Tomorrow is another day〜Another K-ON!〜


□#8 光を目指して
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“はるもと屋”
 馴染みのラーメン屋だ。
 最近はご無沙汰気味だったが、それこそ中学時代は、部活の後によく寄ったものだ。
「ここのワンタンメンがサイコーなんですよ!」
 という俺のススメもあり、会長も俺と同じくワンタンメンを注文した。
「けど……、本当にすみません」
「あら!? 何が?」
 注文を終えたところで、改めてそう頭を下げたが、当の会長はきょとんとした表情をしている。
「結局、会長の勉強の邪魔をしてしまったみたいだから……」
 結果的には、会長は俺に勉強を教えるために図書館に来た……みたいな展開になってしまっていた。
「それは大丈夫だって! 私も復習になったって言ったでしょ」
「けど、復習って言っても、一年生の試験範囲なんて、三年生の試験にはあまり関係ないんじゃあ……?」
「復習っていうのは何も今回の期末試験に限った話ではないのよ」
「えっ!?」
「私ももうすぐ受験だし。もともとこの夏は、どの教科も基礎をもう一度復習するつもりだったの」
「受験……ですか?」
「うん!」
 気を遣う俺に、努めて会長は笑みを絶やさない。
 だけど会長の言葉の“受験”というフレーズに、思わず反応してしまう。
「そっか……。三年生はもう受験……なんですよね」
「そうねー。この前、進路希望調査があってね、それを書いていた時、急に受験を意識しちゃって……。だから改めて、もう一度基礎を復習しようなんて思いついたのかもしれないわね」
「会長は進路は決めたんですか?」
 それは何気なく聞いた質問だったが、きっと会長ならそのくらいは決めていても不思議ではないだろう。
「私の将来の夢は、弁護士か検事よ。だから大学では法律を学ぶつもりなんだけど、思いきってセンター試験を受けてみようと思うの。今の成績だとちょっぴり厳しいけど、国立に挑戦してみようかなって……」
 そう言って会長は、少し照れたように笑い、頬を指で撫でた。
(ちょっぴり厳しい……か)
 しかしそれも半分は謙遜も入っているのだろうが……。
「そういえば会長……」
「ねえ、乾くん」
「はい……?」
「私、実はさっきから気になっていたんだけど……」
「何でしょう?」
 だけど会長の笑みは変わらないままだ。
「学校の外でも“会長”っていうのは、ちょっとやめてほしいかな……」
「そうですか?」
(これほど“会長”という呼び名が、ぴったりだというのに……)
 では、何と呼ぶべきなのか……?
 まあ、そこは普通に……、
「じゃあ、“真鍋先輩”って呼びますね」
 そう提案した。
「下の名前でいいわよ」
 しかし即座にそう否決されてしまう。
「けど……」
「軽音部の人たちは名前で呼んでいるんでしょ?」
「まあ……、それは本人たちからのリクエストなんで」
「それなら私も、本人からのリクエストよ」
 その瞬間、会長の笑みが、少し悪戯っ子っぽいそれに変わったように見えた。
「けど会長は会長だし……」
「軽音部の後輩なら、私にとっても仲間みたいなものだし。それに……」
「それに……?」
「それに、乾くんには何となく、そっちのほうが似合っている気がするから」
「それはどういう……?」
 だけど会長は依然と微笑むばかりだ。
「わかりました! じゃあ、“和先輩”でいいですか?」
 ……と、まあ結局は俺が折れることにはなるのだが……。
「うん! 私も乾くんのこと、“オミくん”って呼ぶから」
「“オミ”でいいですよ。そっちのほうが“和先輩”には似合っている気がしますから。何となく……」
 だからそう言って、今度は俺のほうが悪戯っ子っぽい笑みを返した。
「はい! ワンタンメン二つね!」
 ちょうどそこへ、先程注文したワンタンメンが運ばれてきた。
「チャーシュー、サービスしといたぜ!」
 見ると、確かに二つのワンタンメンは、ワンタンどころかチャーシューまでもがてんこ盛りとなっている。
「孝臣が女性を連れて来るなんて珍しいからな!」
 店主である“オヤジさん”は、そう言って『イヒヒ』と笑う。
「そんなんじゃないよ!」
「ほおー! “そんなん”って、どんなんだよ?」
「いや……、だから……、その……、それは……」
 しどろもどろとなりながらも、横目で和先輩に視線を移すと、和先輩は『ふふふ』と笑っている。
