Tomorrow is another day〜Another K-ON!〜


□#9 そこにある想い
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 期末試験まで一週間を切った。
 放課後の部活も全面活動禁止となり、授業も午前中で終わる。
 言わば、学校全体が試験モードとなっているということだ。
「ふぅー」
 息を吐くと、大きく伸びをする。
 既に時計の針は十七時を回っており、勉強を始めて早三時間が経過したことを告げていた。
「どう? さっきの問題はできた?」
 ここ最近、午後は俺の部屋で、梓先輩から勉強を教わっている。梓先輩曰くの『私は有言実行だから……』という言葉に甘えてのことだ。
「はい……、一応……」
 そう呟き、広げてあるノートを梓先輩のほうへと向ける。
「じゃあ、答え合わせやってあげる」
 そして俺はもう一度、梓先輩の言葉を聞いて、大きく伸びをした。
 梓先輩は後輩想いの先輩だ。勿論、軽音部の先輩たちは皆、後輩想いだと思う。だけど梓先輩にとっては、俺が唯一の後輩だから、尚更気にかけてくれるのだろう。
 後輩……そう一言で言っても、その定義は曖昧だ。いや、ただ『同じ学校に通う下級生』というだけの意味なら、二年生には約二百人、三年生には約四百人の後輩がいることになる。でも“後輩”という言葉は、ただ学年や年齢だけを取って言っているものではない。そこに“想い”という要素が必ず加わるのだ。
 それが顕著に現れるのが部活動だろう。
 先輩と接する、または後輩と接するという行為は、部活をしている者にとっては、ごくごく当たり前のことなのだが、部活をしていない者からすると、かなり稀薄なものになるからだ。つまりは“後輩”という存在は、特に高校生(中学生もだが)にとっては『同じ部活に所属する下級生』と同義だとも言えるのではないだろうか……。
 そうなると、梓先輩にとっては俺が唯一の後輩ということになる。
 しかも一度は諦めていた存在としての……。
 だからか梓先輩は、唯先輩たち先輩に向ける後輩としての顔や、憂先輩や純先輩に向ける友達としての顔とはまた別の、先輩としての顔を俺に向ける。少なくとも今は、そんな『先輩としての梓先輩』を一人占めできるのは、唯一の後輩である俺の特権だ。
 だけど……。
 ここ最近の梓先輩からは、そんな“先輩”としての顔とはまた違う、別の顔を感じる時がある。
 まだはっきりと言葉にできるほど、自分の気持ちを理解できてはいないのだけど……。
「はい! 全部合っていたよ! 古文はもうバッチリなんじゃない?」
「へっ!?」
「『へっ!?』じゃあないでしょ! 答え合わせ終わったって言ってるの!」
「ああ……、はいはい」
「古文は全問正解だよ。他の教科で不安なものってある?」
(いけない、いけない……。集中! 集中!)
 どうも最近、梓先輩のことを考えると、取り留めもなく思考が廻ってしまう。
(今は勉強に集中しないとな……)
「不安な教科ですか……」
「うん!」
「やっぱり数学と……、後は物理かな……」
「オミ、数学は壊滅的に苦手だもんね……」
「てか、壊滅してますけどね……」
 梓先輩の苦笑いに、つい苦笑いを返してしまう。
「じゃあ、明日からは数学と物理を重点的にやろうか」
「そうですね。後は……、英語とか世界史くらいですかね…」
「オミ……、それって殆ど全部じゃん……」
「あっ、でも現国とか化学とか、後は体育の実技なんかは大丈夫ですよ!」
「いや、体育は試験ないし……。しかも現国と化学って……。オミって、文系なのか理系なのかわからないよね……」
 そう言う梓先輩の表情は、苦笑いから呆れたそれに変わっていった。



 七月……それは、もう夏。
 夏という季節は、男を、そして女を、変えていく……と言えば少しオーバーだけど、高校生になって三ヶ月も過ぎれば、被っていた猫やメッキも剥がれていき、また、新しい“何か”に目醒めたりしながら、イメージが変貌を遂げていくものだ。中には『こいつ、こんなキャラだったっけ……?』って奴までいたりする。
 佐久間泉も、そんな一人だった。
 ついこの前までは、大人しくて穏やかで、いつも一歩引いて周りを見守る……そんなイメージだった。しかし気づいてみれば、そんな彼女も今や、誰とでもフレンドリーに接する人懐っこさを身につけていた。
 それが果たして、俺とのデート擬きが発端だったのかどうかはわからないが、だから今では俺も、彼女にだけは、クラスで唯一“佐久間”と呼び捨てで呼べるまでには親交を深めることができた。
「で、いぬいっちは勉強捗ってるの?」
 だが、何故か佐久間は俺のことを“いぬいっち”と呼ぶようになってしまったのだが……。

