Tomorrow is another day〜Another K-ON!〜


□#5 きみは雨の日に
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 雨は好きではないが、雨音は嫌いではない。
 朝食を終えると、リビングのテーブルに頬杖をつき、目の前の窓から見える庭を眺める。すると、普段からガーデニングが趣味の母さんの手入れによって、色とりどりに咲いている花が、その雨の銀色に包まれていた。
(おっ! 今の表現、詩っぽくね!?)
「って、何くだらないこと考えてるの!」
 そう言うと姉さんは、『パスン』と俺の頭に手を置いた。
「くだらないことって何でわかるんだよ!?」
 そのまま頭を撫でられながら、そう反論する。
「あんたの考えてることくらい、顔を見たら一目瞭然だって!」
 しかし姉さんは、そう言ってケラケラと笑った。
「悪かったよ、単純で……」
 だから、わざとそう不貞腐れてみたが、相変わらず姉さんは笑っている。
「そんなことより、学校はいいのかー?」
 姉さんが指す先にある掛け時計は、既に八時を回っていた。
「しゃーねぇー。そろそろ行くか……」
 そう呟き、やっと重い腰を上げる。
 八時を回ったところで、家から学校までの距離なら、ゆっくり歩いたって朝のショート・ホームルームには余裕で間に合う。
 その近さもまた、俺が桜が丘を選んだ理由の一つだった。
 それは以前、軽音部の先輩たちが家に来た時、唯先輩から『こんなに近ければ、朝いくらでも寝坊できるねー』なんて羨ましがられたくらいだ。ただ寝坊は、した時点で、どんなに近くても遅刻であることに変わりはないのだが……。その時も、いつもの如く口にはしなかった。
 玄関に置いておいた、学校指定のバッグと、キーボードを入れたキャリングケースを手に、ドアを開ける。
 やはりそこは、さっきまで見ていた光景のとおり、土砂降りの雨だった。
(まあ、当たり前か……)
 右手で傘を差し、左の肩にバッグをかけ、左手でキャリングケースを転がすように引っ張る。
 こんな時、キャスター付きなのは有り難い。キーボードはそれだけでも十七キロの重量がある。とてもではないが、こんな雨の中、担いで移動するのは負担が大きい。俺のケースは防水加工のハードタイプなので、キーボードと合わせると二十キロ近くまで重量が増えるが、その分、転がして移動できることと、防水処置を講じる必要がないことを差し引いても、かなり実用的だと言える。



 いつもなら学校に着いたら、先ず職員室に行き、部室の鍵を借りる。部室にキーボードを置きに行くためと、時間的に余裕があれば、そのまま朝練をするためだ。
 ただ今朝は、家を出たのが既に八時過ぎだったため、直接教室へと向かった。ショート・ホームルームには間に合うが、それでも部室を往復するとなるとギリギリだと判断したからだ。
(まあ、キーボードを置きに行くのはショート・ホームが終わってからでいいか……)
 そう決断し、とりあえずキャリングケースを席の後ろへ置いた。
 幸いにも俺の席は、真ん中の列ながらも一番後ろだったため、スペースに問題はない。
 ショート・ホームルームが終われば、一時限目までは十五分ある。それだけあれば、職員室を経由して部室までを往復するのに十分だろう。


(…………?)
 そんなことを考えながら、ボーッと担任の話に耳を傾ける。
 役員を決めたり、クラスでの行動を決めたりする、クラス委員主導の週一のロング・ホームルームと違って、毎朝担任によって行われるショート・ホームルームは、職員会議などで決まった連絡事項や、今後の予定や注意事項などを生徒たちに伝える、言わば定期連絡みたいなもので、その多くが、聞き流しても然程の差し支えもないことばかり……だと、個人的には解釈している。
(…………?)
 教壇の担任はいつもと同じように、坦々と自分の職務を遂行している。
 しかし、いつもと違うこと……漠然とした違和感が俺を襲っていた。
 いや、漠然と……ではない。明らかなる違和感がある。
(…………?)
 ふと顔を右に向ける。俺と目が合ったクラスメイトが、慌てたようにその目を逸らす。
 左に顔を向ける。今度は別のクラスメイトと目が合い、やはりその瞬間に目を逸らされた。
 更に、次は右斜め前に視線を移す。
(まただ……)
 次は左斜め前に……。
 その次は右……。
 その次は左……。
 その次は右……。
 その次は左……。
 チラチラチラチラと視線を変えてみる。
 自意識過剰でなければ、クラスメイトたちの殆どが俺に注目している……ように感じられる。
 俺のクラスは俺以外、全て女子だが、その女子の殆どから注目されるなど、俺の人生において経験がない。
 つまりは……、
(ワケわかんねぇ……)
 というところだ。
 もっとも、そのクラスメイトたちが注目していたのは、実際には俺ではなく、俺の後ろに鎮座しているキャリングケースだったと知ったのは、ショート・ホームルームが終わってからのことだった……。


「乾くんて、やっぱり軽音部だったんだねー!」
「このケースに楽器が入ってるの?」
「えぇー! これって、キーボードなんだー!」
「キーボードってことは、もしかして子供の頃にピアノとか習っていたの?」
「今はどんな曲を弾いてるのー?」
 ショート・ホームルームが終わるや否や、もう蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
 正直ここまで、クラスメイトたちが軽音部やキーボードに興味を示すとは思っておらず、それは新しい驚きではあったが、それよりもショックだったのが、俺が軽音部部員だという事実が、入部して二ヶ月が経った今ですら、クラスメイトたちの間では噂の域程にしか浸透していないという現実だった。
(もしかして俺って、自分で思っている以上に、存在感がないのか……?)
 嬉しいような、悲しいような、複雑な心境だった。