「先輩! そう! 同じ高校の先輩だよ!」
「同じ高校の先輩……ねえ」
 だがオヤジさんは、腕を組んだまま探るような視線をこちらに向けてくる。勿論、笑いを噛み殺すような表情で……。
「しかも生徒会長だぞ!」
「オミ……、だからもうそれはいいから……」
 伝家の宝刀をかざすと、しかし今度は和先輩のほうからツッコミが入った。
「ははは、まあ何でもいいさ! けど直人が見たら驚くかな……と思ってさ」
「そういえば、直人は元気にやってるの?」
「ははは。あいつは今でも孝臣が作ったメニューをやってるぞ! 今年こそは悲願を達成するってな! まあ、時間があったら応援にでも行ってやってくれ!!」
 そしてそう言って、俺の肩をバンバンと叩くと、オヤジさんはカウンター向こうの厨房へと入っていった。
「直人って……?」
 その会話が途切れるのを待っていたかのように、和先輩が訊いてきた。
「ああ、直人はここの……、あのオヤジさんの息子で、俺の中学のバスケ部の後輩です」
「そうなんだ」
「去年の夏の大会の後、俺たちの代が引退してからはキャプテンを務めてるんですよ」
「確かオミも中学時代はバスケ部のキャプテンだったのよね?」
「はい。俺の後継者ってことになりますね」
「じゃあ、その頃からここは馴染みなんだ?」
「馴染み……というより、溜まり場です。オヤジさん、俺たちには大盛りとかチャーシューとか、よくサービスしてくれてたんですよ」
 言わばここも、想い出の場所……と言えるのかもしれない。
「さあさあ、そんなことより早くワンタンメン食べましょうよ! 伸びたら台なしです」
 そして俺は、少しノスタルジックな気持ちになりながら、あの頃と同じ味のワンタンメンを、あの頃とは違う人と一緒に……すすった。



 ちょうど日付が変わったのを機に、一息つくため部屋を出た。
 今日は図書館で二時間、そして今、ちょうど二時間……と、計四時間という長丁場を勉強という試練に費やしたことになる。
(まあ、昨日はサボったから、これでチャラってことだよな……)
 とまあ、都合の良い解釈をしながら、キッチンへと向かった。
 しかし、それにしても、やはり俺には、勉強は性に合わない行為だということを、つくづく感じた。これがキーボードの練習なら、四時間だって『あっ』という間だというのに……。
(けど……、進路……か)
 まだ十五年……いや、後二ヶ月もすれば十六年となるが、だが、たかだかそれだけの人生だ。
 将来のことを決めるには、まだまだ早い気もする。
 今や日本人の寿命は、平均八十年前後だという。つまりは長い人生の最初の二十パーセントで、残りの八十パーセントの生き方を選ばなくてはならないという計算になる。
 知識も、経験も、思慮も、まだまだ浅いうちに……だ。
 少なくとも、今から二年後は、今の和先輩がそうであるように、俺も将来のことをある程度は構築できていなくてはならない……ということらしい。
「はあー」
(っつってもなー)
 果たして、先輩たちももう決めているのだろうか?
(たぶんムギ先輩は決めているんだろうな)
 ムギ先輩はあれで、一度決めたことに対しては、どんな困難なことがあっても、猪突猛進で邁進していく意志の強さがある……というか、そんな試練すらも、全力で楽しもうとするバイタリティーすらある。
(きっと澪先輩も決めているだろうし)
 澪先輩は、綿密に立てた計画を、寸分違わず遂行していく几帳面さがあるように思う。それは生真面目さとも言えるだろうか。
(まあ、あの二人はきっと決めてるな……)
 問題は残りの二人だ。
(律先輩と唯先輩……か)
 この二人はまだ白紙かもしれない。
 まあ、あくまでもイメージだけど……。
 ただ『なかなか決められない』とか、『何も思いつかない』とか、そういうジレンマみたいなものは、俺にもわかる気がする。
「はあー」
 やっぱり、まだまだ俺には遠い先のことのように思えてならないようだ。
 溜め息を吐きながら、キッチンのドアを開ける。
「いい若いモンが溜め息なんか吐いてー。何か悩み事かー?」
 冷蔵庫の前で、グラスに注いだ麦茶を飲んでいる姉さんが、少々からかい気味にそう聞いてきた。
 どうやら俺の溜め息が聞こえたらしい……。
「そういえば、姉さんはさ……」
 ふと、四年前のことを思い出した。
 当時二十歳だった姉さんは、通っていた大学を中退し結婚、そのままアフリカへと行ってしまった。
