Tomorrow is another day〜Another K-ON!〜


□#3 その先の彼方
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「で……、何で俺の家に行くんですか……?」
 その後の律先輩の提案で、急遽決まった“オミくん休部脱出大作戦(唯先輩命名)”を、俺の家ですることが決定した。俺としては部室で十分だと思ったが、律先輩の提案に唯先輩も賛同し、更に『いきなり押しかけては迷惑だ』と言う澪先輩の発言に梓先輩が賛同したものの、最終的にはムギ先輩の『面白そうねー』という天真爛漫な笑顔で、律先輩の提案は可決されてしまった。ちなみに、そこに俺の投票権は初めから存在すらしていなかったが……。ただ、もともと俺は『家から近い』という理由から桜高を受験しただけあって、学校から家までは比較的近い。軽音部のメンバーの中では、たぶん一番近いかもしれない場所なので、学校帰りに寄って行くにしても、皆の帰宅経路には然程の支障も与えないだろう。しかも俺の母さんは、自他共に認める“もてなし好き”であり“世話好き”なので、突然大人数で押しかけたとしても迷惑がるどころか、逆に嬉々として張り切ることだろう。故に澪先輩の主張は、実は我が家では杞憂以外の何物でもないと言える。
 なんてことをつらつらと考えているうちに、我が家へと到着した。
 俺を先頭に、五人が興味津々といった表情で着いて来る。
「ただいまー」
 玄関を開け、靴を脱ぐ。
「孝臣ぃー! おかえりー」
 その声に、思わず反応するように咄嗟に顔を上げる。
 いつも返ってくる母さんの声とは明らかに違う。しかし決して聞き覚えのない声ではなく、懐かしく、そして焦がれた声だった。
 視線の先に映ったその人は、紛れもなく……。
「姉さん!」
 体より先に気持ちが前へと進む。それはきっと、こんな感じなのだろうと、どこか冷静に考えている自分がいる。いや、客観的に冷静であろうと意識しなければ、俺は我を忘れ、取り乱していたに違いない。それはまるで、飼い主を見つけて、大仰に尻尾を振る飼い犬のように……。
 靴を脱ぐことさえもどかしく感じ、文字どおり脱ぎ捨てる。
 そして姉さんの元へと駆け寄った。
「どうして!? 何で!? 後六年は帰って来ないって!? なのにどうして!? いつまでいるの!? 当分はいるんだよね!? ずっといるんだよね!?」
 姉さんの手を両手で握り、一気に捲し立てた。もはや既に『客観的に冷静に……』なんていう意識は欠片も残ってはいなかった。
「ちょっと! ちょっと! 孝臣ってば! そんなにいっぺんに聞かれても答えられないよー。それに、あっちはいいの?」
 そう言った姉さんの指の先には、俺たち姉弟の感動の再会を、呆然と見つめる先輩たちの姿があった。
「ああ、すみません。紹介します。この人は俺の……」
「どうもー、初めまして! 孝臣の姉の瞳子でーす!!」
 俺が紹介をしようとした後を引き継ぐように、姉さんはそう自己紹介をした。
「ああ、姉さん。こちらの人たちは……」
「なあ、孝臣……」
 今度は姉さんに先輩たちを……と、思った矢先、しかし姉さんは俺の肩を抱き、耳打ちしてきた。
「な……、何?」
「おまえももう高校生だ。私の知っている泣き虫で甘えん坊だった頃のおまえじゃない。言わば今のおまえは、大人の階段を一歩、また一歩と昇っている途中の……そう、まさに“男の子”から“男性”になろうとしている時期だ」
 どうも姉さんの言い回しがまどろっこしく、その真意を掴みかねる。
「つまり、今のおまえが女性に対して興味や好奇心を抱いたとしても、それは自然なことだし、私だっておまえの恋愛を応援したい気持ちはある。だけどな……」
 何だか雲行きが怪しくなってきたような気がする。
「一度に五股をかけるならかけるで、せめてデートは一人ずつとするのが礼儀ってもんだぞ! 複数の女性と付き合うなら、相手の女性には他の女性の存在を気づかせない。それが男の優しさであり、そういう相手に対する配慮が恋愛には不可欠なんだ」
(この姉は……)
 だいたい耳打ちするならするで、せめて俺にしか聞こえない声で喋るべきなのに、姉さんの声は先輩たちをドン引きさせるのには十分な大きさだった。
(他にもツッコミたいところは満載なんだが……)
 先ず訂正すべきことは、間違いなくこれだろう。
「あのさ、姉さん。こちらの人たちは、俺の部活の先輩たちだよ」
「先輩……?」
「そう! 俺、高校では軽音部に入ってるんだ。で、そこの先輩たち」
 俺がそう紹介すると、先輩たちも一人ずつ自己紹介を始めた。
「桜高三年、田井中律! 軽音部の部長でドラムやってます!」
「同じく三年の秋山澪です。ベースしてます」
「二年の中野梓です。ギターしてます」
「あっ! 三年の平沢唯です! 私もあずにゃんと同じくギターです!」
「ちょっ! 唯先輩、こんなところで、あずにゃんって言わないでくださいよー」
「三年でキーボードの琴吹紬です」
「で、俺も一応、キーボード担当なんだ」
 先輩たちが声を揃えて「よろしくお願いします」と言った後、ついでという感じでそう付け加えた。
「あれ!? そういえば、桜高って桜が丘だよね? あそこは確か女子高じゃあ……?」
「いや、それは去年までで、今年から共学になったんだよ。だから俺は男子生徒の一期生なんだ」
 またいらぬ誤解を与えまいと、即座に答える。
「そっかー! いくら女性に興味あるからって、女子高に入って『女の中に男は自分だけ』なんていう選り取り見取りなハーレム状態を期待していたわけではないんだねー」
(姉さん……)
 我が姉ながら、発想が中学生の時の同級生たちと同じだったことが悲しい……。
 もっとも『女の中に男は自分だけ』という状態は、あながち間違ってはいないのだが……。
(それは黙っておこう……)
「けど、お姉さんは確かアフリカに行ってて、十年間は帰って来ないはずじゃあ……?」
 そういえば、姉さんのことを先輩たちに話していたと、梓先輩の疑問を聞いて思い出した。
「あら、嬉しい! もしかして孝臣ってば、学校でも私のことを話してるのかなー?」
 そう言って俺を見る姉さんの視線が……ちょっとイラッとする。
「あはははは……。冗談よ! 冗談! 孝臣ってば、期待どおりの反応なんだもん。相変わらずあんたをからかうのは楽しいわ!」
 そんな俺を見て、姉さんは大笑いだ。
「な……、なあ……、オミ……」
 律先輩が口元に手を当てて、いかにも内緒話でもするかのように俺を呼んだ。
「何かさ、おまえの話から想像していたお姉さんのキャラと実際のキャラの間に、激しくギャップを感じるんだが……」
 確かに律先輩の言うことも、もっともなことだろう。
 当の俺ですら、今の姉さんを見て『そういえば、姉さんはこんな人だったなー』と思い出したくらいなのだから……。
「律先輩。その答えを端的に言うなら、つまり『想い出は美化される』ということです」

