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□仮眠室のブアメード
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Mad experiment.(=harassment)



季節柄、未だに日の出の見られない午前五時。街の随一とも言える程大規模な病院の中。打ちっ放しコンクリートで囲まれた薄暗い部屋の、スプリングの効かないソファの上に転がったまま当直医ランピーは目を覚ます。
その瞬間、

「あ、起き上がらないでください」
「ふが?」

視界が定まるよりも前に、ごく普通のトーンで話しかけられ鈍感医師は困惑する。意味を成さない言葉で鼻を鳴らして「んんー、天井っていつから喋れるようになったのっ?」と嘯けば、「天井が喋る訳ないじゃないですか」と降って来る返答。その覚えのある声に、ランピーは指示通り寝転んだまま、その長い首を伸ばしてずりずりと顔を上げ、頭上を──つまりソファの背後を仰ぎ見る。

「あれぇ、スニフ逆さまだねえ?」
「どっちかというとランピーが逆さまなんです」

そこに居たのは予想していた通りの人物。
ややズレ気味の眼鏡を鼻に引っ掛けて、スニッフルズ少年はランピーを覗き込むようにソファの傍らにしゃがんでいた。近頃、突然増え始めた患者と病院執務に、せめて事務だけでも手伝って欲しいと急遽呼び出し要請をかけたのは、いくらマヌケと呼び親しまれる自分をしても記憶に新しい。しかし、何故こんな所に?
ランピーが寝起きの意識を本格的に覚醒させようと試みたその時、

ぴとん、と。

何か、雨上がりの傘の雫が水溜りへ落ちるような、そんな音がこだました。同時に、跳ねっ返りの水滴がむき出しの足首に飛来したのも感じ取り、その冷たさに眉を顰める。
一体何事だというのか。
ジュースで溢したかなぁ、と普段通りに暢気な思考を巡らせるランピーに、しかしスニッフルズは待ったを掛けた。その言動を以てして。

「昔、死刑囚を使って行われた実験の一つに、こんなのありましたよね」

ぴとん、と、また音がする。
眠るために消してある室内灯。
明かりといえば、開けっ放しのドアから漏れ出る廊下の白い光だけ。開いた扉のほんの僅かな隙間の分だけ、台形に闇を切り取るように、蛍光灯は室内を照らす。
そんな差別的な光源を背に、スニフは自前の白衣が床に着くことも厭わず小さく屈んだまま言葉を紡いだ。

「足に小さな傷をつけて、そこから血液を滴るままに少しずつ、抜いていくんです。人間は体重の10%に相当する血液を失うと死ぬ……苦痛のない処刑法を探すための実験です」

ぴとん。
薄闇と静寂の中に、一定の間隔を空けて滴る水滴。その、音。

「血液は足元に用意された容器に落ちるようになってて、その音は静かな実験室内に響き渡るんです」

ちょうど、今みたいに。
被さるように不穏な水音が響く。
サイズが合わずに、ずり落ちてくる眼鏡。いつもは律儀に調整するその齟齬にも構わず、無表情に近い冷静な面持ちでスニッフルズは淡々と述べた。

「その死刑囚は、実験が始まってから5時間くらいで本当に死んじゃったそうです」

未だ、当直医を見下ろすその目は、実験用ラットを観察する際のそれに異様に似ている。
友人たる糖尿病患者の治療やヒーローの光線の謎を語っている時、とある少女のために薬剤を煎っていた時も、この子はこんな顔をしていたとランピーは不意に思い出した。どこか茫洋とした、瞳孔が開き気味の瞳。それは狂気に似た集中の証。

「ランピーの体重の、10%の血液ってどれくらいなんだろう」

ぼそり、と独り言のように呟いたかと思えば、気紛れよろしく問いかけてくる。

「どれくらいで、抜けると思いますか?」

最早能面のような少年の顔は、口元だけが緩やかに動く。水滴の音は止まっていない。分っているのかいないのか、ただじっとその視線を向けてくるランピーを真っ直ぐに見返しながら、スニフは言う。


「そう言えばそろそろ、仮眠取り始めてから、5時間くらい経ちましたよね?」


ぴとん。
滴る、水音。


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