Tomorrow is another day〜Another K-ON!〜
□#9 そこにある想い
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二十三時半。
渇いた喉を潤すため、キッチンへと向かった。
明日から始まる期末試験。
その第一日目の一時限目……つまり、しょっぱなの教科は一番苦手としている数学だった。
全教科平均点以上。
梓先輩との約束を果たすため、今までの人生でも経験したことがないくらいの時間を勉強に費やしてきた。
何せ高校受験の時ですら、ここまでの勉強はしていないだろう。
その甲斐もあってか、古文や英語、世界史といった苦手教科は克服できたのだが、数学と物理だけは未だに不安が拭えてはいない。
その数学が明日、いきなりあるわけで、そのプレッシャーが、今以て尚、俺を机に向かわせていた。
「はあー」
まるで一つ一つの行動毎に溜め息を吐くかのように、重たい体を引きずってキッチンのドアを開ける。
「おまえは、ホント溜め息ばかりだなー」
呆れ気味な声に顔を上げてみれば、姉さんがちょうど麦茶を飲んでいるところだった。
「明日から試験だからね……。そりゃー、溜め息も出るよ……」
そう言って、グラスを取ると麦茶を注ぐ。
姉さんは「ふーん」と生返事の後に、再びグラスに口をつけた。
「しかも明日は一時間目から数学だし……」
そう言葉を続けるが、姉さんは「ふっ」と笑みをこぼす。
「何?」
「いや、孝臣もいっちょまえにプレッシャーを感じてんだと思ってね」
「いっちょまえって……。そりゃー、俺だって人並みにプレッシャーくらい感じるさ!」
「まあ、確かにねー。あれだけ面倒かけといて結果を出せなかったら、合わす顔もないよねー」
そう言うと、姉さんの表情は、嬉しそうな笑みに変わった。
「合わす顔って何だよ!?」
「ばーか! 全部言わせる気かよ!」
「…………」
(からかってんのかよ!)
姉さんの表情は相変わらず嬉しそうだ。
だけど、そんな姉さんのからかいも、あながち外れてはいないのかもしれない。
いくら普段から勉強をしているからとはいえ、試験前のこの時期に、俺の家庭教師を買って出てくれた梓先輩には、やはり結果を以てその想いに報いたい。
(だけど……さ)
なかなか苦手意識というものは、拭えないものだ。
「今夜はもう寝たらどうだ?」
そんな俺の気持ちを察したのか、いつになく姉さんからは優しい言葉がかかる。
「けど、もうちょっとやっとかないと……」
「そんなこと言って、今夜無理して、肝心の試験で眠たくなったんじゃあ本末転倒だろ」
「それはそうなんだけどさ……」
わかってはいる……。
わかってはいるのだが……。
「なあ、孝臣。今のおまえの実力がどの程度のものなのか、正直私にはわからないよ。でもね、おまえが今までしてきた努力は私にもわかる。だからさ、まだ自分に自信が持てないって言うのなら、せめて自分が積み重ねてきた努力にくらいは、自信を持ってもいいんじゃないかな?」
そして姉さんは、今度は優しい笑みを浮かべた。
理論とか、理屈とか、そういうものではない姉さんの言葉は、どこか綺麗事のようにも聞こえるが、それなのにそれを姉さんの口から聞くと、不思議なことに、心にかかっていた薄暗い雲が、一気に消えていくように感じた。
「『努力に自信』ねー」
「そっ! 明日のことなんて、どうなるかわからないんだからさ。わからないことを悩んでいても、答えなんて出るはずないだろ。だったら明日のことは明日になったら考えて、今はただそれに備えてればいいんだよ」
「備えるって……」
「とりあえず、今夜は体を休めなさい!」
「ははは…、やっぱりそうなるわけね……」
(でも、そうだな。こんな重たい体のまま試験なんて受けられない……か)
何でもない会話だった。
いつもの姉弟の会話。
だけど結局、俺はこの会話に、いつも救われている。
気づくと、あんなに重くのしかかっていたプレッシャーも、幾分か和らいだように感じる。
「ふふっ」
思わずそう吹き出しそうになり、それを誤魔化すように、グラスの麦茶を一息に飲み干した。
「んっ!? 何だよ?」
「べっつにー。たださ」
「ただ?」
「ただ……」
それは、どうやらきっと、いくつになっても、いつまで経っても、俺は姉さんにとっては“弟”ということなのだろう。
「たださ、姉さんは『いつでも姉さんなんだな』と思ってね」
だからそう言って、俺は笑ってみせた。
「何だよ、それ。当たり前だろー」
そして姉さんから返ってきたそんな言葉を聞きながら、今夜は素直に休むことに決めた。
★
一学期期末試験が終わったのは、それから四日後のことだった。