『“乾くん”だと他人行儀じゃない?』
『いや……、他人なんだからいいだろ……?』
『いやいや、友達だったら“名字+敬称”は野暮ってもんでしょ?』
『野暮って言葉を使う時点で、すでに野暮だけどな』
『“乾”を略して“いぬ”っていうのはどう?』
『もはや人間ですらねえじゃねえか!』
『じゃあ下の名前のほうで“孝臣”とか?』
『それじゃあ、俺の姉さんと同じだぞ……』
『“タッくん”は?』
『それは俺の母さんだ』
『“孝臣くん”?』
『確か山中先生がそう呼んでたな……』
『また軽音部の話!?』
『だったら軽音部繋がりで“オミ”でいいじゃん!』
『へぇー!』
『何だよ!?』
『嫌がってるのかと思ったら、何気に気に入ってる感じ?』
『べつにそんなんじゃないし!』
『だけどお生憎さま。私、軽音部の先輩方と同じ呼び方は嫌なの』
『何で?』
『嫉妬』
『…………』
『…………』
『…………』
『もう! 何か言い返してよ! 変な間を空けられたらリアルでしょ!!』
『リアル……、なのか……?』
『あーっ! もう! じゃあ“いぬいっち”でいいわ! “いぬいっち”で!』
『“いぬいっち”って……。おまえ今それ、絶対テキトーに決めただろ!』
『でも、さすがに“いぬいっち”なんて呼ぶ人はいないでしょ?』
『そんな恥ずかしい呼び方する奴なんて、未だかつておまえだけだよ!』
『じゃあ決定ね! はい、決定!!』

 てな感じのやりとりがあり、なし崩し的に俺は佐久間から“いぬいっち”なんて恥ずかしい呼び名をつけられる羽目になってしまったのだ。


「ここんとこ、梓先輩が勉強を教えに来てくれるからな。まあ、何とかってところかな」
「いぬいっちの家に?」
「ああ」
「いぬいっちの部屋に?」
「あ……、ああ……」
「いぬいっちと二人っきりで?」
「あ……、ああ……、まあ……って何なんだよ!」
「ふーん」
「『ふーん』って何だよ!?」
 だがそう言うと、佐久間はペロッと舌を出し、『べっつにー!』とからかうような視線を向けてきた。
「梓先輩とは約束したんだよ。毎日二時間勉強して、期末は全教科平均点以上取るって!」
「数学も?」
「ああ」
「物理も?」
「ああ」
「古文も?」
「ああ!」
「世界史も?」
「ああ! そうだよ!」
「いぬいっちにできるかなー」
 佐久間はそう言うと、『ウシシ』と笑った。
 佐久間のこんな態度は、確かに“あの”デート擬きの日以前からすると、想像もできない程の変貌ぶりだが、それでも俺にとっては、変に気を遣われるよりは全然マシだった。
(というより、却って救われているのかもしれないな……)
「それって、どういう意味だよ!?」
 そう返すと、佐久間は窓のほうを指差し、「だったら良いもの見せてあげる」とそれを促す。
 佐久間の意図はわからなかったが、どうせ考えるだけ無駄だと悟り、言われるまま窓に向かって歩を進めた。
(何だってんだ……?)
 訝しげに窓から外を見渡すと、ちょうどその先に東屋が見える。
 そしてそこの、丸太を切って作ったベンチには、唯先輩の姿があった。
「へえー。唯先輩、頑張ってんだな」
 休憩時間だというのに、そのベンチで唯先輩は、教科書やらノートやらを広げ、絶賛勉強中だった。
 まあ、飛んできた蝶々を思わず目で追うのは、唯先輩らしいご愛嬌というところだろうか……。
「昨日も図書室で勉強してたよ」
「図書室で勉強?」
 気づくと、すぐ隣に佐久間は来ていた。
「うん! 軽音部の三年生四人が揃って」
(先輩たちも頑張ってるってことか……)
 そう思うと、何だか妙に嬉しくなった。
 試験前だから勉強するのは当たり前なわけだし、ましてや唯先輩たち三年生は受験を控えた大切な時期だ。試験前でなくったって勉強くらいするだろう。
「俺もまだまだ頑張んなきゃな……」
 そう言葉にすると、つい笑みを漏らしてしまった。
「いぬいっちもやる気になったみたいだねー」
「まあ、いろいろとな」
「いろいろ……?」
「ああ、いろいろだ!」
「それは勉強以外もってこと?」
「まあな!」
「恋愛……とか? やっと私の気持ちに応えてくれる気になった……のかな?」
 そう言って顔を赤らめる佐久間だったが、もはや佐久間の手練手管はお見通しの俺は、ここはあえて……、
「ないない……」
 と、ジェスチャー付きで冷たくあしらうことにする。
「ぶーっ! じゃあ、いぬいっちは勉強の他に何を頑張んのさ!?」
「決まってるだろ。音楽だよ!」
 そして、とびきりカッコつけた表情で、そう返した。
 佐久間の表情も一瞬和らぐ……が、そのすぐ次の瞬間には、無理矢理作ったような厳しい表情で、
「また軽音部の話ですか? ホント、妬けますなー」
 と、得意のからかうような態度を再び見せてきた。
「まあ、軽音部だからな」
 だけど、そんな佐久間とのこんなやりとりを、俺は楽しんでいる。
 あの雨の日、
『じゃあ、乾くんが女心を理解できるまでは、ただの“友達”ってことにしといてあげるわ』
 そう言われて始まった、佐久間との“友達”という関係だったが、それもまた今の俺にとっては大切なものとなっている……ということらしかった。
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