Tomorrow is another day〜Another K-ON!〜


□#4 それでもずっと
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 はるもと屋へと向かう清峰高校生と別れ、俺は本日最後のお役目を果たすべく学校へと向かう。
 土砂降りの雨の中、正門をくぐり、正面玄関から校舎へと入る。
 守衛さんに事情を話し、部室の鍵を借りると、そのまま部室へと続く階段を昇っていく。『ガチャリ』と静かに鍵を開け、ノブを回し、ドアを押しながら中へと入った。
 時間的には早いが、激しい雨のせいだろう。部室の中は薄暗かった。
 だが、俺はあえて灯りを点けず、そのまま部屋の奥へと歩を進める。
 そこに存在感を醸し出しながら置かれている水槽では、相変わらずカメ……ではなく、スッポンモドキが優雅に浮遊していた。
 そのスッポンモドキ……トンちゃんに餌をあげる。
 今日は休日。
 昨日から三年生は修学旅行に出掛けている。
 梓先輩も、友達のクラブを手伝い、そのまま友達の家に泊まりに行くとかで、昨日の部活は休みとなった。
 こんな機会でもなければ他のクラブの活動に参加するなんてこと、そうそうはないだろう。
(それはそれで、良い経験……かもな)
 だから今日は誰も餌をやりには来ないだろうと、それが学校に来た理由だ。
 餌を食べるトンちゃんを眺めながら、暫し雨の音に耳を傾ける。
 雨は好きではないが、雨の音は嫌いではない。矛盾しているかもしれないが、それが本音なのだから仕方がない。
 雨の音は、俺の意識を外界から切り離し、自分の内へ内へと向けてくれる。段々と周りの情景が消えていき、ただ頭に浮かぶのは自分の心情のみとなる。その隔離されたような感覚が、好きだった。
『それは母胎回帰願望ってやつだね』
 いつだったか、姉さんにそのことを言ったら、そう教えてくれた。
『人間はね、無意識のうちに母胎と同じ環境を作ろうとするの。母胎って、胎児にとっては、母親に守られていて、危険なんて全く感じることがない、心から安心できる場所なのね。だから寂しい時や不安な時、落ち込んだ時や悩んでる時、人間は無意識にその母胎と同じ環境を欲するのよ。ほら、そういう時って、よく膝を抱えて丸くなったりするでしょ。あの姿は胎児が母胎にいる時の姿と一緒なの。それで自分の心臓の音を聞こうと丸くなるのよ。母胎で聞く母親の心臓の音こそが、胎児にとって一番安らげる音だからね』
 それが本当かどうかはわからない。だけど姉さんがそう言うなら、俺にとってはそれが真実だ。
 その姉さんも、今はお腹の子供に安心と安らぎを与える母親だ。
「不思議なもんだよな……」
 そう呟くと、トンちゃんが鼻だけを水面の上へと出した。
「ぷはっ! ははははは……」
 その仕草に思わず吹き出してしまう。タイミングが、あまりにも絶妙だったからだ。
「トンちゃん! 本当にわかってるの?」
 そう言いながら、水槽にコツコツと軽く爪を当てる。その瞬間、トンちゃんの首が、あたかも頷いたかのように縦に動いた。
「わかってるのかー!?」
 ただ、それだけのことなのに、妙に楽しかった。
 暫く雨の音を聞きながら、トンちゃんを眺めていると、しだいにそれを打ち破るような足音が響き始めた。
 一人ではなく複数の……。
 そして走っているかのように……この部室へと向かって来る。
 ただ、そのうちの一人は見当がつく。今日は三年生がいない以上、間違いなくそれは梓先輩だ。
 果たして、飛び込んで来るようにドアを開けたのは、やはり梓先輩だった。
 ただ、後ろには見たことがない女子生徒が二人いたのだが……。
「どうしたんですか? 梓先輩、そんなに慌てて……」
 梓先輩は元より、三人ともが息を切らしている。
「やっぱりオミくんだったー!」
 そして梓先輩は、その場に座り込んだ。
「大丈夫? 梓ちゃん……」
 ポニーテールの女子生徒が梓先輩に駆け寄る。
「なぁーんだー。先客がいたねー」
 もう一人の……癖毛をツインテールにしている女子生徒が、俺を見てそう言った。
「ああ、オミくん。トンちゃんに餌をあげようと思って……」
 梓先輩は、そう言いながら息を整え、立ち上がった。
「そうなんですか。すみません、メールしたほうが良かったですね。何だか無駄足を踏ませちゃったみたいで……」
「ううん……。ちょうど良かった。私、オミくんに伝えたかったことがあるから」
「伝えたかったこと?」
「あっ! その前に、今日の試合どうだった?」
「勝ちましたよ。まあ、一点差なんで辛勝ですけどね……」
 そう言って苦笑いを浮かべると、梓先輩が俺の傍へと寄って来る。
 そして……。
「オミくん! おかえり、軽音部へ……」
 そう言って、笑った。
「伝えたかったことって……?」
「うん……。ちゃんと言いたかったんだ。『おかえり』って……」
 その言葉に、何だかやっと現実に引き戻された感覚が甦った。
「梓先輩……。ただいま……」
 だからそう……、呟いた。
「お二人さん、仲良いっすねー」
 その声に顔を上げると、梓先輩の友達が二人ともニヤニヤと笑っている。一人は嬉しそうに、もう一人はからかうように。
 その後の自己紹介で、ポニーテールは平沢憂先輩、ツインテールは鈴木純先輩だとわかった。
「“平沢”って……。じゃあ、もしかして……?」
「うん! 憂は唯先輩の妹だよ」
 唯先輩の口から、ちょくちょく聞く妹。
 よく話に聞いていたため初めて会った気もしないが、正真正銘初対面だ。
「よく唯先輩から聞いてますよ。憂先輩のこと」
「えっ!? お姉ちゃんが私のことを!?」
 挨拶程度のつもりで話した一言が、妙な具合に憂先輩のテンションを上げてしまったようだ。
「お姉ちゃん、私のこと何て言ってるの?」
「えっ!? えぇーっと……、大好きだって……」
「本当にー!?」
 もはやキラキラと瞳が輝きだした憂先輩は止められそうにない。
「あっ! 乾くん……、オミくんのことも、お姉ちゃん話してくれるよ!」
「へぇー」
 それは意外だった。
(『男性として意識してない』なんて言ってたのにな……)
「で、唯先輩は俺のこと、何て言ってるんですか?」
「えっ!? えぇーっと……、…………いい人って……」

