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□後日談 V
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そもそも他のお客さんの診療はしなくて良いのかと、本格的に休憩状態に入った不良医師に問えば、もとからイチちゃんの予約しか入れてなーい、とふざけた返事が返ってくる。つくづく何のために診療所を開いているのか。たまに街の大病棟へ手伝いに行っているのは知っているが、いっそ勤務医にでもなれば良いのに。──何だかんだと理由をつけて、雇用されるのを嫌がるランピーは多分拒否するから声に出して提案はしないけれど。

「……何が、良かったと思ったの?」

身を屈めて散らばった書類を広い集めながら、白く揺れる白衣の背中に問いかける。
かち、というスイッチ音と微かにこぽりとお湯の沸く音がした。

「知ってるぅ?一時的な記憶喪失ってね、治ったとき、今度はその間の事を覚えてなかったりするの」

返ってきたのは、答えではなく問い掛けだった。

「モールねぇ、ちょっと不機嫌だったでしょ?」

そして畳み掛けるようにもう一つの問い。
モールさん?なんで、モールさん?

「んう?昨日のうちに会いに行ったんでしょう?」
「え、うん…………確かに」

当たり前の常識を解くようにそう言われ、一瞬動揺するものの、

「確かに、ちょっと……やっぱり急に押し掛けて迷惑だったのかな」
「あーぁ、それ聞いたらモール溜息ついて泣いちゃうよぅ?たぁぶんねっ」

泣いちゃうことはないと思うけど。
ランピーはがたがたと動かしていた手を止めてくるりと振り返る。

「あのね、イチちゃんがモールにかけてるのは迷惑じゃないと思うよ?」

そして聴こえてきた、覚えのある台詞に思わず顔を上げた。

「それ、」
「んん?あっ、これぇ?コップが無くてさぁ、大丈夫だいじょーぶまだつかってないやつだからっ」
「いや、そのビーカーのことじゃなくて。──それ、モールさんにも言われたこと、ある」

まぁ確かにその明らかに理科実験用ビーカーに入れられたカフェオレも気にはなっているが。……せめて、ちゃんと耐熱だろうか。

「迷惑じゃないよぅ、って?」
「うん」

頷けば、主治医の口端が僅かに上がる。

「なら信じてあげなよう」

驚いて白衣の長身を見上げれば、折角集めた書類が手から掻っ攫われる。代わりに押し付けられたのは、暖かいカフェオレ。

「僕だってねぇ、一応お医者さんだしっ、それはそれでいーことだとは思うけどねえ?」
「な、なんの話?」

いつのまに移動したのか、直ぐ目の前にランピーが立っていた。水色に混ざる金が揺れ、すぅ、と長い人差し指がオレを指す。

「イチちゃんが居なくなっちゃったら僕もモールもちょっと寂しいなって話ぃ?」

そう言い募るのだがオレはというと今一つぴんとこなかった。すると不可解な顔をしているオレに気付いたのか、ランピーが面白いものでも見つけたように、笑いを含んだ声で言う。

「んーとねぇ、イチちゃんはたぶん、自分で思ってるよりずっと色んな人に愛されてるんだよねぇ」
「あ、あい…………?」

目が合えば、ちゃらんぽらんな主治医はさらに笑う。

「まだわかんないかもねっ?急にわからなくてもいーよぉ、でもねぇ、ちゃんと見てればわかるからね?焦らなくて大丈夫だよう」

いや、結局何がなんだか、そう言い返そうとしたその時、不意にぼふっと降りて来た手によってオレの視線が床を向く。

「イチちゃんは、ちゃんとここに居て良いんだよーって……今はそれだけ分かってればソレでいいよぉー」

大きくて、でも華奢な骨ばった指が掻き回すように髪を撫でる。整えるどころか乱す事が目的のようなその動きに、ふらふらと頭を振られながら辛うじてランピーを見上げれば、オレの主治医は恐らくはコーヒーの入ったビーカーを片手に目を細め、懐かしくなるくらい優しげな表情で。

「ランピーは、」
「うん?」
「オレが記憶喪失だった時も、最初にそれ言ってくれた。大丈夫だよって笑って、……あの時は上手くいえなかったけど、」

右も左も分からずに、感情が希薄で、不安に思うことすらままならなかったあの時、ランピーはいつも笑っていた。……今もだけど。
でも、その笑顔は、オレの中の欠落を残らず払拭するような笑顔は確かに今のオレの一部になっていて。

「……すごく、安心した。し、嬉しかった」

頭上の暖かな掌を捕まえ、滑らせるように眼前まで下げ両手でそっと握り締めた。

「──ありがとう」

お手本をなぞる様にできる限りに微笑んだ。多分、双子に指摘されたようにまだまだ下手くそなのだろう、そんなオレを見て、でもランピーは嬉しそうに目尻を下げ、

「ん、どーいたしましてぇ!」

包み込んだ筈の掌に、両手ごとぎゅっと握り返された。

【end】


(イチちゃんはたまーにじぶんに優しくないんだもーん、僕もちょーっと心配でねぇ?)
(え、そうかな…………『も』って?)

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