Tomorrow is another day〜Another K-ON!〜


□#4 それでもずっと
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 部室には既にオレンジ色の光が射し込んでいる。時計の針は、いつもの下校時刻をとうに回っており、だけど俺は未だ部室から離れることはできなかった。
 梓先輩は、あれから戻っては来ないのだが、一人残して帰るわけにはいかない。
『もう帰ってるかもしれないぞ』
 律先輩からはそう言われたが、俺は絶対に戻ってくるという確証があった。
 なぜなら……。


「あっ! オミくん……」
 ドアが静かに『ガチャリ』と音を立て、と、ともに梓先輩が顔を覗かせた。
「やっぱり戻って来ましたね。待ってて良かった」
「先輩たちは?」
「皆、帰りましたよ。いや……、帰した……というほうが正しいかな」
「帰した……?」
 事実、俺が『梓先輩は絶対に戻ってくる』と言うと、『それなら皆で待っていよう』と唯先輩が提案し、他の三人もそれに同意した。しかし、俺が『俺一人のほうがいい』と言い張り、結局は先輩たちも俺に任せてくれたのだ。
「梓先輩は絶対に戻ってくるって思ってましたから」
「な……、何で……?」
 やっぱり梓先輩は、徐々に俯き始める。
「梓先輩が自分のギターをそのままにして帰るはずないですから」
 見ると、スタンドに立て掛けられていたはずの梓先輩のギターは、すでにケースへと収まっている。唯先輩が『それなら、せめて』と言って、入れてくれたからだ。
「けど……、オミくんは何で……?」
 俯いたまま、だけど上目遣いに、梓先輩がこちらに視線を向ける。
 俺とは二十センチ以上、身長が違うから、それは本当に上目遣いとなっていた。
「梓先輩と話がしたかったんです」
「わかってる……。今日の私、変だったもんね……」
「変……というか、気負いすぎているというか……。皆も心配していたんですよ」
 そう言うと、再び会話が止まり、沈黙が流れた。
 だが、俺はあえて梓先輩からの言葉を待った。
 きっともう、梓先輩は俺の言いたいことを、その真意を理解している。そしてその、俺の気持ちに対しての返事を今、言葉にしようと考えているのだろう。
 だからあえて、梓先輩からの言葉を待つことにした。
「私ね……」
 すると果たして、暫く続いた沈黙を梓先輩は破った。
「私ね、一昨日、聞いちゃったの……」
「一昨日……?」
「先輩たちとショッピングに行った帰り、市民体育館の前を通ったの」
「市民体育館……って、あっ!」
「うん……。あそこは帰り道だから。そうしたら、そこの隣にあるコートにオミくんがいて。そういえば今日は友達とストバスをするって言ってたなーって思い出して。それで覗きに行ったんだけど……」
 そこで言葉が詰まる。
「来たなら、声をかけてくれれば良かったのに……」
 べつに見られたくない場面だったわけでもないし、声をかけてくれれば自然と『高校の軽音部の先輩だ』と皆にも紹介していただろう。仲間内でも、高校の友達を連れて来るなんて日常茶飯事なことなので、何ら問題はない。
「できなかった……」
 しかし梓先輩は、そう小さく呟いた。
「何で……?」
「聞いちゃったんだ……」
「聞いたって何を?」
「オミくん、友達から清峰高校に来てほしいって、そうお願いされてた……」
「えっ! えぇ……、まあ……」
(練習試合のことかな?)
「あれって転校するってことだよね?」
「…………?」
(へっ!? 転校?)
「私、知ってるよ。清峰高校って、バスケの名門なんでしょ? 確か全国大会にだって何度も出てる……」
「えぇ、まあ……」
「そこからスカウトされたんでしょ?」
「スカウト!?」
「オミくん、友達から清峰高校に来てほしいって言われた時、責任者から学校を通してくれって、そう言ってた。それって、転校となると編入試験とか、そういったことが絡んでくるからだよね?」
「ちょっ……! ちょっと待ってくださいよ!」
「今朝、先生にも、オミくん『宜しくお願いします』って言ってた。『約束だから』って……。あれって転校を決めたってことなんでしょ?」
「ちょっと、梓先輩……」
「私ね、考えたんだ。オミくん、家でもかなり自主練してるよね。たかだか一ヶ月で四曲も弾けるようになってるし。だけどここ最近……、ううん、殆ど毎日だよね、部活でお茶ばかりして練習しないのは……。本当はオミくん、部活でも練習したいのに、私たちがお茶ばかりして練習しないから、だから……」
「だから……?」
「だから……、オミくん……、私たちに……、愛想を……、尽かして……」
 気づくと、今まで上目遣いだった梓先輩の瞳から、大粒の涙がこぼれていた。
(まいったな……)
 女の子に泣かれるのは慣れてない。
(いや……、当たり前か……)
 けど、この状況はどうしたものなのだろうか……?
(とりあえずは、誤解を解かなくちゃいけないよな)
「あの……、梓先輩……」
 俺は制服のポケットからハンカチを取り出し、梓先輩の頬を拭う。
 梓先輩は、一瞬『はっ』とした表情を見せたが、「ありがとう」と呟き、そのハンカチを受け取った。
「以前、梓先輩に言ったこと、憶えてますか?」
「私に、言ったこと……?」
「ほら、追試の勉強で俺の家に来た日のことですよ。先輩たちを送っていく時に、梓先輩から『軽音部に入ったこと後悔してないか』って訊かれて……」
「ああ……、憶えてる……、憶えてるよ! だって、あの時の言葉、私、凄く嬉しかったもん!」