「…………」
「…………」
「…………」

(微妙だ……。いや、唯先輩らしいけど……。だけど微妙だ……)

「ぷっ! くくくくっ!!」
「あっはっはっはっ!!」

 一瞬の間の後、梓先輩と純先輩が、堪えきれなくなったかのように、声を上げて笑った。
「はい! そこの二人、笑わない!」
 そう言ったものの、二人の笑いは止みそうにない。
「ええー! 私、何か変なこと言ったかなー?」
(って、“天然”は平沢姉妹共通のデフォなのか!?)
 梓先輩と純先輩が一頻り笑い、俺と憂先輩は互いに顔を見合わせ、そして……やっぱり笑う。
 激しく響く雨の音が、まるで俺たちだけ、別の空間へと誘ったかのような錯覚をもたらす。
 いつもの軽音部のメンバーとは違うけど、このメンバーでいるのも楽しいのかもしれない。
 ふと、そんなことを考えながら……。
「せっかくこのメンバーが揃ったんだし、セッションしてみない?」
 そう言い出したのは純先輩だ。
「あっ! 私、やってみたい! ねえ、純。ジャズ研に使ってないギターない?」
 その発案に梓先輩も乗ってきた。
「あるんだよ! それが!」
 純先輩は嬉しそうだ。
「この雨なら少々音が大きくても大丈夫でしょうし」
 だから俺もそう答える。
「でも私にできるかな……」
 憂先輩は不安そうに、そう呟く。
「憂先輩、オルガンなんてどうですか?」
「あっ! オルガンなら小さい頃に弾いたことがある」
「なら、憂先輩は俺とオルガンの連弾をしましょう」
「うん!」
 これで話は決まった。『じゃあ』と言って、純先輩は梓先輩を連れ、ジャズ研の部室へと向かう。
「オミくん……」
「はい?」
 そして二人になったのを見計らったのか、憂先輩が少し真面目な、だけど笑顔で、そう話しかけてきた。
「オミくん、ありがとう」
「えっ!? 何ですか!?」
「この前ね、梓ちゃん、様子がおかしい時があって。何かを思い詰めてるみたいな……。けど、すぐにいつもの梓ちゃんに戻ったんだけど、それってオミくんのおかげだよね? だから、ありがとう」
「いっ、いや……、俺は別に……」
(っていうか、その原因を作ったのも俺みたいなもんだし……)
「これからも梓ちゃんを支えてあげてほしいの。友達としてだけでなく、同じ軽音部部員として。それができるのは、きっとオミくんだけだから……」
 同じ軽音部部員として……。
 それはきっと、来年、三年生が卒業した後のことを言っているのだろう。
 本来なら一人残るはずだった梓先輩に、俺という後輩ができた。来年、梓先輩が一人になることはない。そのことを含めての『支えてあげてほしい』なのだろう。
「はい! 勿論です!」
 だから今はそう答えよう。何故なら、それが俺の本心なのだから。



 純先輩のベースと梓先輩のギターがリズムを刻む。それに合わさるようにオルガンの音色が奏でられていく。オルガンは俺と憂先輩の連弾だ。
 曲目は“むすんでひらいて”。
 誰もが知っているお馴染みの童謡だが、四人で奏でると、ちょっぴりカッコ良くなった。
 演奏が終わると、皆、満足そうに笑い合う。
 四人で一つのことを成し遂げた。
 それはとても些細なことだけど、今はそれが嬉しくて仕方がないのだ。
 その時、窓の外から、オレンジ色の光が射し込んできた。
 どうやら雨が上がったらしい。
 そしてふと、憂先輩のケータイが鳴る。
「あっ! お姉ちゃんからだ!」
 そう言って憂先輩はケータイを開く。そして画面をこちらへと向けた。

