×××

□仮眠室のブアメード
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ぴとん。
滴る、水音。

「……あはっ」

そしてランピーは、へらりと笑った。
唐突に起された、それも予想外のリアクションにスニッフルズはつい動揺し、眉間に皴が寄る。

「ソレねぇ、」

困惑が広がる視界の中、逆さまになったままの気の抜けるような笑顔で鈍感医者は、ひょいっと右手を上げて人差し指を一本立てた。

「僕も似たよーな実験知ってるんだよねっ」
「…………」
「ただぁし!実験目的は『肉体と精神の癒着具合』と『脳の誤作動』を調べることっ」

ぴこぴこと指を動かしながら、非常に聞き分けよく仰向けのままで一席振り始めたランピーの、その鹿爪らしい演説に、先程まであれ程不気味に聴こえていた筈の微かな水音は他愛もなく掻き消されていく。面白がるように実に楽しげに、つまりは普段通りの様子で奔流の如く話し始めた当直医に、

「死刑囚には時間ごとに累積出血量が告げられた、律儀だねぇ?そーやって何時間も水音と出血量を聞かせた後に、総出血量が体重の10%を超えましたぁ、って医師が教えたとき、死刑囚は死んじゃったっ」

対して、臨時手伝いのスニッフルズは何処か諦観の混じる顰め面へと変貌していく。

「でもね」

そして構わず、ランピーは続けた。

「じーつは、この実験オチつき実験でねーえ?ホントは血、一滴も抜き取ってなかったんだよう。死刑囚には、足の指先を切ったと思い込ませてー、ただの水滴の音を聞かせてー、自分の血だと思い込ませていただけだった」

いつになく語尾をはっきりさせて言い切ると、少しの間も挟むことなく既に上がっていた右手はそのままにもう片方の腕も勢い込んで持ち上げる。

「って、ゆーこーとーでぇー」

かと思えば、その反動を利用して、ランピーはバネのようにその長い体躯を持ち上げた。
ぶぉん、と音が鳴りそうな速さで、上体のみ起こして傍らの壁に設置されていたスイッチを掌でぶっ叩く。

「えいっ」

実際に行った動作の暴力性からは信じられない程かわい子ぶった掛け声と共に、仮眠室の証明が一気に点灯する。
やがて顕になるのは決して広くはない部屋の全貌。
容赦なく襲い来る突然の光量に、スニフは咄嗟に目を瞑った。しかしどういう原理か全く気にせず目をかっ開いたままのランピーは、見た。
自分の足元、置かれたポリバケツと、その横に佇む可動式の点滴台。そして、それにぶら下がる透明なビニールパックから、管も介さずポタポタと滴る、

「んん、いわゆるナントカ現象ってやつだねっ」

──食塩水。

「……ノーシーボ現象です」
「あっ、それそれぇー!」

見えずとも、何が起こっているのかはっきりと理解したスニッフルズは頭を抱えてさらに小さく丸まりこんだ。対比するようにハイテンションのランピーは、上機嫌で手を打つ。 「プラセボの逆のヤツだよぅ!」 ぱちん、と鳴る破裂音が、明け方の仮眠室に虚しく拡散される。その乾いた響きが鼓膜に届いた瞬間、スニフは自分でも意識しないまま両手を握りこぶしに変えて叫んでいた。

「なんでこういうときだけ賢いんですか!!」

がばりと顔をあげ、言い募るも返ってくるのは受け手の実に骨のない返答。

「うんん?ありがとー」
「褒めてないですこれっぽっちも!」

勢いのままに床を殴打する、そんな少年をソファの上から見下ろしながら、ランピーは空いた左手でガシャンと点滴台を鷲掴む。

「疲れてるみたいだねぇスニフ、何徹めっ?」

首を傾げれば呼応するように台の車輪が悲鳴を挙げる。

「数えてないです」

巻き込まれたポリバケツががたんと倒れる音がした。零れた水が床を濡らしていく。
そんな、自分の起した災事には一切目もくれず、長躯の医者はへらっと笑ったまま呑気なものだ。

「そもそもなぁんでこんなコトしたの?」
「嫌がらせですよ、効かなかったみたいですけどっ」

まるで立ち上がる気力を有しないかのように。
床にしゃがみこんだまま、ギッ、と、漸くずれた眼鏡を片手で直しながらそのレンズ越しにスニッフルズは医者を睨み上げる。薄い青の瞳が激情からかいつもより少し透き通って見えた。そして少年は精一杯の地を這うような声で怒鳴り散らすのだった。


「なんで手伝いの僕が徹夜なのに、医者のランピーが寝てるんですか!!!」


「えへっ、ゴメーン!」

【end】

(『スニッフルズくんアナタ疲れてるのよー』ごめんねぇ、ちゃんと仕事減らすからねっ?)
(今正に床掃除って仕事増やした人に言われても信じられないです!)


働けヤブ医者!
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