『たとえ先輩たちから何を言われても、俺は卒業まで軽音部を辞めるつもりはありません』

 俺は、はっきりとそう言った。
「その時の言葉、信じてもらえませんか?」
「えっ!?」
 こぼれる涙を、だけどもう拭う手を止め、梓先輩は顔を上げる。
「あの話は、練習試合の助っ人に来てくれって話ですよ。今度の土曜日、一年生同士で練習試合をするから、その助っ人に」
「けど、そのまま転校とかって……」
「実際問題、それはないでしょ? たとえ俺がそんな展開を望んでいたとしても、そんな都合良く事が運ぶなんて、全くの奇跡ですよ。それに俺自身、そんな展開は望んではいませんしね」
 俺はそう言って、笑ってみせた。
 それが本心であり、真実なのだから……。
「オミくんは……、今の軽音部で良いの……?」
「今の軽音部……?」
「オミくんって、中学時代はバスケ部のキャプテンまで務めてて、だから部活っていうとバリバリ練習しないといけない人だと思ったから……」
「だから今日は朝から?」
「うん……。私が変えようと思ったの。オミくんが『ずっといたい』って思えるような軽音部に……って」
「俺がずっといたい軽音部……ですか?」
「うん……」
 二十センチ下の梓先輩の身体が、今はいつも以上に小さく見える。
 梓先輩の今日の言動は、全て俺のため……。それが嬉しくもあり、だけどもう、こんな思いを梓先輩にさせたくはなかった。
「梓先輩! もう一度だけ言いますね!」
 そう言って、一度だけ深く深呼吸をする。
 そして……。
「たとえ先輩たちから何を言われても、俺は卒業まで軽音部を辞めるつもりはありません!! この気持ちは絶対に変わりませんから、だから……、だから信じてください……」
 そう一気に言った。
 梓先輩からの言葉はない。
 ただ俯いたまま、ハンカチで顔を被い、小さな肩を振るわせている。
 しかしそれからすぐ、梓先輩は顔を上げると、今度はちゃんと、笑ってみせた。その笑顔にはもう、言葉は必要ないだろう……。



 翌朝、いつものように部室へと向かう。
 鍵は既に貸し出し中だったため、先輩たちのうち誰かが来ているのだろう。
(まあ、こんな時間に来るのは梓先輩かムギ先輩だろうな……)
 確か昨日も同じことを考えていた気がする。
 だけどドアを開けてみれば、やはりそこにいたのは梓先輩だった。
「梓先輩! おはようございます!」
「あっ! オミくん、おはよう!」
 そう返した梓先輩の表情は、いつもの梓先輩の笑顔だった。
「オミくん、これ……」
 梓先輩はそう言ってポケットからハンカチを取り出した。
「昨日は……、ありがとう」
 それは昨日、俺が梓先輩の涙を拭うために使ったハンカチだった。綺麗に洗濯され、アイロンまでかけられている。
「いつでも良かったのに」
 そう言って、ハンカチを受け取ろうとするが、俺が手を差し出すより早く、梓先輩はそのハンカチを後ろ手に隠した。
「梓先輩……?」
 行動の意味がわからず、手が止まる。
「じゃあ、このハンカチ貰ってもいい?」
「えっ!? ハンカチを……ですか?」
「うん……」
「はあ……、まあ……、それはいいですけど……」
 ハンカチ自体はさほど高価なものではないので、あげることもやぶさかではないのだが、その真意が図りかねた。
「これからね……、もしもこれから……、また昨日みたいに、オミくんが軽音部を辞めちゃうんじゃないかって不安になったら、このハンカチを見るの。このハンカチを見て、オミくんの言葉を思い出す。オミくんが、卒業するまで軽音部を辞めないって言ってくれたことを思い出すの……」
(可愛いことを考えるんだな……)
 そう思うと、『ふっ』と笑いがこぼれた。
「そっ、そんな笑わないでよ! 私は真面目に言ってるんだから!」
 梓先輩の表情は、そう言って、拗ねたような、それでいて照れたようなそれに変わった。
 だけど変わらず、笑みだけは絶やさなかったが……。
「わかりました! けど、梓先輩だけってのはズルくないですか? だったら俺にも何かくださいよ」
 だからわざと、そうお道化てみせる。
「じゃあ……、これ……」
 そう言って梓先輩が取り出したのは、普段から使用しているピックだった。
「いいんですか?」
「うん! ピックはまだたくさんあるし。それに、普段から使っているもののほうがいいでしょ?」
 そう言って笑う梓先輩に釣られて、俺まで口角が上がる。
「はい! じゃあ、俺はこのピックを見て、梓先輩との約束を思い出しますね!」
「約束……か」
「そう! これは二人だけの約束です! 俺たちは、これからもずっと、軽音部ですよ!」
 そう言って笑い合う。
 こんな心地好い空間が、やっぱり俺は、堪らなく好きだった……。



