Tomorrow is another day〜Another K-ON!〜


□#3 その先の彼方
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「失礼しました……」
 そう言うと、軽く頭を下げ、俺は職員室を後にする。そしてその足で、そのまま部室へと向かった。
 軽音部に入部して一ヶ月が経とうとする今日……、俺は先輩たちに、ある重大なことを告げなくてはならない……そんな状況に陥ってしまった。
 職員室に寄って来たため、既に部室では先輩たちによるティータイムが行われている。相変わらず、練習よりもお茶とお菓子、そしてお喋りを優先するその光景は、もはや見慣れたものと化していた。
『やる時はやるんだよね』
 いつか先輩たちのことを評して、梓先輩がそう言っていた。
 一年も一緒にいる人の言葉なので、そこは信じることにしたのだが、やはり不安がないわけではない。とはいえ、そう言うものの、このメンバーの中で演奏に一番不安があるのは、実は俺自身であるということも、客観的に自覚しているつもりだ。故に、たとえ部活で練習できなくても、家では毎日、自主練は欠かさない。もっとも梓先輩の言ったことが本当に真実なら、きっと自主練なんてそんなこと、先輩たちは当たり前のようにやっているのだろう。そう考えると、自然と自主練にも力が入る。先輩たちとの技量の差……それこそが練習への一番のモチベーションに繋がるものだから。
 しかし今回は、結果的にそのモチベーションが裏目に出てしまった。
 いや、少なからず……というか、大いに予想はしていたが、高校生ともなると『やっちゃった! てへっ☆』なんて笑ってすましてくれるほど、世間は甘くはなかったのだ。



「というわけで、俺は今日から暫くの間、軽音部を休部します」
 部室に入ると、挨拶もそこそこに先輩たちにそう告げた。
「ふぇっ!? なななななな何でぇー?」
 フォークにケーキが刺さったまま、唯先輩が叫んだ。
「あっ! ゆっ、唯先輩がお茶ばかり飲んで練習しないからですよー」
 梓先輩が慌てて唯先輩を咎める。
「えぇー!? それなら皆だってー」
 確かに今、唯先輩を咎めた梓先輩の右手にも、ティーカップが握られている。しかも猫の柄が描かれたピンクの可愛らしいティーカップだ。ちなみにそれは梓先輩専用のカップであり、自分専用のカップを持っているのは梓先輩だけだ。
「もしかして私の持ってくるお菓子が口に合わなかったから!?」
 そう口走るムギ先輩の表情が一気に青冷めていく。
(っていうか、軽音部休部の理由にお菓子って……)
 俺はムギ先輩の中で、どれだけ食いしん坊キャラなんだろう。
「とにかくオミ、理由を聞かせてくれないか? 私たちに原因があるなら直していくから」
 至極、まともな反応を返してきたのは澪先輩だった。
 しかし原因なんて……。
「先輩たちに原因なんてないですよ」
「じゃあ何なんだよ!」
 律先輩の語気も強まる。
 五人が固唾を飲んで俺を見つめる。
 そんな先輩たちに、俺は一枚の紙切れを提示した。
 A4サイズのその紙の、右上に赤いインクで書かれてある数字に、先輩たちの視線は注がれ、そして……嘆息した。
「つまりは……、オミは今回の中間試験で数学が赤点だった……と?」
 律先輩は呆れた口調でそう確認してくる。
 その赤いインクで書かれた数字は“12”。
 桜高では、試験で三十点に満たない点数は赤点と呼ばれ、追試験を受けなくてはならない決まりだった。
「まあ、端的に言えば……」
 そして俺は、そう一言だけ律先輩に返した。
「あっ、そうか! 校則では追試に合格するまでは部活動禁止だもんねー」
 何かを思い出したように唯先輩が呟いた。
「唯先輩、詳しいですね」
 それを聞いた梓先輩の言葉に、しかし唯先輩は急に慌てふためく。
「えっ! べべべべべつに詳しくなんかはないよ!」
「ああ、懐かしいな。そう言えば唯も一年の時に……」
「みみみみ澪ちゃん! ストーップ! ストーップ!!」
 唯先輩はまるで、澪先輩の口を塞ごうとする勢いだ。
「しっかし意外だなー」
「えっ!? 律先輩、何がですか?」
「いやーさー、オミは勉強とか得意な人かと思ってたからさー。まさか赤点とはなー」
「数学は苦手なんですよ。分数の割り算で躓いて以来、ずっと……」
「分数の割り算でって……。それ小学校じゃん! しかも数学じゃなくて算数じゃん!」
「けど、分数なのに分母と分子をひっくり返すとか、しかも割り算なのにそれを掛けるとか、何かおかしいでしょ!?」
 きっとこれは、いたいけな子供たちを騙そうとする文科省の陰謀だ……などと付け加えた頃には、律先輩だけでなく、他の四人からも冷ややかな視線を送られていた。
「なあ、他の教科は大丈夫だったんだよな?」
 澪先輩が心配そうに、そう聞いてくる。
「当たり前です。俺、こう見えても数学以外では赤点取ったことないんですから!」
 澪先輩の心配を払拭しようと、他の答案用紙も並べて見せた。
 その行動が、澪先輩の心配を払拭するどころか、他の先輩たちにまで伝染する結果となったのは、果たしてどの答案も赤いインクで書かれてある数字の十の位が“3”だからなのだろうか?
「なあ……、オミ……。これって全部、赤点ギリギリなんじゃあ……」
「何言ってるんですか、律先輩! “赤点”と“赤点ギリギリ”の間には、深くて広い溝と、高くて厚い壁が立ちはだかっているんですよ!!」
 そう力説してみたものの、皆の呆れたような苦笑いは収まることはなかった……。
「よし! こうなったら特訓だ!」
 暫しの間の後、律先輩が勢いよく立ち上がると、そう宣言した。
「このままオミが休部となると、それは私たち軽音部の活動にも支障を来すからな!」
「うん! そうだね、りっちゃん!! 私たちでオミくんに勉強を教えてあげよう!」
(軽音部の活動に支障を来しているのは、俺の休部より習慣化されたティータイムのほうなんじゃあ……?)
 しかしそこはあえて、口にはしなかった。
 まあ、唯先輩に勉強を教わることができるのかどうかは、逆に心配だが……。
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