長編

□雑音
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一瞬、殴られたのかと思った。
意識の覚醒と同時に、白い衝撃がオレを襲ったのだ。




「……零?」

意図などせず、無意識に口が動いてその名を呼んだ。
自分の発した音が脳に届いてようやく、それが見当違いではないことをジワリと理解する。
初め目にはいってきたのは見慣れた天井で、慌てて身を起こすととても近い距離に零が居た。勿論、物理的な話だ。零がオレに向ける視線は冷ややかなままである。

ふと気になって自分の頬に手を当てた。熱い。
鼻の形をなぞって確かめる。折れていない。
成程、察するにオレは殴られたのではなく──

「人の記憶を覗き見した気分はどう?」

──引っ叩かれたらしい。

次第に痛みを増してくる頬を無視しながら辺りを見渡すとそこはオレの家で、分かってはいたがオレはベッドに寝ていた。零が運んだわけではないだろう。どうやら一度『リセット』されているようだ。
零はサイドテーブルに腰掛けてオレのことを見下ろしている。
膝を立てて、頬杖をついて。
きっと零にはオレの事は、オレのした事はお見通しなのだろう。

「大体、わかった」

すう、と無理やり喉を開いて息を吸い込む。
今、オレにこんなことを言う資格が有るのかとか何を言えばいいのか分からないとか、そんな甘えた戯言をぎりぎりで飲み込んで。

零を見つめる。途中で、挫けてしまわないように。

「何でこの体がこんなに痩せてるかのも、痛みに強いのかも、ナイフを受け止められるのも、ベッドの左側がいつも空いてる訳も、何であらゆる知識があるのか、双子の喧嘩が嫌だった意味も、フリッピーに親近感が沸いた本当の理由も────この街が、」

爪が勝手にシーツを掻いた。
この街が、


「この街の住人が、零、が、──……もう死んでるってことも」


ひとりの少女がいた。少女は自分の大切なものを守るために命を落とした。そして少女はこの街へとやってきた。
それが、零。

少女はゆっくりと口を開いた。

「これで何も理解してなかったら殺してやろうと思ってたのに」

難を逃れた死に損ないは、オレは、訊ねる。

「この街は、どこ?」
「死んだら天国に行く、地獄に行くなんて、信じてる子供がいま何人いると思う?」

零はオレと目を合わさずに、雑用を片付けるかのような投げやりな調子で言う。

「ここは天国で地獄。何があっても死なないし、何があっても死ねない、人殺しの街よ」
「ど、いう……こと……?」
「そのままの意味だけど?終わってしまった人生の中で、『誰かを殺してしまった』と認める人の集められた街──私は、そう考える」

人を殺した人間が、皆ここに集まってくるのだとしたら、こんな人数で収まるはずがない。それに、この街には本当に小さい子供だって居るのに。
オレの言いたい事が分かるのか、零は目を合わさないままに、でも答えてくれる。

「言ったでしょう、『認める』と。本当に殺したか殺してないかは関係ない……そもそも『本当に殺した』ってどういう意味?誰にとって?殺めた人数も状況も何も関係ない。自分が人殺しであると自覚していることだけがこの街の住民になる条件であり資格。真実なんてお呼びじゃないの──面白いじゃない。この街の年齢層……若い人が殆どで、最年長でも精々壮齢。年寄りは反省しないって分かりやすい例だと思わない?」

言い捨てた零のアイロニックな笑みは堂に入っている。でもオレの見たいのはその笑顔じゃなくて。
零もみんなも、誰も彼もが死んでいて人殺し。
突拍子もない状況を明かされたことよりも、零の表情を気にしてしまう自分にさすがに少し呆れた。

そんなオレを見透かすように零はふっ、と哂う。

「当然、自分が死んでることも殺したこともこの街に居る限りは思い出せない。覚えている人はいない。だって思い出す事が条件だから」
「条件、て、なんの」
「輪廻転生の」

まるで初めから決まっていた問答のように、零は言葉少なに告げる。

「生まれ変わりの理論なら知ってるんでしょう?私が知ってるんだから」

知ってる。
迷いの世、この世界で死した魂は消滅することなく転生する。そのサイクルが、輪廻。

「自分が死んでいることを、そして自分が誰を殺したのか、あるいは誰のことを殺したと自覚しているのか、それを思い出すことができればこの『死ねない街』から離脱して再び輪廻の輪に加わる事ができる」
「もう一つ聞いていい?」
「なに」

「オレは、何?」


尋ねた瞬間、す、と零から表情が消えた。

──教えてあげるわよ。ねぇ『イチ』?

その言葉はまるでマネキンの口だけが動いて滑り出したように見えて、
散々大それた話を聴いておきながら、オレはそのとき初めて恐怖を覚えた。


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