 時計は残り時間が十秒を切ったことを伝えている。
 俺の前には三人。
「孝臣!」
 思いきりジャンプをし、その声の主を目で捉えるや、同じようにジャンプをして、俺の行く手を遮ろうとする目の前の三人の、更に頭上からボールを投げた。
 去年の記憶が甦る。
 しかし、たとえどんなに背の高いプレイヤーが相手であろうと、空中を支配するのは俺のほうだ。それが、ポイント・ガードとしての、俺のポリシー。
「トモ!」
 俺の手から放たれたボールは、そいつらの頭上の更に上に伸ばされた両の手の、更に上を、弧を描くように通り過ぎ、チームのパワー・フォワードであるトモの手中へと、それはまるで吸い寄せられるように収まった。
「トモ! 行け!!」
 時計が示す残り時間が、一からゼロへと変わろうとしたまさにその時、トモはその手中のボールを、バスケットに向けてショットした。
 と、同時にブザーが鳴る。
 ブザービーター。
 まるでそれは、去年の再現を見ているかのように感じられた。
 トモが放ったボールは、バック・ボードに当たり、更にリングでバウンドをすると反転し、そのままゴールされ、コートへと落ちていった。
 あの試合の再現のようなシーンは、全く違う結末で幕を閉じたのだ。
 審判役の清峰高校バスケ部コーチがホイッスルを鳴らし、一点差で俺たちが勝利したことを宣言した。
 途端に湧く歓声。
 チームメイトが一斉に俺に駆け寄る。
 拳を振り上げる者……。
 抱き合う者……。
 涙ぐむ者……。
 喜びの噛み締め方はそれぞれだが、胸中には皆、万感の想いがあるのだろう。
 かく言う俺も、去年敗けた清峰中学のメンバーに勝てたことは、どんなに冷静になろうとしても、やはり嬉しかった。
 窓の外に目を向ける。
 朝から降っている雨はいよいよ勢いを増し、激しい音を奏でている。だけどそんな雨音に負けないくらい、俺たちの歓喜の声はいつまでもいつまでも、体育館に木霊していた。



「悪いな、トモ。俺、今から行かなくちゃいけないところがあるんだ」
 試合の後、祝勝会と称して、近所のラーメン屋“はるもと屋”に行こうと誘われたが、それは断ることにした。
 祝勝会とはいいながらも、一軍チームも合流するということで、それはむしろ祝勝会というよりは“打ち上げ”と呼んだほうが相応しい状況だった。
 なので、他校の生徒が一人混ざるというのも好ましくはないだろう。
 もっとも、それをトモに言ったところで、『何言ってるんだよ! 勝利の立役者が!』と、逆に言われてしまったのだが……。
(まあ、勝利とはいっても、かなりこっちに有利なルールにしてもらってたんだけどな……)
 それでも久しぶりの“本気の”バスケは、やはり楽しかった。それだけで、今の俺には十分だった。
「なあ、乾。おまえ、本当にもうバスケの表舞台に戻って来る気はないのか?」
 そう聞いてきたのは如月だった。
 如月の言う“表舞台”というのは、つまりは公式戦のことだ。
 俺のバスケを高く評価してくれているが故の言葉……なのだろうが、今となっては俺の答えは決まっていた。
「悪いな、如月。今の俺にはもう、バスケと同じくらい熱中できるもんがあるんだよ。だから俺は、そっちの道で表舞台を目指すよ」
 俺はそう答え、『ニッ』と笑った。
 その答えに、如月も『ふっ』と笑う。
「バンド……か? 木崎から聞いたよ。おまえ今、軽音部に入ってるんだって? いいのか? 本当に、それで。バスケを捨ててまで、そこにいたいって、本気で思っているのか?」
「愚問だな、如月。これでも俺、バスケをしていた頃と同じくらい、バンド、楽しんでるぜ!」
 そして満面の笑みでサムズ・アップをしてみせる。
 如月はトモと顔を合わせ、そして二人とも……笑った。
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