 結局その騒ぎのせいで、キーボードを部室に持って行くことができたのは、一時限目が終わってからのことだった。
 部室の鍵を借りるため職員室に向かったが、それは途中で用なしとなる。職員室の出入り口から梓先輩が出てきたからだ。
「オミくん!」
 梓先輩はそう声をかけると、小走りに近づいて来た。
「梓先輩、おはようございます」
「おはよう、オミくん。あっ! もしかして、今から部室に行く?」
 梓先輩がそう言ったのは、俺が左手で引っ張っているキーボードが目に映ったからだろう。
「ええ。今日は学校に来るのが遅くて、部室に寄れなかったんですよ」
「ならちょうど良かった。私も今から部室に行くところだったの。今朝、部室に忘れ物をしちゃって……」
 そう言って、梓先輩は右手で部室の鍵を摘むと、俺の目の高さで振ってみせた。要は、鍵を借りに行く手間が省けたというわけだ。
「だからって、私たちまで忘れちゃいませんかー?」
 まるで棒読みの如く、抑揚のない声が背中に届いた。
 振り向けば、ニヤニヤと笑う純先輩と、ニコニコと笑う憂先輩がいる。
 まあ、笑っていることに変わりはないのだが……。
「何ですか、それ……?」
 だから、わざと呆れたような口調で、そう返答する。
「だぁーってさー、梓が『部室に忘れ物したから取りに行くの着いて来てー』って懇願するから来てみれば、今度は私たちのほうが忘れられそうだったんだもーん!」
「そんなこと言ってません! もう……、私は『いい』って言ったのに、純が『行く』って着いて来たんでしょー」
 梓先輩の口真似を取り入れながら抗議する純先輩に、今度は梓先輩が反論した。そしてそのやり取りを、憂先輩はやっぱり嬉しそうに見つめている。
「どぉーっちだって同じだよー。それとも私たちが着いて来たら、お邪魔かしらー?」
 純先輩が相変わらずのニヤニヤ笑顔で、そうからかってくる。
「もう! そんなわけないでしょ! 早く行くよ!」
 少しだけ頬を赤く染め、梓先輩は先頭に立って階段を昇っていく。その後ろを、キャリングケースを担いで俺が続き、そのまた後ろを憂先輩と純先輩が並んで続く。
 階段を昇りきったところで、一足早く昇っていた梓先輩から「何……、これ……?」という呟くような声が聞こえてきたのは、そのすぐ後のことだった。
 顔を上げると、目の前には梓先輩の背中が見える。
 鍵とドアを開けた梓先輩は、文字通りそこに立ち尽くしていた。
「どうしたんですか? 梓先輩」
 そう声をかけるが、梓先輩本人は言葉すら失っているようだ。
「梓ちゃーん!?」
「忘れ物あったー?」
 俺の背中から、追いついてきた憂先輩と純先輩も声をかける。しかし依然、梓先輩は立ち尽くしたままだった。
 とにかくこのままでは埒が明かないと、俺は梓先輩の身体を軽く押し、誘うように部室の中へと移動させ、自らもそのまま部室へと入った。
 が……。
(なっ……、何だ……? 何だ、これは!?)
「梓ちゃん? オミくん?」
「ちょっと! 二人とも、どうしちゃったのさー?」
 部室の中を目にした俺と梓先輩からその後、何の反応も返ってこないことを訝しんだのか、俺に続き憂先輩と純先輩も部室へと足を踏み入れた。
 が……。
 絶句……。
 四人が暫し言葉を失い、その目の前の光景に自我を奪われた……。
 二本のマイクスタンドにはそれぞれ、ニットのベストとブラウスが、そしてその横の譜面台には、スカートが掛けられてある。
「何これ……?」
「さあ……?」
「誰の……?」
「わかんない……。本当に誰!? ここにこんなもの干すなんて!」
 純先輩の呟きに答えていくうち、遂には梓先輩も怒りが湧いてきたようだ……。
 しかし……。
(本当に誰なんだろうか……? だいたい音楽準備室に女子用の制服って……)
 再び静寂が部屋を包む。
 そして次に口を開いたのは、純先輩だった。
「これ……、何かのおまじないかも……」
「おまじない!?」
 その言葉に、梓先輩も思わず反応する。
「けど今時、おまじないって……!?」
「だけど他に考えられる? これはきっと軽音部の誰かを怨んでて、呪いをかけてるんだよ!」
「何でですか!」
「だって、わざわざ音楽準備室に干すなんて……。いったい、誰が誰を呪っているのかしら……」
 純先輩はそう言うと、いかにも名探偵が推理したかのように、胸の前で腕を組み、片手で顎を撫でる。
(って、そりゃテレビの観すぎだろ……)
 しかし、梓先輩の表情も神妙なものへと変わる。
 憂先輩も冷や汗をかいているようだ。
「とにかく! 一先ず教室に戻りましょう。もうすぐ二時限目も始まるし、放課後にでも先輩たちに相談するとして……」
 そう提案したのは、今の情報だけでは真相には辿り着けないと判断したからだ。先輩たちなら、もしかしたら心当たりがあるかもしれない。
「そうだね……」
 俺の意図を察してくれたかどうかはわからないが、梓先輩もそう同意してくれた。
 どのみち時間的にも余裕がない以上、これ以上ここにいることができないのも事実なのだから、仕方がないことでもあるのだが……。
 後ろ髪を引かれる思いではあったが、俺たちはそのまま部室を後にした。
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