 義兄さん……つまり、姉さんの旦那さんとは、実は今まで三回しか会ったことがない。最初は、姉さんが『結婚したい人』として義兄さんを父さんと母さんに紹介した時。次は二人の結婚式。そしてアフリカに発つ日に空港まで見送りに行った時が三回目。
 そして、以来四年、会ったことはない。
 まあ、当然だ。そもそも偶然ですら出会うことがないところへ行ってしまったのだから……。
「何だよ? 孝臣」
「姉さんはさ、結婚する時って、やっぱり悩んだ?」
「…………? 何だよ、突然」
「いや……、何となくさ……。あの時の姉さんって、人生の一大事を、わりとあっさり決めたように見えたからさ……」
 特に他意があったわけではない。
 ただ、ふと思いついて、それをそのまま口にしただけだ。
 姉さんは少し不思議そうな表情を浮かべたが、だから俺は構わず食器棚からグラスを取り出すと、姉さんが冷蔵庫から出した麦茶をそれに注いだ。そしてその麦茶を一気に飲み干したところで、姉さんは呆れたような、だけど嬉しそうな顔で『バカだなー』と言いながら、再び自分のグラスに口をつけ、麦茶を一口、口に含んだ。
「バカって……」
「私だって悩んだよ」
「…………」
「悩んで悩んで悩んで悩んで……。それでも、やっぱり一緒にいたいって思えたから、後は自分の気持ちに従った。そんなところかな」
「自分の気持ちに……?」
「ああ、自分の気持ちに」
 だけど、その“自分の気持ち”がわからない時だってあるだろう。だからこそ悩む時だってあるはずだ。そんな時はどうすれば……。
「私ね、高校時代はやりたいことっていうか、将来の夢みたいなものがなくってさ……」
「姉さんが……?」
「うん……。当時は仲間とバンドやってて、音楽が生活の中心だったけど、だからって音楽で生計を立てようみたいな気持ちはなくってさ……」
「プロを目指す気がなかったってこと?」
「うん……。孝臣だって、そうだろ?」
「うん、そうだね……。俺は先輩たちとやるバンドが好きだから……。他の人と組むつもりもないし、“プロのステージ”なんていうフィールドにこだわるつもりもないかな……」
「私は……、もっとシビアだったかな……」
「シビア……?」
「そう。プロになって“売れる曲”だとか“大衆受けする曲”だとか、そんなものに縛られたくないっていうかさ……。まあ、私たちの音楽が、客観的に見てプロのレベルではないっていうことも自覚していたしね」
「それで大学に?」
「そうだね。とりあえず……みたいな軽い気持ちでね」
「やっぱり将来の夢とか見つからないうちは、手堅く進学したほうが良いってことなのかな……?」
「まあ、学歴は生きてく上で邪魔にならないからな」
 姉さんは、それだけ言うと『イヒヒ』と笑う。
「何だよ、それ……」
 その笑みにつられるように、俺の口角も思わず上がってしまった。
「まあ、私の場合は、たまたま『とりあえず』のつもりで入った大学で、今の旦那と運命的な出逢いを果たしたわけだけどさ……」
「自分で言うかよ……」
「まあ聞けって! 確かに何年も先の職業だとか、やりたいことだとかを考えて進路を決めることも大切だけど、なかなかそうはいかなかったりするじゃん! だから私はさ、とりあえず今一緒にいたい人と、来年も一緒にいるための進路ってのもアリなのかなーって思うわけよ」
「一緒にいたい人と来年も一緒にいるための進路……」
(正直、そういう発想はなかったなー)
「まあ、孝臣は三年後の進路よりも、二週間後の期末試験のほうを、先ずは頑張んなきゃね!」
「えっ!?」
 その言葉に、飲みかけた麦茶が口から吹き出そうになり、咳き込んでしまった。
「あの勉強嫌いの孝臣が、ここんとこ毎日真面目に勉強してるからねー。何か理由があるんでしょ? 期末で良い点を取らないといけないような理由がさ!」
 そして姉さんは、最後にそう言い残し、俺の肩をパンパンと二回叩くと、再び『イヒヒ』と笑いながらキッチンを後にした。
「先のことより、目先のことか……」
 一人になったキッチンでそう呟く。そして姉さんに叩かれた肩を掌でそっと撫でると、俺もやはり、再び口角を上げてしまった。
 ふと壁にかけられた時計を見る。
 どうやら思いの他、話し込んでしまったらしい。
 本当なら、喉を潤したらそのまま寝るつもりだったのだが……。
「もう少しだけ、頑張ってみるか……」
 今度はわざとそう呟いてみた
(まあ、気の向いた時くらいは……)
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