「ああ……」
「ああ……」
「ああ……」
「ああ……」

 俺の答えに、律先輩以外の四人も嘆息した。
「で、姉さん! 本当にどうしたの? 確か後六年はアフリカにいるはずじゃあ?」
「実はねー」
 そして姉さんは、ニヤニヤと笑いながら、お腹を擦り、そして……
「できたんだよ! 赤ちゃんが!!」
「えぇっ!」
 つまりは妊娠したため、安定期に入るのを待って帰国したということだった。
 アフリカで出産して育児をするのは、やはり日本人には難しく、またどのみち日本に帰ってくることがわかっているなら一足早く帰国し、日本で出産・育児をしながら旦那の帰りを待つことにしたのだという。その旦那も、当初の十年という期間から、二年程早く帰って来れそうだというのも、帰国を決めた要因だということだった。そうなれば後四年で旦那も帰国することとなるため、それまでは実家である我が家で暮らすことにしたのだという。
(そっか……。今日からまた、姉さんと暮らせるんだな……)
「オミくん、何だか嬉しそうだねー」
「なっ!」
 唯先輩の発言に、途端に他の先輩たちもニヤニヤとし始めた。
「で、その先輩たちが、今日はまた何でお揃いで?」
「俺が数学で赤点取って追試を受けるっていうんで、勉強を教えてくれることになったんだよ」
「ふーん。まあ、あんたは子供の頃からバカだったしなー」
「なっ! 自分の弟を捕まえてバカって言うな!」
「はいはい」
 しかし空返事をする姉さんも、どこか楽しそうだ。
 とにかく、これ以上はろくな展開になりそうもない。
「ささ、早く俺の部屋に行きましょう……」
 そう言って、先輩たちを促し、階段を昇る。
「あっ、そうだ! 孝臣!」
 階段を昇りきる手前まで来たところで、階下から呼び止められた。
「何?」
「今晩、何を食べたい? 孝臣の好きなもの作ってあげるよ」
(俺の好きなもの……)
「じゃ……、じゃあ……、クリームコロッケ!」
「OK! 任せといて! 先輩諸君も食べて行ってね!」
 そう言うと姉さんは、右手の親指と人差し指で“OK”の形を作り、ニヤリと笑った。