心配していた数学と物理に関しては、日程が重ならなかったことが救いとなり、手応えを感じるくらいには問題を解くことができた。
「で、どのくらい取れそうなの? 点数は」
前日に全ての日程を終え、無事に(かどうかは別として)一学期期末試験は幕を閉じた。
後は答案用紙の返却を待つのみとなったわけで、いよいよ今日は唯先輩と梓先輩のユニットによる演芸大会が開催となる。
というわけで、ムギ先輩が普段利用している、学校最寄りの駅を集合場所とし、待ち合わせをすることにしたのだ。
ちなみに面子は、俺の他に、律先輩、澪先輩、ムギ先輩の軽音部と、顧問の山中先生、そして和先輩、憂先輩、純先輩という……言わば、いつものメンバーだ。
今は待ち合わせの時間の十分前。
ムギ先輩が乗る電車の到着時間が七分前と聞いていたので、その五分前を目安に駅に向かったのだが、俺が着いた時にはすでに憂先輩が来ており、俺が着いてすぐに和先輩が到着した。
そこで他のメンバーを待つ間に、先の質問を和先輩が訊いてきたのだ。
「数学と物理以外は大丈夫だと思うんですけど……」
それが、まあ、正直な自己評価だ。
「あら、じゃあ数学と物理はできなかったの?」
和先輩が心配そうな表情を作る。
「できなかった……というわけではないんです。ただ……」
「ただ?」
「これが“何点以上”っていう条件なら、もっとはっきりとわかるんですけどね。あくまでも“平均点以上”なんで。俺がそこそこ点数良くっても、他の皆がそれ以上に良かったらアウトですから……」
だいたい“平均点”というと六十点台くらいを予想するのだが、試験の難易度によってはプラスマイナス十点くらいは上下するのではないだろうか?
しかも数学と物理に関しては、あれだけ苦手だった俺でさえ、そこそこの点数を取っているつもりだ。となれば、大半の連中も普段より点数が上がっている……つまりは、普段より平均点が上がっている可能性が大きいのではないだろうか? という予測ができるわけで、自分自身の手応えだけで一喜一憂……というより、手放しで喜ぶわけにはいかないような気がする。
「心配性なのね……」
そして遂には、心配そうな表情の和先輩から、そんな言葉をかけられる始末だった。
「大丈夫だよ! オミくん、頑張ってたもん! 梓ちゃんも言ってたよ。『オミが凄く頑張ってるから、私自身の励みにもなる』って!」
本心からか、気遣いからかはわからないが、憂先輩からの言葉に、いくぶん心も軽くなった。
「梓先輩が……、そんなことを?」
「うん!」
その言葉だけで、俺の努力は報われた気がした。
待ち合わせ時間の七分前、予定通りムギ先輩が到着。
五分前、純先輩が、その少し後に律先輩と澪先輩が到着し、そして時間ちょうどに山中先生が到着。
揃って会場へと歩き始めた。
★
「それではただ今より、第三十二回演芸大会を開催いたします」
司会者のそんな挨拶によって、演芸大会は始まった。
プログラムを見ると、唯先輩と梓先輩の順番は十四番目。
一人の持ち時間を考えると、さほど長く待つことはないだろう。
演芸大会……というだけあって、披露される出し物は様々だ。予想どおり、皿回しやら手品やらもあれば、曲芸や漫才、物真似、三味線など、実にバリエーションに富んでいる。
しかも、きっと殆どの人が、毎年のように参加している、言わば“常連さん”なのだろう。そのパフォーマンスも、それぞれ堂に入っていて、なかなか堂々としたものだ。
「大丈夫ですかね? 唯先輩と梓先輩は……」
左隣に座る和先輩に、そっと呟く。
五人掛けのベンチを二つくっつけ、四列並べられてある客席の三列目と四列目に、俺たちは座った。
四列目に座る俺の右隣に純先輩、左隣に和先輩、そしてその隣に憂先輩と山中先生が座る。三列目には、和先輩の前に律先輩が座り、その左隣に澪先輩、更に左隣にムギ先輩という配置だ。
「ふふっ。何だかまるで、オミのほうが緊張してるみたい」
そして俺の左隣、和先輩はそう言うと、吹き出してしまった。
「まあ、こっちにも緊張している奴はいるけどなー」
そして俺の左前に座る律先輩は、そう言葉を続けて隣の澪先輩を指差す。確かに澪先輩は俺以上に……というか、まるで自分が出場するかのような緊張っぷりを醸し出していた。
(ははは…。おかげで俺の緊張はほぐれました……)
そして大会が始まって二十分が過ぎた頃、いよいよその時はやって来た。
「それでは十四番、ゆいあずのお二人……」
司会者の紹介を合図に、二人がステージ上に姿を現した。
いつものギターを肩にかけ、しかし衣装は赤地に花柄の浴衣と、いつもとは違う雰囲気を身に纏っている。
心なしか、穏やかな表情の唯先輩とは対照的に、梓先輩のほうは強張っているように見える。
(梓先輩、緊張してんのかな?)