『ううー、ギー太が恋しいよー』

 そのメールに、また俺たちは声を上げて笑った。
 唯先輩らしい、どこか間の抜けたような……それでいて、心から音楽を好きな気持ちが伝わってきて、嬉しくて、楽しくて、そして、可笑しかったからだ。
「そうだ! 私たちも写メ撮ろう!」
 そんな純先輩の発案も、だから自然な流れ……だったのかもしれない。
 憂先輩と純先輩で梓先輩を挟んで、その前に俺が来て……撮ったのは憂先輩だ。
 そして、憂先輩が唯先輩に、その写メとともに宛てたメッセージ……。

『お姉ちゃんへ、いいでしょー!』

 それが今の俺たちを端的かつ的確に表していた。



「オミくん!」
 月曜日、廊下で声をかけられ、振り向くと憂先輩がいた。その横には梓先輩と純先輩もいる。
 他愛もない雑談に笑いが絶えない。そんな居心地の良さを感じる空間だ。
「えぇー!? 本当にぃー?」
「うん! 昨日、お姉ちゃん、帰って来て『あずにゃん分が足りない』って言ってたもん!」
 そう言う憂先輩は嬉しそうだが、当の梓先輩はげんなり気味だ。
「逃げようかな……」
 そんな言葉すら聞こえてきた。
「えっ!? 何で? 何が始まるの?」
 純先輩はきょとん顔だ。
「うん、それはね……」
 そう憂先輩が言いかけた時だった。
「あーずにゃーん!!」
 そんな声とともに現れた唯先輩が、梓先輩に抱きつき頬擦りをする。
「お久しぶりぶりー!」
「みょう! やみぇてくだひゃい……」
 嫌がる梓先輩だが、表情は嬉しそうだ。
「いつもこうなの……?」
「うん! そうだよ!」
 そんな純先輩と憂先輩の会話をよそに、唯先輩は梓先輩の腕と俺の腕を握る。
「さあ! 行こう!」
「えっ!? どこへですか?」
「部室だよ!」
「今じゃなくても放課後でも……」
「ダメだよー。もうムギちゃん、お茶の準備してるもーん!」
 そう言って、半ば強引に俺と梓先輩の腕を引っ張っていく。
「憂ー! 純ちゃーん! またねー」
 そう言い残して……。



 部室では、いつものティータイムが繰り広げられている。
 いつものメンバーに囲まれ、いつもの席に座る。
「実は、二人にお土産があるんだよー」
 唯先輩はそう言うと、小さな紙袋を二つ取り出した。
 一つは梓先輩に……。
 そしてもう一つは俺に……。
「開けてもいいですか?」
 梓先輩の言葉に、先輩たちは頷く。
 俺も梓先輩と一緒に、自分の紙袋を開けた。
 中から出てきたのは、紫のハートの形をしたキーホルダー。ハートの中には、白抜きで、湯気を立てたティーカップが描かれてある。
「ティーカップ……?」
 俺はその意図がわからなかったが、梓先輩はすぐにわかったようだ。
 梓先輩のキーホルダーも、色違いの緑ではあったが、デザインは俺のと全く同じだった。
「これって……」
 梓先輩は立ち上がると、自分のギターケースへ駆け寄る。そしてそのポケットから、一つのピックを取り出し、テーブルの上に、お土産のキーホルダーと並べて置いた。そのピックには同じく、湯気の立つティーカップが、手描きで描かれてある。
「これは……?」
 そう梓先輩に聞くと、梓先輩はキーホルダーとピックを、それぞれ手に取り……、
「これはね、去年、初めてライブハウスに出演した時に決めた、私たちのロゴマークなんだ」
 そう教えてくれた。
「じゃあ……」
 そう言って、先輩たちの顔を見渡した。
「せーのっ!」
 律先輩の掛け声に合わせて、四人が一斉に、それぞれのキーホルダーを取り出した。
 唯先輩は赤、澪先輩は青、律先輩は黄色、そしてムギ先輩はピンクの、同じデザインのキーホルダーが、そこにあった。
「このマークは放課後ティータイムのロゴマーク! つまり、このキーホルダーは放課後ティータイムのメンバーの証なんだよ!」
 唯先輩の言葉に、皆の表情も明るくなる。
「じゃあ……、俺も……?」
「勿論! オミだって、放課後ティータイムのメンバーだよ!」
 そして澪先輩がそう言ってくれた。
 放課後ティータイムのメンバー。
 その言葉の意味をわかって言ってくれたのだろうか? それはつまり、卒業しても、違う道を歩んでも、会えない日々が日常となったとしても、それでも尚、この六人は仲間だという……そういう意味だということを。
 わかっているのかもしれないし、わかっていないのかもしれない。
 いや、もしかしたら、そんな理屈なんて、とっても小っぽけで、どうでもいいことなのかもしれない。
 だけど……、それでも……、先輩たちに仲間だと言ってもらえたことが、今の俺には嬉しかった。
 この先のことなんてわからない。
 だけどその、わからないこの先も、先輩たちと仲間でい続けたい。その気持ちだけで、今は十分なのかもしれない……。
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