Tomorrow is another day〜Another K-ON!〜


□#4 それでもずっと
2ページ/5ページ

 月曜日の朝、いつものように部室へと向かう。キーボードを置くためだ。
 職員室に寄って鍵を借りようとしたのだが、既に鍵は貸し出し中だった。こんなに朝早くから部室に来るのは、きっと梓先輩かムギ先輩だろう。律先輩はそもそも楽器を置きっ放しなので、朝練でもしないかぎり部室に来る必要はない。したがって、律先輩といつも一緒に登校する澪先輩も、部室に来るのは朝のショート・ホームルームが始まる前だろう。
 唯先輩は……。
(まだ寝てんじゃねえかな……?)
 腕時計で時間を確認しながら、『ふっ』と吹き出しそうになる。
 本来ならそんな想像、失礼極まりない話なのだが、唯先輩に限って言えば、それなりにリアルに感じられたからだ。まあ、逆に、誰よりも早く登校して、部室で一人、朝練をしている唯先輩なんて想像しにくいし、仮にそんな場面があったとしたら、目覚まし時計のセットを間違えたか、時間を見間違えたか……といったところだろう。
(なんていうほうが失礼極まりない話か……)
 しかし部室のドアを開けると、やはりそこにいたのは梓先輩だった。
「おはようございます!」
「あっ! オッ、オミくん……。おはよう……」
(驚かせちゃったかな?)
 急に声をかけたからか、梓先輩は明らかに驚いたような声を上げ、みるみる顔が真っ赤になっていった。しかし二・三度、深く深呼吸をすると、赤みを帯びた頬も元に戻り、と同時に、真剣な表情を作った。
「オミくん! 練習をしよう!!」
「あっ、はっ、はい……」
 梓先輩の、まるで今にも掴みかかってきそうな勢いに圧されながら、思わずそう返事をする。
 もっとも、元々朝練をするつもりで、こんな早い時間に登校してきたわけだから、今から練習をすることに異存があるはずもなく、しかも梓先輩が練習に付き合ってくれるなら、それは有り難いことだった。故に冷静に考えても、断る理由なんてなく、返す言葉は変わらないのだが……。
(何か、今日の梓先輩は鬼気迫ってるな……)
 そんなことを考えながら、梓先輩のギターに併せてキーボードを弾いた。
 いや、実際に併せてくれていたのは梓先輩のほうだったのだが……。
 最近になって、放課後ティータイムの初期のオリジナル曲である“ふわふわ”“カレー”“ホッチキス”“ふでペン”の四曲に関しては、ムギ先輩から合格点を貰えるようになり、追試が終わったあたりから、新たに“いちごパフェ”を練習していた。
 これも中間試験そっちのけで自主練をした賜物だ……なんて言うと、澪先輩から絶対に怒られるだろうから、口にはしないことにする。
 というわけで、今朝は梓先輩と、ツイン・キーボード・バージョンに生まれ変わった“いちごパフェ”を練習する。
 ちなみにこの曲は、今年の新歓ライブで初お披露目された曲だ。
「ああー! 二人だけズルーい!」
 久しぶりの練習に集中していた意識が、突然の声に現実へと引き戻された。
 振り向くと、唯先輩とムギ先輩が、入り口に立っている。
「さあ! 唯先輩! せっかく来たんだから練習ですよ、練習!!」
 梓先輩はそう言うと、唯先輩を急かす。
「梓ちゃん、今日はどうしたの?」
 ムギ先輩も、梓先輩の様子に違和感を感じたのか、そう耳打ちしてきた。
 確かに今日の梓先輩からは、いつもとは違う印象を受ける。
 勿論、普段の梓先輩も、軽音部の中では澪先輩と並んで練習熱心なイメージだし、時には先輩たちに対しても物怖じせず、半ば強引に練習に持っていくこともある。だから今日みたいな場面も、決して珍しい光景ではないのだが、何故か違和感を感じてしまう。何だか無理矢理、自分を追い詰めようとしているような、そんな印象だ。
 きっとムギ先輩も、今日の梓先輩からは、そんな印象を受け、それが違和感となっているのだろう。
「さ……、さあ……。俺が来た時にはもう……」
 しかし、梓先輩に何があったのかなんて、俺にわかるわけもなく、ムギ先輩と同じ違和感を感じている……というニュアンスだけを返事に込めた。
 そしてそれは、更に後から来た澪先輩と律先輩も同じだったらしく、結局、今朝は時間いっぱいまで、みっちり朝練を行った。
 俺にとっては、最近は自主練のみだったので、こうやってバンド練習ができたのは好都合だったし、できればこれからも部活はこうであってほしいとは思うところだが……。
(梓先輩、無理してパンクしなきゃいいけど……)
 唯一の気懸かりは、その心配だけだった。



