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□後日談 W
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記憶が戻った。
そう告げれば、その人はただ「おぅ、そっか」と一言だけ呟いた。そしてその簡潔さとは裏腹に、ゆっくりと目を細めて安心したように息を吐く。
それを見て、オレの言動は結構色んな人に心配をさせてしまっていたらしいと少し反省した。

「それと、約束通り教えに来た。分かったんだ、」

……オレの、この街から出て行かない理由。























海に垂れ下がる、視認が困難な程に細い釣り糸。桜の実に似た赤い浮きは波に揉まれて時折揺れるが、繋がる竿の先端はピクリとも動かない。
オレは何と無く込み上げた嫌な予感と共に腕を引き、海面から釣り針を引き揚げた。

「また餌だけ無い……」

案の定、今回も釣果なし。これで五回目だ。というか、初めて釣竿を握った時から、ボウズを脱却できた試しが無いのだが。

「おー、まぁ悄気なさんな」

度し難いと首を捻る隣で、オレに釣りを教授する当の本人が暢気な調子で白波に向って少し笑む。因みにその傍らに放置されたブリキのバケツでは活きの良い魚が跳ねていた。ちょっと……結構羨ましい。
ともあれ、不平を漏らしても何にもならない。憧憬にも似た感情を抱きつつ、オレはちまちまと手元の針に餌を付け直した。

「……何が駄目なんだろう」

餌の分だけ重たくなった釣り針を錘と浮きごと放り投げ、縁石に腰掛けながら呟いた。足元では相変わらず、底の知れない海が磯の香りと微かな冷気を漂わせているが、いつかのような恐怖はない。

「ま、気が長い奴は釣り向かねーとか言うしな」

同じく隣に腰掛けた釣り人は律儀に慰めてくれるのだけど、そう言うラッセルだってとても短気には見えない。反論すれば、「俺は、ほら、大人だから。体裁があんだろ?」とあまり真面目には聴こえない返事を返される。「お前さんと違って釣り歴長ぇし」とも。こっちはまぁ、納得の理由である。

「なら、次は早めに引く」

別にどうしても魚を釣り上げたい訳ではないのだけれど。ここまで来れば最早意地である。街中への挨拶回りが落ち着いて、良い機会だからとどこかの医者から借りた釣りセットで海釣りを教わり始めたのが昨日の事。

──約束違えず報告に来た日からは、三日目。

「先越されちまったなぁ」

ぷくん、と浮きが少し沈んだ。
勿論それはオレの釣り糸ではなかったのだけど、ラッセルは竿を引こうとはせずに、ぼんやりとしたような思慮深いような顔でそれを眺めていた。

ぽつりと呟かれたその言葉は、例えオレのバケツが空でなかったとしても釣りの話でない事くらいは分っただろう。

「期待して待っててくれたんじゃなかったの」
「それはそれ、これはコレだ」

問い返してみれば、笑いを含んだ声が降りた。いつか相談という名の愚痴を零した時のように、その目線は青い海へと向っている。
その横顔を見ながらそっと答えた。

「でも、そんなに変わらなかった」

意味が取れなかったのだろう、眼帯で片目の隠れた顔がこちらを向いた。マリンブルーの髪が振られて揺れる。

「理由が分っても、分らなくても、同じだった」
「……同じか」
「同じだった」

何かを見極めるように眇められた片目に、怯まず見返してしっかりと頷いた。

「だって理由が見つかる前もここに居たし、見つかった後もオレはここに居る」

手に震えを感じた気がして、そろりと腕を引いてみる。

「だからラッセルも、……いつか理由が見つかっても、オレみたいに変わらないかもしれない、よ」

喋っているうちに着地点を失っている気がするが、つまり、もしそうならオレが嬉しい。
理由なんて関係なく、ラッセルが変わらず街に居てくれたなら。
だって、この元海賊が海辺で笑って出迎えてくれる事だって、オレがこの街に留まる理由の一つだから。オレの幸せの一部なのだから。

「そうだな……」

誰かの話を聞く時に、海を見ているのは多分お互いに無駄な気負いをしないように。件の話題を蒸し返すまで三日も間を空けたのは、オレが気疲れしないように。
自分からは何も言わない癖に、本当に面倒見のいいこの人は何かを察したのかもしれない。
その答え合わせは出来ないけど、

「ま、どっちにせよ今のとこ街から出る気はねぇな」

兄貴肌の元海賊はそう言うと、ニヤっと、まるで悪戯が成功したかのように口角を上げた。

「少なくとも、お前さんの釣り技術が上がるまでは」

やっと手繰り寄せた糸の先には、やっぱり釣り針が身軽に揺れていた。

「そっか」

それならば当分、オレのバケツは空のままで良いかな。



(でも何で一匹も釣れないんだろう)
(…………ほれ、俺の分けてやるから)



【end】

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