そしていよいよ、唯先輩のストロークで、二人のライブ擬きは幕を開けた。
「こんにちはー。桜が丘高校三年の平沢唯でーす!」
「二年、中野梓です!」
「二人合わせて、ゆい」
「あず」
「でーす!」
満面の笑みでギターを弾く唯先輩に比べ、やはり梓先輩は緊張気味だ。
「唯はいつもどおりだなー」
「梓ちゃん、顔強張ってる」
「私のほうが緊張する……」
前列の三人からも、予想どおりのコメントが聞こえてきた。
(まあ、そうだろうな……)
きっと澪先輩の発言を聞いた律先輩とムギ先輩の今の表情も、俺の予想どおりのものだろう。
後ろからでは見てとれないが、何となく想像はついた。
「最初は演歌をやろうと思って、“コブシ”を回す練習をしていたんですよー!」
(うわっ! 唯先輩がボケた!)
ステージ上では、唯先輩が自信満々に右腕をブンブンと回している。
「その“コブシ”じゃなーい!」
(今度は梓先輩がツッコんだ!)
どこから取り出したのか、いつの間にか梓先輩の右手にはハリセンまで握られている。
「梓がツッコんでる……」
「仕込んできたなー」
だけど二人の掛け合いに気持ちが和んだのか、澪先輩の言葉からは緊張が消えていた。
律先輩も、どこか嬉しそうだ。
「私のほうが先輩ですが、あずにゃんのほうが“ちゃっかり”してるんですよー」
「それを言うなら“しっかり”だー」
「それじゃあ、いきましょうか!」
「いきましょう!」
「あれー!? 何やるんだっけー?」
「いいかげんにしなさーい!」
そしてそんな二人のやり取りは、しだいに客席に笑いを作り出していた。
一生懸命で、そしてほのぼのとしていて、きっと二人のそんな空気が、この会場を優しい気持ちで包んだのだろう。
「では! “ふでぺんボールペンーゆいあずバージョンー”です!」
ピックを持つ右手を高らかに頭上に突き上げ、唯先輩がそう曲目を紹介した。
そして唯先輩が目配せで梓先輩とタイミングを図り、二人はギターを奏で始めた。
曲目は“ふでぺんボールペン”だが、曲調は民謡調。それはきっと客層を意識してのアレンジなのだろう。律先輩からは「そうきたか……」と声が漏れたが、やはりそんな発想ができるのは二人のセンスに他ならない。
(しかも、ちゃんとアレンジしてるんだもんな……)
バンドアレンジの曲を、民謡調に、しかもギター・オンリーのバージョンで。
イントロが終わる頃には、客席は手拍子に包まれていた。
確かにこれなら、初めて聴いた人でも、簡単に“のる”ことができる。
イントロが終わると、梓先輩の伴奏で、唯先輩が手拍子をしながら歌い始める。
客席も唯先輩の手拍子に合わせて、更に手拍子が増える。
何となくだけど、会場中が優しい気持ちの中で一体となったような、そんな空気だった。
ただ、鐘は二つだったが……。
(やっぱり町内の演芸大会にギターのユニットはハイカラすぎたのかな……?)
真相や基準はわからないが、鐘二つ……それが、ゆいあずの結果だった。
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