 朝のショート・ホームルームが終わり、銘々が一時間目の準備に取りかかる。ちょうどその時、教室を出ようとしている担任に名前を呼ばれた。見ると、廊下に出るよう手で合図をしている。なので深くは考えず、指示されたまま廊下に出ると、担任の元へと駆け寄った。
「今朝、清峰高校のバスケ部コーチという人から電話があったぞ」
 つまりはそれが担任の用件だったのだが、実はそのことは予め予想していた。というのも一昨日、ストバスを終えた後、トモから頼まれ事をされたのだが、その内容が所謂“助っ人”だったのだ。
 清峰高校バスケ部は、一軍の殆どが同じ系列の清峰中学からの進学組が占めている。しかしそれは、外様を嫌う身内贔屓によるものでは決してない。清峰高校は、清峰中学とともに、毎年全国大会上位の常連校だ。故に、選手層も厚いのだが、一軍選抜において、そこには出身校は元より、学年や経験の長短は一切加味されない。言わば完全なる実力主義なのだ。にもかかわらず、一軍の殆どが清峰中学出身者ということは、それだけ清峰中学バスケ部のレベルが高いということになる。
 その一軍が夏の大会を前に週末、遠征に出掛けるのだという。と言っても行くのは二・三年生のみで、一年生は留守番ということだった。というわけで、どうせ留守番なら、留守番組だけで試合をしようということになったらしい。
 一軍に選抜された一年生対その他の一年生。しかしそこはやはり、実力に差がありすぎるということで、俺に白羽の矢が立ったのだ。
 いや、トモが勝手に俺に白羽の矢を立てやがった。
 つまりはその実力差を埋めるべく、その他の一年生チームに入ってほしいというのが、トモの頼みだったというわけだ。
 試合自体、身内で行う非公式のものであり、尚且つ現状の実力差では試合として成立しないらしい。
『けど俺でその差が埋まるのか?』
 そう聞いた俺に、首を縦に振ったのは、一軍一年生チームの司令塔である如月だった。
 つまり如月がトモに着いてストバスに来たのは、俺を品定めするためだった。そしてそのお眼鏡に見事叶った……というわけだ。
 ただ、非公式とはいえ他校の練習試合に、全くの部外者が出場するのは何かと問題がある。なので、俺から二つの条件を出した。
 一つは、トモや如月以外の全てのメンバーにも了承してもらうこと。そしてもう一つは、きちんと責任者から学校を通して依頼してくること。その上で双方が合意したなら、俺からの異存はない。
 トモも如月も、この条件に同意してくれたのだが、早速動いてくれたらしい。
 清峰高校のバスケ部コーチは、一軍二・三年生の遠征に随行する監督に代わって、留守番組の責任者を務めているとのことだった。
「で、乾。おまえはいいのか?」
 担任にそう聞かれ、「約束ですから」と答えた。
 トモと如月は、どうやら俺の呈示した条件を全てクリアーしてくれたらしい。
 それなら俺が、今更難色を示す理由なんてあるわけがない。
(約束だから……か)
 本当は少し……いや、かなり興奮してきている。
 何せ相手は一年生オンリーとはいえ、“あの”清峰高校の一軍なのだ。
 加えて、相手チームの殆どは元清峰中学出身。
 そしてこっちは、全て……とはいかないまでも、トモの他にも何人か瀬野中学出身者がいる。
 去年の試合の再戦……というと大袈裟だが、久しぶりに真剣に、そして全力でバスケができることに、実は胸が高鳴り始めていた。
 唯先輩たちに『部活のバスケが勝つためのものなら、ストバスはバスケを楽しむためのもの』なんて説明したが、そういう意味では俺にとっては久しぶりの“勝つためのバスケ”ということになる。
「じゃあ、宜しくお願いします」
 担任を通して、向こうのコーチに返事をしてもらうことにし、教室へ入ろうと後ろを振り向くと、そこにはいつからか梓先輩が立っていた。
 もっとも、俺の一年五組と、梓先輩の二年一組は、教室が隣同士なので、こうやって休憩時間に顔を合わせることも少なくない。
「オミくん、清峰高校に行くの?」
「えっ!? あっ、あぁー、ええまあ……」
 質問の意図がわからず、ただ肯定だけを伝える。
「バスケをするために?」
「ええまあ……」
「そうなんだ……」
「梓先輩……?」
 しかしその後、梓先輩からの言葉はなく、そのまま踵を返すと、俺に背中を向け、そして黙ったまま教室に入っていった。



