×××

□その7
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賃貸らしさを隠しもしない白く荒い壁紙に、真一文字に細い線のような亀裂が走る。
それは一瞬にして、音もなく蜘蛛の巣状に広がっていき、やがて堰を切ったかのように崩落した。
――大穴と、そして今更ながらに轟く爆音と衝撃を残して。

「ォあぉああああぁぁぁああぁあ!?!?」
「――ッ!!――――ッッ!!?」

ガラガラと零れる『壁だったもの』の残骸はただの塗装石膏に姿を変えて土埃と共に床に落ちていく。
綺麗なフローリングに降り積もるそれらは見慣れない奇妙な景色と化した。
崩れ落ちる壁に続くように決壊した悲鳴をあげるリフティ。
最早声も無く壁に張り付くシフティ。
そしてオレはいつの間にか通話の切れた携帯を持って部屋の中心で。
真正面から見てしまった、空いた穴の向こう側は何故か何も見えない。
幼稚園児がクレヨンで塗りつぶしたようなどろんとした【黒】が、歪に残った壁材に縁取られている。影、というよりも、まるでそこには、初めから何も存在していないかのように何も無い。――無い、筈のソレから、ずるり(、、、)、と、何かが漏れ出た。

「っ、く……」

何か見えたわけではない、何か触ったわけでもない。

それでも確かに場の空気を圧迫するような、何かが、虚無を伝って部屋に這入ってきた。

一瞬にして全身の毛穴が開いた気がする。
ぶありと悪寒が足元から這い上がり、耳殻に直接耳鳴が響く。
横目に見た双子の片割れは腰を抜かしたように座り込みながら両耳を塞ぎ、その弟はこれ以上内までに双眸を見開いて、――二度目の来訪。
誰もが目を逸らせずにいる丸い暗闇から、唐突に拳が突き出てきた(、、、、、、、、、、、)
どこか見覚えのあるその腕に続く、そのひと本人は当然どこかどころでなく見慣れた顔で。

――そして次の瞬間、闇から漏れ出た『何か』は残らず全て胡散霧消した(、、、、、、)

「やぁ!!遅くなったね、僕だよ!!」
「――……はぁあぁあ!?!?」

遅れを取り戻すように叫んだのは、今度はシフティだった。
ざりり、と何の抵抗も罪悪感も感じない様子を以って土足で上がりこみ、当然のように現れたスプレンディドは呆れるほどにこやかに笑い塩の小瓶を振る。

「す、すぷれんでぃど……?」
「おや、イチくん!生徒会長と呼んでくれても良いのだけれど……無事かい?」

無事も何も。
いや助かったのには違いないのだが、おでん屋の暖簾を潜るようにひょいと穴を越えてくるスプレンディドを見るとこみ上げる、この謎の白けた気分は何なのだろうか……あまりにも突然《綺麗になった》ので、それまで意識もしなかった『何か』の気配がどれだけ犇めき合っていたのかと考えるだけで頭が痛い。ーーそれでもドアの外の質量は衰えていないが。
ふと、会長とは別の足音を感じて安堵する。来てくれたのか。来てくれたからこそディドもここに居るのには違いないのだけれど。

「だッ、でっ、ディドお前……ッ!かべっ、つーかどっ、どっから……ッ!」
「ふむ、僕はただ今出口を開けろと聴いたものだから」
「出口ィ!?穴だろぉ!?」

どうやら詳しい事情も知らないまま壁をぶん殴ったらしい元生徒会長に、シフティは酸欠の金魚のように口を開いては閉じ瞠目する。
しかしながら、もうひとり、細かい事情を斟酌する余裕のない者が居たようで。

「うぁあぁああもうナニが何だかわっかねーっつーのぉおおもうなんでもいいいいいい!!」

なるほど確かに、間違いなくリフティの負担はオレ達の中で1番重かっただろう。なんせ《自分達では手に負えない》と判じられた女を背にずっと防壁を守っていたのだから。
へたり込んでいた身体を引き摺る様に動かして、スプレンディドに突っ込んだ……どちらかと言えばその手の塩を掴み盗ろうとした様にも見えたが。

「おっと」

珍しすぎる、一生に一度あるか無いかのハグを難なく受け止めた様に見えたスプレンディドは、しかし次の瞬間ハッとしたように振り返った。手の中の守袋が熱を持った、気がする。

これまで随一の負担を負ってドアを守っていたリフティが、その場を離れたらどうなるのか。

──どこかで扉の軋み開く音を聴いた。
《見てはいけない》。確かにそう、分っていた。理屈ではなく感覚で。見てはいけない。シフティ曰く合うはずのないその目と、目を合わせてはいけない。
分っているはずなのに、何かに呼ばれるようにオレの視線はそろそろと上を向き始める。誰かの声が聞こえた気がした。それでも眼球が言うことを利かない。少しずつ広がっていく扉の向こうの景色。女の、足を、ワンピースの裾を、腰を、腹を、胸を、異様に青白い肌を、長すぎる首を、歪な口元を、そして目を――合わせる寸前。
どこか暖かな暗闇に視界が途切れた。
直感的な安堵は一瞬、オレの顔を掌で覆ったのであろうその人はそのまま腕に力を込めて、頭から叩き潰すように人を床に伏せさせる。いや、いくら恐怖で麻痺していようと痛いものは痛いのだが。

「行き先が違ぇんだよ、クソ女」

そして、きっと綺麗な金色を嫌そうに細めているフリッピーはうんざりしたようにそう呟いた。



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