「それじゃあ先ず、試験範囲はどこなんだ?」
 部屋の真ん中に置かれたテーブルを囲むように、澪先輩とムギ先輩、そして梓先輩が、俺の両隣と真っ正面に座る。唯先輩と律先輩は、何やら部屋の中を物色し始めたが、今は放置しておくことにする。
「えっと……、範囲はここから……」
「オミくん、そこ目次」
「いや、ここじゃなくて、こっちのページから……」
 ムギ先輩に指摘されるも、教科書を開いただけで、既に拒絶反応を起こしていくのがわかる。
「まず“(x+7)(x-1)=9”の左辺を展開すると“x2+6x-7=9”となる」
『この漫画、前から読みたかったんだよなー』
「次に右辺を左辺に移項して“x2+6x-7-9=0”だから“x2+6x-16=0”となる」
『何かオミくんのDVDってバスケばっかりだねー』
「で、足して“6”で掛けて“-16”となる組み合わせは“8”と“-2”だから“(x+8)(x-2)=0”とくくれるだろ」
『おっ! このゲームって出たばっかりじゃね?』
「掛けて“0”になるってことは、どちらかが“0”だから、“x=-8”か“x=2”ということになるんだ」
『オミくんの中学の卒アル見っけー!』
「……、わかったかな……?」
「すみません……、澪先輩……。気が散って、全く……」
『卒アルだってぇー! 私も見たいぃーっ!』
「だぁーっ! おまえらー、静かにしろー!」
 澪先輩の講義の後ろで、トレジャー・ハンターのように部屋中を漁る唯先輩と律先輩に、遂に澪先輩の雷が落ち、そして律先輩の頭には本当に雷が落ちた。頭に大きなたんこぶを作り、「何で私だけ……?」と涙目の律先輩の隣では、唯先輩が「うわぁー」という声を上げながら、そのたんこぶをつついている。
「あっ、そうだ!」
 そこにムギ先輩が両手を叩き、さも名案を思いついたかの如く提案してきた。
「ねえ、唯ちゃん、りっちゃん。せっかくだから下に降りて、お姉さんたちのお手伝いをしない?」
 まあ、要は……
(体の良い厄介払いか……)
「おっ! ムギ! それは名案だなー」
 だが、意外にも律先輩はその提案に食いついてきた。
「おっ! りっちゃん、やる気だねー。それなら私も本気を見せちゃうぞぉー!!」
 そして唯先輩までも……。
「そういえば、私たちの食事も用意してくれるって言ってましたし、私たちもお手伝いしたほうがいいですよね。それにオミくんの勉強なら、澪先輩がいれば大丈夫だし」
 きっと梓先輩は本当に気を遣ってそう言ってくれたのだろう。
 結局、ムギ先輩の提案が通り、俺の部屋に俺と澪先輩を残し、四人は階下へと降りて行った。
「ごめんなー、オミ。ギャラリーが騒がしくって……」
 それは唯先輩と律先輩のことなのだろう。
「まあ、元はと言えば、俺が赤点を取ったことがそもそもの原因ですから……」
 一応、そうフォローを入れておく。
「そうだな。赤点で休部だなんて、こんなことは、これっきりにしてくれよ!」
「はは……、善処……、します……、たぶん……」
 だが断言は避けた……。

 それからはひたすら勉強に集中した。

 いや、澪先輩と二人っきりのマンツーマンだし、集中せざるを得ない雰囲気だったということもあり……。ここまでしてもらって、気を散らすわけにはいかなかった。ただ、澪先輩の教え方はすこぶる解りやすく、少なくともこの一ヶ月間の数学に関して言えば、『なぜこの程度がわからなかったのか』と不思議に思えるくらいだった。最初の頃こそ、『早く時間が進まないものか』と、時計ばかり見ていたが、気づくと時計を見ることすら忘れるほど勉強に集中しており、時間の流れすら最早気にはならなくなっていた。だからドアを叩くノックの音で、初めて夕食の時間になったことを知ったのだが、それはどうやら澪先輩も同じなようだった。とはいっても、実際に進んだのは僅か数ページだったが……。
「澪ちゃん、オミくん。ご飯の準備ができたよ」
 入ってきたのはムギ先輩だった。
 そのムギ先輩の報せを合図に、今日の勉強会は一先ず終了となる。
「オミ、どうかな? 少しはわかりそう?」
 階段を降りながら、澪先輩が心配そうにそう聞いてくる。
「いや……、正直な話、澪先輩の教え方、すげぇわかりやすいですよ! 俺、澪先輩が先生だったら、絶対に赤点なんて取らないのに」
 そんな言葉がつらつらと口をついて出てきたが、それはお世辞ではなく本心からだった。
「まあ、そうは言っても、まだ試験範囲の半分もいってないんだけどな……」
「けど、この調子なら試験範囲くらいクリアーできそうな気がしてきました!」
「だったらせめて、『絶対に赤点なんて取らない』じゃなくて、『絶対に百点を取ってみせる』くらいの意気込みは口にしてほしいけどな」
 そう言って、澪先輩は悪戯っ子のように「ふふふ」と笑う。
 澪先輩のそんな笑顔を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。そんなことを考えると、無意識に顔が熱くなるのを抑えられなかった。
「ま……、まあ……、それはこれからしだいってことで。だから、これからも宜しくお願いします! 澪先輩!」
「えっ! こっ、これからもって!?」
「これから追試まで、毎日教えてくれるんでしょ? それだけの日数に澪先輩が合わされば、追試なんて余裕ですよね!」
 自分でもわざとらしいと感じながらも、意識的にそう意気込む。
 澪先輩は「ふぅー」と溜め息を一つ吐き、「やれやれ」といった表情を浮かべながら、それでも……、
「じゃあ、明日からはもっと厳しくいくからな!」
 そう言ってまた、悪戯っ子のように笑った……。
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