創作

□狩人と地図屋
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本当言うと、僕はこの街の出身じゃない。

今時そんな些細なことを気にする人はいないけど、曽祖父に連れられてここにやって来たばかりの小さな僕はそんなことには思い当たらない。余所者のレッテルを貼られた気がしていつも家の中でうじうじと思い悩んでいたような気がする。今だって暗いと言われる事は多々あるが、あの頃の塞ぎこみようといえば凄かったよ、と当時を知る人からは稀にそんなことを揶揄される。
でも、それもごく短い間だったと思う。

初対面がどんなだったかなんてもう覚えていないけれど、やがて出会った二つ年下の幼馴染はいつだって僕を外に連れ出すのだから。




◇◇◆◇◆◇◆◇◇



「で、何でいるの?」
 
その頃から時は流れて、人に言われるまでもなく外に出られるようになって久しい今。
明烏がなく頃に、通信の塔から帰宅した僕はソファに転がり眠っていた幼馴染兼親友に問いかける。

「だってこの家の方が森から近いし」

そもそもが狸寝入りだったのか、それとも僕の声で目を覚ましたのか。どちらにせよしっかりし過ぎないつも通りの声と共に、紅茶色の瞳がぱっちりと開く。

「セルの家と三歩しか変わらないよ」

好い加減言い慣れてきた反論を舌に乗せながら後ろ手にドアを閉める。
軽く頭を振って、若干の怠さを追い払い、ソファを見やれば寝起きなのも手伝ってか、いつもよりへちょんとしている浅葱色が目に入る。力の抜けた軟体動物のように横たわったままだ。

「ちょっと、仕事帰り?ちゃんと家帰ってベッドで寝なよ」

呆れて言えば、測ったようなタイミングでセルバは一つ大きなあくびをしてみせる、が、

「んー、もう寝た。……からいーの。てゆか仕事帰りはティンの方じゃん」
「いや、そうだけど僕は仮眠してきたし」
「ふぅん?」

片目を眇めて疑わしそうな視線から、条件反射に顔を背ける。嘘は吐いてない。硬い椅子でも慣れると案外眠れるものだ。最近はノッラが思いついたように毛布を掛けてくれてたりするし。……逆に気を使うけど。
逸らした視線の先には帽子掛け。ついでだと上着を脱いで顔を戻せば、セルバはいつの間にか目を閉じて俯いている。かと思えば、それを疑問に思う暇もなく、紅茶色の双眸がカッ──と開かれた。


「よっし、回復!」


さらに、ひら、と、準備動作殆どなしに、風に吹かれた枯葉のような身軽さで起き上がって宣言する。……セルバの腹筋って、どうなってるんだろう。気にはなるけど、見たくはない。

「……なんでそんなに元気なの?」
「ふっふーん、なぁーいしょー」

歌い上げるように言って、幼馴染はそのままソファに正座し、おかえりー、と思い出したように僕を見上げる。

だから、ここは僕の家であってセルの家じゃないんだけどな。

もはや様式美になりつつある文句を胸に、鞄を下ろして溜息を吐く。
セルは滅多に自分の家に帰らない。例えば彼を知ったばかりの人がセルバの家に行くと驚くと思う……その、生活感のなさに。
必要最低限の家具、仕事に関する詰まれた僅かな資料と道具。勿論娯楽品などはなく、普段のセルバからは到底考えられない無愛想な部屋。
何も無いから帰らないのか。──それとも帰らないから何も無いのか。

そんなことを考えていれば、当の本人は僕の溜息をどう解釈したのか、仕事部屋には入ってないよ、と拗ねたように言ってきたので、知ってるよと返す。
するとセルバはふふんと笑った。

「信用されてるなぁ、俺」

ソファに乗っかったままニマニマと紅茶色の目を細める。その機嫌の良い猫みたいな様子に思わず失笑が漏れた。

「今更。セルのこと疑ってどうするの」

次の瞬間、辺りがす、と暗くなる。
僕はまだ何も言っていないにも関わらず、セルバが部屋の明かりを落としたのだ。カーテンは初めから引かれている。どうも見透かされているような気になるが、多分僕だって意識せずとも彼に対してはこれくらいのことをやってのけているのだろう。長年の付き合いは伊達じゃない。

魔法屋のランプは一つあれば部屋を隈なく照らしてくれる優れものだが、僕らにも手の届く質(というか値段)のものとなれば光量の調節ができないことだけが痛い。途端に不自由になった視力に構わず部屋の中を記憶と慣れだけを頼りに歩く。目当ての扉へは、すぐに辿り着いた。

かちゃりと軽い力で回るドアノブの奥にあるのは、この家の中で一番広い部屋。

ふと肩越しに親友を振り返れば、彼はソファの背もたれからひょこっと顔だけ覗かせて、小さな子供のようにうきうきとこちらを眺めている。それはそっくり昔のままで、ただ昔は僕もあの横に居たんだよなぁと思わず笑いそうになる。

「なんだよぅ、見てていいんでしょ?」
「大人しくしてるならね」

言わずもがなの注意に頬を膨らますセルは放っておいて、僕は『仕事部屋』に目を向けた。

そこに広がるのは、紛れもない、僕たちの街だった。

──当然、大きさは異なるけれど。原寸大ではなく、まるでプラモデルのようなミニチュアの町並み、森、山脈、草原。何もかもこれ以上ない程に精巧に造り込まれ、それらは実際に息づいていた。ただし、現実の世界とは違い、そこには縦横無尽に糸が張り巡らされていた。

僕はそれと同じような、細くて頼りなさそうな、それでも実は丈夫な糸を取り出す。使い差しで、余っていたのを手首に巻きつけてあった、数メートル分の糸。これが僕の仕事道具だ。
ついさっき隣町の地図屋と話して決めた通りに少しだけ糸を張り直す。ミニチュアの街の糸が移動した分だけ、実際の世界の地理も変わる。地図を描くだけでなく、地理を描くのも地図屋の仕事だ。その事を知っているのは少数の人間に限られるのだけど。

「──今日、森がちょっと広くなったから迷わないでね」
「迷わないよそれくらいで」

生きた小型模型を照らすのは夜空から零れ落ちた星たち。
ランプでも、魔石でも、蝋燭の明かりでさえも、この小さな世界には眩し過ぎるのだ。
それでも真っ暗闇に沈めてしまうわけにはいかない。だから地図屋たちはみんな星拾い屋から星を買い、創り物の世界の上に散りばめる。

「綺麗だよね、いつ見ても」

ぽつん、とセルが呟きを暗い部屋に浮かべる。
この小さな世界を脅かさないように地図屋の仕事を行う時は家中の電気を消す。するとぼんやりとした星影だけが辺りを照らす。昔、祖父が仕事をする傍らで、僕もセルもそれを見るのが密かに楽しみだった。

「そうだね」



……実は今でも楽しみだ。


【end】

(あ)
(え?)
(セルバぁ!暇だからあっそぼー!)
(チカじゃん!ひさびさぁ)
(ちょっとここ本当に僕の家だよね!?)


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