 放課後、掃除当番を終え、部室へと向かった。
 普段なら一応、部室に行く前に職員室に寄って行き、鍵が貸し出されているか確認するのだが、掃除当番の日に限っては、先輩たちのうち誰かが先に部室に行っていることは明白なので、直接部室へと向かう。
 すると部室のドアのところに人影が見えた。
 梓先輩だ。
 何故か中には入らず、立ち尽くしている。
「梓先輩!」
「ひぃっ!」
 なので声をかけたのだが、どうやらまた驚かせてしまったようだった。
「すみません、いきなり声をかけて……。驚かせちゃいましたね……」
「あっ……、う……、ううん……、そんなこと……」
 しかしやはり言葉は続かず、俯いてしまった。
(何なんだろう……?)
「とりあえず中に入りましょうよ」
 入り口に立ち尽くしていても仕方がないので、ドアに手をかけた。
「あっ! オッ……、オミくん、ダメ!」
 その次の瞬間、梓先輩はそう叫びながら、俺を引き留めようと腕を掴んだ。しかし体勢が悪かったのか、俺は梓先輩に押された形でドアを開けてしまい、そのまま二人して倒れるように中へと入っていった。
 そんな後輩二人に驚いたのは、いつもの如くティータイム中の三年生四人だ。
「どうしたんだ!? 梓! オミ!」
 澪先輩が立ち上がった。
「びっくりするだろー。静かに入って来いよー」
 律先輩は既に気を取り直している。
「二人とも、ムギちゃんのお菓子を早く食べたかったんだよねー」
 唯先輩は……まあ、いつもの唯先輩だ。
「さあ、二人も早くこっちへ来て。今、紅茶を淹れるわね」
 ムギ先輩も……やっぱり、いつものムギ先輩だった。
「やれやれ……」
 ワケもわからず、『まあ、いつものことか』と開き直り、定位置へと座ろうとしたのだが……。
「練習です!」
 梓先輩はそう言うと、強固な姿勢を崩さなかった。
「さあ、早く! 皆さん、準備してください!」
 その表情があまりにも切羽詰まっていたからか、普段なら何かと屁理屈をこねてティータイムを強行しようとする唯先輩や律先輩までも、素直に従った。
 しかしそれは梓先輩の、普段とは明らかに違う迫力に気圧されたからであり、皆一様に首を傾げながらではあったのだが……。


「唯先輩! そこでもう一度リフですよ!」
「律先輩! サビが走り気味になってます!」
「オミくん! 一音間違えてたよ!」
 梓先輩からの容赦ないダメ出しに、しだいに閉口していく。
『いったい梓、どうしちゃったんだよ……?』
 律先輩が目でそう問いかける。
『何かあったのかな……?』
 澪先輩も目でそう返す。
『朝も変だったよね……?』
 ムギ先輩のそんな視線に、俺は小さく頷いた。
「どうしちゃったの? あずにゃん!」
 心配そうに唯先輩が梓先輩に駆け寄った。
「どうもしません! 軽音部なんだから、バンド練習をするのは当たり前です!」
「けど梓……。あんまり根を詰めすぎると、パンクしちゃうぞ。そんなに無理をしなくても……」
「無理なんて……、そんな……、澪先輩まで……」
 梓先輩の表情が途端に泣きそうなそれになる。
 唇を噛み、そして俯く。
 唯先輩も、澪先輩も、律先輩も、ムギ先輩も、そして俺も、梓先輩の心中が理解できず、それでもただ心配そうに見つめる。
「すみません……」
 暫しの沈黙の後、梓先輩は小さくそう言うと、ギターを静かにスタンドに置き、部室を後にした。
 しかし俺たちは誰も、梓先輩を追うことはできなかった。
 いったい何がどうしたのか全くわからないまま、ただ時の流れだけが無情な程に緩やかに通り過ぎていった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