長編

□齟齬
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赤いマスクじゃなくて、眼鏡をかけた男が歩いてきた。
道の向こうから。
オレは特に用事もなくぶらついていただけとはいえ、それでも、かなり、大分悩んだけどそのまま進んだ。すると男はにこやかに通り過ぎた。…… デジャヴ(既視感)


「……英雄?」

声をかけた訳ではなく、ただ呟きが漏れただけだったのだが。今度は路地裏にこそ引っ張られなかったものの、スプレンディドは珍しくそれなりに驚いた顔で振り向いた。

「…… イチくん、分かるの?」
「分かるもなにも、ジャー、」

ジを着ていないだけだから。

「……いつもと服装が違うだけだし」

そう言うと英雄は一瞬だけ身動ぐ様に動揺を見せ、そして次の瞬間にはもういつもの笑顔を張り付けて、

「うん!あっちへ行こうか?イチくん、アイスクリームとか食べたくないかい?」

とてもあからさまな賄賂だった。








数分後、オレは冷たいキャラメル味を堪能しながら、そういえば何か食べるのも久しぶりだなとしみじみ物思いに耽っていた。

「美味しいかい?」
「……そこそこ」
「それはよかった!」

遠く離れたアイスクリーム屋まで連れてこられたときはどうしようかと思ったが。
眼鏡の男は今や吹っ切れたようににこにこしていた。ようするにいつも通りである。
あんまり来たことのないような道を歩いているのだが、アイス販売のワゴン車がいってしまうと辺りに人気はない。

「ところで、今日は休暇中なのだけれど……どうして分かったのかな。その、僕が、ヒーローだって……」

しかしどうしてもそこにこだわるらしい。

「だから、…………普通分かる」

寧ろなんで分からないと思っていたのかオレにはそれが分からない。

「うん?しかし、いつもは変身しているのだし!」
「へんしん」

変装じゃなくてか。そう言われても、そうなのか、としか……目元を隠しているだけだろう。それでバレないのは無理がないだろうか。

「変身ってそういうものなのだろう?」

そういうものらしい。

「今の僕はただのスプレンディドであって、街のヒーローではないのだよ」

何故か得意げに言い張る『スプレンディド』。
いや、でも確か『ヒーロー』のとき、僕の名前はスプレンディドだよ!とか、なんとか叫んでいたはずだ。オレがその名を知っているのが何よりの証拠だろう。……あれ同じじゃないか。
なら、ヒーローのスプレンディドではなく一般市民のスプレンディドです、とでも言いたいのか。そんなことでいいのか。

英雄は今、ジーンズに上着というなんとも大衆的な格好だが、いつもの服装がジャージに見えるだけに「しっかりした服装」に思えてしまう。人命救助のときのほうがラフな格好をする英雄。オレの中でひっそりと定義が書き加えられる。

「はは、疑っているみたいだけれど、シフティくんにもリフティくんにも、バレたことはないんだよ!」

胡散臭いと思っているのが見抜けたらしく、自信たっぷりに英雄は言うが、どうだろう?それって成功例が二件しかないということではないのだろうか。

「子供たちはヒーローとしての僕しか知らないからね」

成る程、だからバレようないということか。
ところでオレはさっきから一言も喋っていないのに、なぜ会話(……?)が成立してしまっているんだろう。読心術か?

そんなことを考えながら、いい加減溶けてきていたアイスクリームを片付ける。そういえば何と無く歩き続けているが、ここはどこだろう。来たことがあるような、ないような。

「ねぇイチくん」

ふと、改まって声が掛かるので顔を上げれば、ヒーローはまたもや珍しい事に微笑を浮かべていた。

「その、僕の正体──黙っていてくれるかい?」
「え?」
「うん、やはりヒーローとしては変身前の身分が明らかになってしまうと厄介なのでね。しかも既にランピーとモールにはばれてしまっている!」
「……」

やたらハキハキとかなりどうしようもないことを言う。
誰も何もしなくても、その調子でどんどんバレていくのではないだろうか。
そもそもさっきは何とも思わなかったが、双子は何故気づかない。注意力不足すぎるだろう。

……いや、これは所謂ヒーローの弱点というやつだろうか。ならば教えなければならない人がいる、と、思って、

「黙ってて欲しいなら別に言いふらさないよ」

その人は今口をきいてくれないことを思い出して若干気分が重くなった。

英雄はそんなことには気付かず、オレの言葉を聞いて「本当かい!?」といっそう顔を明るくした。(ヒーローだろうが一般市民だろうが)スプレンディドがオレの見る限りいつも一人でいるのはこんな風にタイミングが悪いのも一因なのだろう。その場合、英雄はわざとやっているわけではないというのが致命的だ。

にこにこと笑う青い男を眺めながら、残っていたコーンのかけらを飲み下す。……喉が渇いた。いっそばらさない代わりにジュースを買ってこさせようか。カドルスみたいに。

そう思った瞬間、英雄は急に立ち止まり後ろを振り向いた。
悪巧みが露呈したのかと思いきや、

「はっ!いま悲鳴が!!」


……いや、聞こえない。

だが、ヒーローの聴力なら聞こえているのかもしれない。前に、独り言をとんでもない距離から聞きとがめられたことが確かにあった。

『傍から見れば幻聴に悩まされている人』はどこからともなく赤いマスクを取り出し目を覆い始めた。これが……いわゆる変身シーンというやつだろうか。

「よし!僕は行かなければ!」

遠くを見るように目を凝らして(実際ヒーローなら見えているのかもしれない)後方、つまり悲鳴のあがった方角を見つめる。

そしてぼそりと呟いた独り言に、オレは少し痛みを覚える。


「……また覚醒くんか」



ああ。英雄は、避けられてないんだ。
やっぱり、スプレンディドはタイミングが悪い。



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