくれた事に、お礼を言った。


「そんな礼を言われる筋合いはない…。」


ぶっきらぼうに応えると以蔵はまた、私から目線を外すように、顔を前に向けた。
以蔵は照れると、いつも、こんな風に、顔を赤くして、目線を合わせずに、ぶっきらぼうに話して、黙りこむ。
私はクスリと笑うと、背中から以蔵に話しかけた。


「でも、私にとっては、すごく嬉しい事だったから、やっぱり、ありがとう!って、言いたいな。
ありがとう、以蔵!」


改めてお礼を言うと、以蔵はフッと鼻から息を抜くように笑って、振り返り、


「変な奴…」


そう言って、おかしそうに笑った。


「酷い!以蔵!」


私は、わざと大げさに怒ったふりをすると、以蔵は楽しそうに笑った。

その笑顔に胸がキュンとなる。

以蔵が、ずっとこんな風に笑える日が、来ればいいのにな…

以蔵の笑顔を、見ながら、そう思い、そして願った。

以蔵に心から笑える日常が来ますように…


「そろそろ、自分の部屋に戻るね。」


そう言って、私は立ち上がると、襖に手をかけた。


「○○…」

「ん?何?」


名前を呼ばれて振り返る。


「ありがとう。」


凄く優しい笑顔で、そう言われたから、私はドキドキしてしまう。


「あ、手当ての事?き、気にしないで?」


返す声も、上擦ってしまう。


「いや、それだけじゃなくて、その…
とにかく、なんだ…
その…ありがとう…。」

以蔵が何にありがとうって言ってるのか、よくわからないけど、顔を真っ赤にして、俯きがちに、消え入りそうな声で言うから、私は、特に尋ねることもなく、「うん。」と、それだけ返した。
すると、以蔵はホッとしたように笑って、「おやすみ。」の言葉をくれた。


胸の奥が温かくなる。


私のいた時代では、当たり前に交わされる挨拶だけど、その挨拶さえ、今の私には嬉しいものなんだ。


「おやすみなさい。」


私は、以蔵に笑顔で挨拶を返すと、以蔵の部屋を後にした。

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あの約束をしてから、少しして、以蔵は武市さんの護衛で、長州藩邸に出かけていった。

以蔵も、この空を見ているかな?

少し茜色に染まってきた空と、冷えてきた風

いつの間にか、時間が流れていた事に、気づく。


「○○ちゃーん、ちょう、手伝って〜!」


お台所から、女将さんが私をよぶ声が聞こえた。


「は〜い、すぐ行きます!」


私は返事をすると、腰を上げて、自分の部屋に風車を置きに向かおうとした。
と、その時、玄関の戸がガラガラと音を立てて開いた。

私は慌てて、玄関に向かう。

はやる胸を抑えるように、胸元で風車を強く握りしめながら、廊下を早足で歩いていく。

あ…

見慣れた大きな背中を玄関に見つけて、私は深く安堵した。

草鞋を脱ぎ終えて、こちらを向いたあなたと、目が合う。
私はあなたに向かって、最上級の笑顔を浮かべると、あなたを迎える言葉を贈った。


「おかえりなさい!以蔵!」


〜終〜

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